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★ドゥブロヴニク☆ Dubrovnik(?upanija/CRO)

城郭都市(自由都市) 水城 自由都市 1358
 町の起源は古くローマ帝国時代、あるいはそれ以前に溯るとされている。町のイタリア語名ラグーサは、当時のラテン語名ラグシウムに由来する。11世紀頃からヴェネツィア共和国の影響下で発展し、1358年ヴェネツィアのコントロールを脱してラグーサ共和国として自立するようになった。そもそもこの町は後背地であるボスニアやセルビアで産出される鉱石の積出港として栄えていたが、15世紀にオスマン帝国がバルカン半島の内部へと進出してくるとその宗主権を認め、ヴェネツィアがオスマン帝国と度々戦争状態に入りその都度停滞したのとは裏腹に、かつてヴェネツィアが独占的に果たしていた東西交易の中での役割をより確かなものとしていった。
 共和国は1805年にナポレオンにより解体され、1815年以降、オーストリア帝国領ダルマチアの一部となる。さらに第一次世界大戦の結果二重帝国が解体されると、セルボ・クロアート・スロヴェーヌ王国を経て1929年に成立したユーゴスラビア領となった。ローマ帝国の時代以来、ダルマチアに長く影響力をもったイタリア系住民は、多数派であるクロアチア系住民と同化していく流れにあったが、ユーゴスラビアの独立と第二次世界大戦を経て、その存在は消滅した。
 1991年のクロアチア独立とともにクロアチア領となった。この時起こった内戦ではユーゴスラビア連邦軍の攻撃を受け、かなりの被害が出たが、その後復興し、一時名を連ねた世界遺産の危機遺産リストからも1998年に除外された。
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