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★ドーヴァー城 Dover Castle(Dover, Kent/ENG)

城郭(城塞) 平城 イギリス領主の城 1066
 1066年ノルマンジー公ウィリアム1世がイングランドに侵入すると、大陸とより密接な関係が生じ、ドーバー海峡にのぞむ港は新しい重要性をもってきた。このためドーバーにも大きな城塞が築かれ、さらにヘンリー2世が全土の守備態勢を強化再編成した時、いっそう規模も拡大され、イギリス最強の巨大なキープはこの時の遺構。
 古代ローマのころにはドーバーは重要な要塞港とされ「ポルトゥス・ドュブリス」(Portus Dubris)と命名された。ドーバーは古代ローマ街道「ワットリング街道(Watling Street)」の起点とされ、「ブリタニカ艦隊(classis britannica )」の重要な港であった。1642年に始まる清教徒革命ではドーバーは「議会派」についた。 1670年の5月26日にはチャールズ2世とフランスのルイ14世との間で、密かに両国間の交戦状態の終結に関する条約の調印が行われた(ドーヴァーの密約)。20世紀の第一次世界大戦ではドーバーは英仏海峡防衛の中心となった。第二次世界大戦の間には市街がドイツ軍の爆弾と長距離砲による絶え間ない爆撃を受けた。戦争の間、ドーバーの崖の下の洞窟やトンネルは防空壕として使用された。
 
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