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スプリット☆ Diocletian's Palace(Split/CRO)

宮殿 平城 ロ-マ時代 305
 295年-305年、ディオクレティアヌス宮殿を造営されたことが都市の起源となったことが知られる。それより早く、ギリシャ植民地アスパーラトス(Aspalathos)が建設されていた。ギリシャ人らは、近郊の都市サロナに住むイリュリア人(多くがダルマチア人)との貿易を行って暮らした。
 瀕死の病にかかったローマ皇帝ディオクレティアヌス(在位:284年-305年)は、305年に政治から引退した。彼は故郷の近くに隠居用の宮殿を建てるよう命じ、故郷ディオクレア(サロナ近郊)にほど近い、海辺の町スパラトゥムを建設の地に選んだ。建設事業は、政界引退をディオクレティアヌスが準備していた293年に始まった。宮殿はどっしりとした構造をしており、ほとんどローマの軍事要塞のようである。宮殿南側は海に面し、その城壁は170メートルから200メートルの長さで囲む(高さは15から20メートル)。城壁内の面積は38,000平方キロメートルであった。宮殿の水道は堅固な作りで、ディナル・アルプス山中のヤドロ水源から水道路で供給されていた。この潤沢な宮殿と周囲には、当時8,000人から10,000人の住民が暮らしていた。
 
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