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デヴィーン Devinsky hrad(Bratislava/SRO)

城郭都市(城塞) 平山城 東欧の山城 907
 前125年ごろ、ケルト人が城塞都市(オッピドゥム)をブラチスラヴァの丘陵地帯に設け、ドナウ川一帯のケルト人の中心地の一つになった。1世紀にはローマ帝国の影響下に入ってローマ軍の駐屯地となり、防塁(リーメス)やデヴィーン城(Devinsky hrad)が建設され、ブドウの栽培が始まった。
 907年にはハンガリー王国の国境城塞として初めて文献に登場し、王国の国境の要として戦略上の重要拠点として成長した。11世紀にはスラブ人住民によってオーストリアとハンガリーの商業中継地としての地位を確立。13世紀にはドイツ人が多く入植し、1291年に都市法を獲得して中世都市の形を整えた。ハンガリー王マーチャーシュ1世の時代に文化・経済の中心地として栄え、大学も設置された。
 1536年から1784年までハンガリー王国の首都となり、1542年にはハンガリー議会も移転した。1563年から1830年まではハンガリー国王・女王の戴冠式が聖マルティン大聖堂で行なわれた。ナポレオン戦争中の1805年には、プレスブルクの和約が締結されるが、1809年にはフランス軍が侵攻して占領され、ブラチスラヴァ城は1811年に駐屯フランス軍の失火による大火災が発生して荒廃する。
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