1980 siro043


ルーヴェン (Louvain/BER)


  891年、西ローマ皇帝アルヌルフがヴァイキング軍を打ち破ったとき、Loven として言及されたのにはじまる。伝説によればその赤、白、赤の紋章は、戦闘後の血に染まったデイレ川の岸辺を描いたものだという。デイレ河畔にあり又ブラバント公の要塞への近さのために、11世紀から14世紀にかけて、ルーヴェンは公領における商業の最も重要な拠点となった。織物生産の拠点としての以前の都市の重要性の一端は、14-15世紀の文章で lewyn(外には: Leuwyn, Levyne, Lewan(e), Lovanium, Louvain)として知られる典型的なルーヴェンのリネンによく反映されている。 15世紀、低地地方で最も大きく且つ最も古い大学の創設と共に新しい黄金時代が創められた。1425年創立のルーヴェン・カトリック大学 (Katholieke Universiteit Leuven, K. U. ルーヴェン) である。
 
 
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