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★エディンバラ城☆ Edinburgh Castle (Edinburgh/ENG)

城郭(城塞) 平山城 ゲイトハウス型 1376
 キャッスル・ロックという岩山の上に建つ古代からの要塞で、エディンバラのシンボルである。スコットランドでは、グラスゴーのケルヴィングローヴ・アート・ギャラリー・アンド・ミュージアムに次いで多くの観光客が訪れている。人間の定住は紀元前9世紀前後からといわれている。城内で最も古い12世紀初期の建築物であるセント・マーガレット教会堂を除くと、城の建築物のいくつかは16世紀以前のものである。デイヴィッズ・タワーは、1376年にデイヴィッド2世により建設が委任された。当時の主流の建築であり、城の主要な入り口であったが、のち塔が宿泊する客人や貴族のため拡張され、原型の入り口はゲスト・ハウスに塗り込められた。
 カトリックを信仰した女王メアリー1世は1567年にプロテスタントのジェームズ・ヘップバーンと結婚し、これに反対する貴族たちの大規模な反乱を引き起こした。反乱軍側に投降したメアリーはロッホ・リーヴン城へ監禁された。メアリーに忠誠を尽くす一部の貴族の助けを借り、彼女は城から逃亡しイングランドへ亡命した。エディンバラ城守護だったウィリアム・カークカルディーは1年余り城に立てこもった。幼王ジェームズ6世(のちのイングランド王ジェームズ1世)の摂政モートン伯ジェームズ・ダグラスは、エリザベス1世より支援を受け、砲撃と銃撃でデイヴィッズ・タワーを崩壊させた。城の陥落後、ウィリアム・カークルディーは絞首刑にされ、ハーフ・ムーン・バッテリーを含む多くが再建された。
 
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