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★サンレオ砦 Rocca Costanza Rocca Francesca(San Leo/ITA)

城郭(城塞) 山城 ルネサンス様式 15世紀
 サン・レオはサン・マリーノの石工仲間であったレオが迫害を逃れてきたフェレトリオ山の頂上にある街であり、アペニン山脈がアドリア海に向かって張り出してきた尾根の端にある。
 この地方はウルビノ公モンテフェルトロ家発生の地で、12世紀にマルケ北部地方を統一しウルビノに領主館を構える。北部諸都市の傭兵隊長として財をなし、15、16世紀のフェデリコU世、グイドバルド親子の代に絶頂期を迎え、ウルビノはルネサンスの花が開く。そしてその時期、サン・レオにあった元の館を、シエナ出身の建築家フランチェスコ・ディ・ジョルジョを用いて圧倒的な質感をもつ堅固な城砦に作り変え、北からの侵入者に備えた。
 1500年代初頭にチェザーレ・ボルジアによってモンテフェルトロ家が追放された後は 教皇領に組み入れられ、人里離れたサン・レオは流刑の館となり、サンタンジェロからカリオストロ伯爵がここに幽閉され一生を終えた(1795年)。
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