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デルベント城塞古代都市要塞建築群☆ Kreml'(Derbent/RUS)

城郭(要塞・クレムリン) 平山城 クレムリン 5世紀
 5世紀の終わりかあるいは6世紀の始まりにサーサーン朝の皇帝カワード1世(en: Kavadh I)によって統治され、子供であるホスロー1世の時代に、デルベントの北を臨む監視塔を備えた高さ20メートルの城壁が建設された。
 歴史的に、デルベントは、ユーラシア草原と中東を結ぶ交通の要衝であったため、様々な民族の衝突の舞台となってきた。第3次ペルシャ・トルコ戦争(サーサーン朝と西突厥の間で起きた627年から629年の間の戦争)において、デルベントは1旦、西突厥の支配下に置かれることとなったが、その後、ペルシャによって再度、統治されることとなった。14世紀になると、デルベントはティムールの軍隊によって征服された。1437年には、ペルシャのシルヴァンシャー朝の支配下に入った。16世紀にはサファヴィー朝とオスマン帝国との間の戦場となり、アッバース1世の時代には、トルコ軍に大きな打撃を与えたことで、デルベントはサファヴィー朝の支配下に入った。1722年には、ロシア帝国とペルシャの間で第一次ロシア・ペルシャ戦争がピョートル1世の手によって勃発しデルベントはロシア帝国の支配下に入ることとなった。
 
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