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★ニュールンベルク Nurnberg(Bayern/GER)

城郭都市(自由都市) 平城 自由都市 1219
  ニュールンベルクの町はゲルマン民族の城塞にはじまったといわれる。12世紀にはカイザーブルク(皇帝の城)とブルクグラーフ(城塞伯)の城とがあったが、1219年ころフリードリッヒ2世の代から皇帝直属の自由市となソた、 神聖ローマ帝国の皇帝は恒久的な首都をもたなかったものもあるので、ニュールンベルクはその意味で固定した皇帝の町であった。10世紀から16世紀にかけてフランケン家からハプスブルク家まで、32人の統治老がこの町の城を受けついだので、城はカイザーブルク(皇帝の城)と呼ばれた。 第二次大戦で大きな被害をこうむったが、古い城や城壁の大部分が修復された。城は町の北部の丘陵部につくられ、古代風な大円塔を中心に古い建物があり、各時代の歴史を物語っている。長い階段を上って大円塔の上に出ると木造の上部に10個ばかりの窓があり、市街を一望できる。城壁は城の近くでは上部に屋根をもっており、要所に望楼や円塔がある。
 1050年に皇帝ハインリヒ3世のSigenaーUrkundeに「nuorenberc」として記録されている。現在の地名の元となったこの名前は「岩山」を意味している。その後ニュルンベルク城は皇帝の拠点として神聖ローマ帝国帝国で重きをなした。
 中世以来、ニュルンベルクはアウクスブルクとともにイタリアとヨーロッパ北部を結ぶ2大貿易都市であった。カール4世は、1356年にニュルンベルクで金印勅書を公布した。勅書では即位後第一回目の帝国議会をニュルンベルクで開催することと定められ、この慣例は1543年まで続けられた。
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