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2013/04/01 - 2014/03/31 第5回総会まで

2012/04/01 - 2013/03/31 第4回総会まで    2014/04/01 - 2015/03/31 第6回総会まで
 
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2013.04.05 永森裕子(44回)  向陽プレスクラブ幹事会議事録
2013.04.05 岡林哲夫(40回)  2013年度総会・懇親会の再度のご案内
2013.04.09 森本浩志(36回)  よろしくお願いします
2013.07.10 岡林哲夫(40回)  昭和36年(1961年)〜39年(1964年)
2013.09.22 岡林哲夫(40回)  向陽プレスクラブ2013年度4月総会及び幹事会議事録
2013.10.01 坂本孝弘(52回)  向陽プレスクラブ高知支部懇親会のご案内
2013.11.20 坂本孝弘(52回)  高知支部懇親会のご報告
2013.12.01 藤宗俊一(42回)  自由闊達な学園生活
2014.02.09 岡林哲夫(40回)  向陽プレスクラブ幹事会議事録
2014.03.12 岡林哲夫(40回)  2014年度総会・懇親会のご案内
2014.03.27 岡林哲夫(40回)  向陽プレスクラブ幹事会議事録
2014.03.27 岡林哲夫(40回)  総会議案
2014.03.27 公文敏雄(35回)  100周年も間近、改めて母校の経営・教育方針を問う

 2010/04/01 - 2010/07/25 設立総会まで       2010/07/26 - 2011/04/10 第2回総会まで
 2011/04/11 - 2012/03/31 第3回総会まで       2012/04/01 - 2013/03/31 第4回総会まで
 2013/04/01 - 2014/03/31 第5回総会まで       2014/04/01 - 2015/03/31 第6回総会まで
 2015/04/01 - 2016/03/31 第7回総会まで       2016/04/01 - 2017/03/31 第8回総会まで
 2017/04/01 - 2018/03/31 第9回総会まで       2018/04/01 - 2019/03/31 第10回総会まで
 2019/04/01 - 2020/03/31 第11回総会まで       2020/04/01 - 2021/03/31 第12回総会まで
 2021/04/01 - 2022/03/31 第13回総会まで       2022/04/01 - 2022/12/31 現在まで
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向陽プレスクラブ幹事会議事録
永森裕子(44回) 2013.04.05
司会 岡林哲夫幹事長  書記 永森裕子
1.日時
 2013年3月2日  16:00−18:30
2.場所
 中央区立「京橋区民会館」
3.出席者
 中城正堯(30回) 岡林敏眞(32回) 公文敏雄(35回) 岡林哲夫(40回) 藤宗俊一(42回) 永森裕子(44回) 中井興一(45回) 水田幹久(48回)
※永森15分遅刻
4.総会開催について
 日時:2013年4月20日(土) 11:30−14:30
 場所:まるごと高知「おきゃく」
 総会後、直ちに幹事会を開催し、幹事長を選出する。その後、懇親会を開催する。
5.総会議案について
※岡林幹事長が用意した資料、総会議案に沿ってすすむ。
(1)2012年度活動報告
(2)2012年度会計報告
(3)第T期活動報告
(4)会則変更案
  細則第1条の改定 削除として総会に書ける。
(5)2013年度活動計画案.予算案
 活動計画
 1、総会.幹事会
   総会 4月20日 東京にて開催
   幹事会 総会後、幹事長及び幹事の分担を決める。
      9月頃 活動状況中間報告
      3月頃 年度総括、総会議案検討
      秋に高知支部懇親会   
 2、ホームペ−ジの充実
  ・「向陽新聞に見る土佐中高の歩み」を引き続き掲載
  この掲載は、あと4回。担当は、岡林哲夫、藤宗俊一、井上晶博、水田幹久。
  ・「甲子園観戦記」など母校にまつわる話題を募る。
 3、予算案
  幹事長作成のものに沿って検討  ※協力金の使途の目的が言えるようにする。
(6)旅費補助内規について 
  旅費補助は、60,000と変更する。
  旅費補助内規の制定 関東圏内と高知県内の往復:1万円と変更する。
  関東圏内、関西圏内、高知県内、各間の往復5千円と変更する。   
(7)会長の選挙、会計及び幹事の承認
  幹事会としては、次期会長として岡林敏真(32回)を推薦する。
3.総会後幹事会の議案について  
(1)幹事長の選出
  幹事長としては、森田隆博(37回)を推薦、岡林哲夫幹事長より打診する。
(2)各活動担当幹事の決定
   会計は岡林哲夫、書記は中井興一、とする。
4.中城さんより、土佐中.高学校関連資料リストの配布と提案。
  寄付金が集まっているので基本資料集CDを作ってはどうか。
  検討委員会を作る、という提案を議案として総会にかける。
※総会の案内の際に、会費納入のお願いをする。(藤宗担当)  
以上
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2013年度総会・懇親会の再度のご案内
岡林哲夫(40回) 2013.04.05
向陽プレスクラブ会員の皆様
2013年度向陽プレスクラブ総会・懇親会を次のように開催することになりましたので、お知らせします。
                  2013年3月22日 幹事長 岡林哲夫
*********************************************************************
向陽プレスクラブ2013年度総会のご案内
                 会長 中城正堯
 2013年度向陽プレスクラブの総会・懇親会を下記の要領で開催いたしますので、万障お繰り合わせの上、ご出席下さいますようお願いいたします。
 ご出欠は4月13日までに、本メールへの返信メール又は同封ハガキ(封書でのご案内の会員の方)でお願いいたします。欠席の方はお手数ですが議決権の委任を出席会員にお願いします(委任先氏名の記入の無い場合は会長に委任したものと扱います)。

