910 siro016


サロニカ(テッサロニキ) (Salonica /GRE)


 テッサロニキは紀元前315年前後にマケドニア王アレクサンドロス大王によって創建。アレクサンドロスの王統より王位を奪ったカッサンドロスは王妃テッサロニカ(アレクサンドロスの腹違いの姉妹)の名を取りテッサロニケーと名付けた。紀元前168年にマケドニア王国が滅びてから、共和制ローマ領の都市となる。ローマとビザンチウム(後のローマ帝国の首都コンスタンティノポリス、現在のイスタンブル)を結ぶエグナティア街道沿いの重要拠点となり、東西交易の場所として栄えた。ローマが東西に分割されたあとは、東ローマ帝国の権力下に置かれ、コンスタンティノポリスに次ぐ、帝国第2の都市として栄え、多くの教会が建設された。テッサロニキの人々は聖像破壊運動の時代にもイコンを隠して守ったため、他の旧東ローマ帝国領内では失われてしまった聖像破壊運動以前の貴重なイコンやモザイク画が数多く残っている。
 
 
TABLE