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★トレド☆ Toledo(Castilla-La Mancha/SPA)

城郭都市(城館・カスティ-リャ王国、スペイン王国) 平城 西ゴート王国 1085
 先史時代から人が住んでおり、ローマの領地となってからは「トレトゥム」と呼ばれた。西ゴート王国がイベリア半島を支配したのち、560年にアタナヒルド王によって首都とされた。トレドでは400年に第一回トレド教会会議が開かれていたが、西ゴート時代にもたびたび教会会議が開かれた。これによりトレド司教座の権威が高まり、イベリア半島全体の首座大司教座となった。711年、ウマイヤ朝の指揮官ターリク・ブン・ジヤードによって征服され、イスラム支配下に入った。後ウマイヤ朝が崩壊すると、タイファ諸国の一つトレド王国の領域となった。1085年、カスティーリャ王国による長期の包囲ののちトレドは降伏し、アルフォンソ6世は5月26日にトレドに入城した。そののちもカスティーリャ王国はムラービト朝の攻撃からトレドを守り抜いたため、トレド征服はレコンキスタの節目の一つとなっている。1085年、カステリア王アルフォンゾ6世がアラブ人の築いた城壁や城郭のあとを修理再建。1561年、フェリペ2世がトレドからマドリードに宮廷を移す。
 トレド征服以降、カスティーリャ王国やスペイン王国は定まった首都を持たず、トレドは一時的な宮廷の所在地であった。1561年、フェリペ2世がトレドからマドリードに宮廷を移すと、マドリードが首都として確定し、トレドはゆるやかに衰退を始め、現在に至っている。トレドのアルカサルは、19世紀から20世紀には有名な軍学校として使われた。1936年、スペイン内戦の初期に、共和国軍によってフランコ軍の守備隊に対するアルカサル攻囲戦が行われた。
 
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