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アストラハン Kremlin(Astrakhan/RUS)


 古くからアストラカン(XacitarxanまたはActarxan)などと呼ばれ、ヴォルガ川右岸に町があった。ハザールの時代にはこの一帯はハザールの主要な地域であり、アストラハンの南南西40kmにある村・サモスデルカはハザールの都・イティルと推定されている。ジョチ・ウルスの時代には主要な交易都市・行政都市となる。しかし、1395年にはティムールによって灰燼に帰した。そこで12kmほど南の今日のアストラハンの地に町を再建。15世紀後半からアストラハン・ハン国の首都であったが、1547年、クリミア・ハン国の軍勢に包囲される。1556年にはイヴァン4世(イヴァン雷帝)によって征服され町は炎上する。1569年にはオスマン帝国の侵攻・包囲を受けるが、結局、オスマン帝国は撤退。以降、ロシアの前哨都市として発展。アルメニア人、ペルシア人、インド人、ヒヴァ人なども居住する国際的な交易都市となる。1670年、ステンカ・ラージンの率いた軍勢に占領され、ロシア政府に対する抵抗の拠点となった。
 
 
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