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カルタヘナ (Cartagena/SPA)


 紀元前227年ごろ、カルタゴの将軍ハスドルバルによって「カルト・ハダシュト」(新しい都市)という名で建てられた。紀元前8世紀にはすでにフェニキア人がイベリア半島の海岸に現れており、紀元前5世紀ごろにはイベリア人の一部族によって「マスティア」という町が建てられている。カルト・ハダシュトはイベリア半島におけるフェニキア人の都となり、紀元前218年、第二次ポエニ戦争においてハンニバルはこの町からイタリア侵攻に出発した。紀元前209年、将軍大スキピオに征服され、ローマの支配下に置かれて「カルタゴ・ノウァ」と呼ばれた。
 イスラム支配期には町は復興した。1245年、カスティーリャ王国に征服され司教座が再建されたが、1年後に司教座はムルシアに移された。1296年にアラゴン王国の手に渡ったが、1305年にカスティーリャ王国に返却された。
 
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