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★エステ城(フェラーラ)☆ Castello Estense(Ferrara/ITA)

城郭(城館・エステ家) 平城 ゲイトハウス型 1385
 1385年にニコロU世の時代にバルトリーノ・ダ・ノヴァラによって建設され、以後16世紀まで改修が繰り返された。四つの四角形の塔とそれを繋ぐ回廊によって内庭を囲んで作られた建物は、戦略的な施設と居住空間を巧みに一体化したルネサンス城郭の傑作である。そして周囲に深い堀を廻らし、櫓で防御された狭い刎ね橋のみが外部と繋ぐ手立てであり、非常に防御的に優れた構造をしている。1階部分は城を守る兵士たちのゾーン、2階部分は謁見の間や公務を司る部屋、3階部分にはテラスがめぐらされた領主一族の居住空間がある。このテラスは戦闘の際には兵士が出て外部の敵と戦う場所でもあった。
 ニコロV世、リオネッロ、エルコーレT世の時代にはピサネッロ、ピエロ・ディ・フランチェスカ、マンテーニャ、 アルベルティなどが招聘され、 コスメツーラやコッサといったフェッラーラ派と呼ばれる人たちが活躍し、ルネサンス文化の花が開いた。何人もの公爵夫人が首を吊ったという庭もあり、イタリアの中世史を彩る女性ルクレシア・ボルジアもエステ家の当主アルフォンソ・デ・エステに嫁いでいる。
 ラヴェンナによって7世紀に開かれた植民地で、1200年代にもともとカノッサ伯のエステ家が教皇代理人となり、その後僭主化して領主となり、1471年にローマ法王より爵位を受けて公国となった町である。ポー河下流の肥沃な大地からの農産物を背景に、軍事力を蓄え、ロマーニャ地方で最も安定した基盤を築いた。特に、大砲製造の技術とその使用にたけていて、数ーの合戦に名を馳せている。また、芸術の振興にも力をいれ15世紀のニコロV世、リオネッロ、エルコーレT世の時代にはピサネッロ、ピエロ・デラ・フランチェスカ、マンテーニャ、 アルベルティなどが招聘され、 コスメツーラやコッサといったフェッラーラ派と呼ばれる人たちが活躍し、ルネサンス文化の花が開いた。
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