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ディンケルスビュール (Dinkelsbuhl/GER)


 ディンケルスビュールに初めて都市施設が作られたのは、1130年頃のことである。それはシュタウフェン家とヴェルフェン家とのドイツ王位をめぐる争いの中で、シュタウフェン家の所領を結ぶ防衛拠点の一部として形成されたものであった。この都市は、元々カロリング朝時代に創られたヴェルニッツ川渡渉地点沿いの入植地を拡充させてできたのである。付近の森林地帯へは、フランク族が支配していた時代の後期、8世紀頃に入植が行われていた。 市壁は、防衛上の理由から円形に巡らされた(この内部を、以下「中核地区」と呼ぶ)。この痕跡は、現在の街でも明らかに見て取れる。それは、シュピタールガッセ、ウンテルン・シュミーツガッセ、フェーレンベルクガッセ、ヴェートガッセと1致するが、これらは、市壁の痕跡ではなくむしろその外側の濠の跡なのである。
 市ができあがるまえから、二つの交易路(ニーベルンク街道とローマ街道)が交わるヴェルニッツ川の渡渉地点として、防衛上の重要地であったこの地に、1130年頃シュタウフェン家はディンケルスビュールの防衛施設を建造した。中世初期、ディンケルスビュールは、北西のクライルスハイム、南西のエルヴァンゲン、東のニュルンベルク、北のローテンブルク・オプ・デア・タウバー、南のウルムと関連を持っていたことが証明されている。この、ディンケルスビュールを通る(1236年の文献では "Dinkelpole"と記載されている)南北の街道は、ヴェルニッツ川やレヒ川の渓谷沿いをたどる交易路であると同時に、北ドイツからローマへ向かう巡礼の道でもあった。
 
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