案内図

総会・懇親会の日時・場所
日時:2013年4月20日(土)11:30〜14:30
場所:まるごと高知「おきゃく」
  東京都中央区銀座1-3-13 リープレックス銀座タワー 2階
  03-3538-4351
  http://www.marugotokochi.com/shop/okyaku.html
注)前回と時間、場所が変わっています、ご注意下さい。
 懇親会費は約5千円です。
議題:
 1.2012年度活動報告
 2.2012年度会計報告
 3.第?T期活動報告
 4.会則変更案
 5.2013年度活動計画案・予算案
 6.旅費補助内規について
 7.会長の選挙、会計及び幹事の承認
議案は添付の議案ファイル(PDF形式)です。
 決算は暫定版で当日会場でお渡し致しますが、お手数ですが当日は議案ファイルを印刷してお持ち下さい。
懇親会は総会及び幹事会終了後、直ちに行います。
懇親会費は約5千円です。
総会に欠席の方は年会費(2千円/年)の振込をよろしくお願いいたします。
(過年度分が未納の方は併せてお振り込み下さい。)
 振込口座:みずほ銀行 渋谷支店(210) 普通預金 8094113 向陽プレスクラブ
連絡先:幹事長 岡林哲夫
 メール:okbys@st.rim.or.jp
 携帯メール:ch3-ch2-oh.feo@ezweb.ne.jp
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新規会員
よろしくお願いします
森本浩志(36回) 2013.04.09
 卒業以来、大学、会社(関西電力)は関西でしたが、4年前から東京在住。いずれ関西に帰りますが、こちらでは土佐高関東36会の皆さんにお世話になっています。
 新聞部員としては、熱心でなかったこともあり、あまり関心がありませんでしたが、今回、プレスクラブでお作り頂いた向陽新聞のバックナンバーを読ませて頂き、懐かしく青春時代を思い出している次第。クラブ再設立頂きました皆さんのご努力に敬服しますと共に、感謝いたします。お役に立てることは何もありませんが、よろしくお願いします。
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向陽新聞に見る土佐中高の歩みF
昭和36年(1961年)〜39年(1964年)
岡林哲夫(40回) 2013.07.10
1.非行問題への全校での対応

筆者近影
 昭和36年2月18日の高知新聞夕刊に『高校生刺されて重体』という記事が掲載された。内容は同日午前10時頃土佐高1年I君が校内で刺された。加害者は同学年のAで当日いさかい中に短刀でI君を刺した。被害者も大型ナイフを持っていた。高知南署はAを殺人未遂の疑いで緊急逮捕したというものであった。
 同年6月の向陽新聞51号(以下、号数のみは向陽新聞)では、本件に対する生徒側の対応を詳細に報じている。この事件に驚いた生徒委員会はこの事件の原因が当事者にだけあるのではなく、事件前の校内の風紀の乱れにあるものとし生徒総会を二月二十日に直ちに開催・討議し、各クラスに風紀取り締り委員を設け、学校生活の改善に乗り出すことなどを決定した。
 学校側では生徒の個人的指導を行っていた「生徒部」に加え「特活部」を作り、クラブ活動やホーム等のグループ活動とその統率を行うことを仕事とするものであり、風紀委員会の設立も提案した。
 新聞部は「主張」で、特活部・風紀委員会の設置よりも学校が挙げてその根本原因を追及することが本当の姿だと述べている。
 この時期の課題の一つは中学での道徳の時間の導入であり、特にホームルームとの関係であった。新聞部はこの時期積極的に発言し、生徒の自主性とホームルームの活発化を促すとともに学校側の指導にも提言を行った。(52号55号
 昭和37年5月の55号では、『非行問題をさぐる』として総括し、刺傷事件と同時期の中三生による集団万引事件等は誤った英雄主義が背景にあり、盗難喫煙などは少なくなりつつあるが、不祥事件を絶滅するよう訴えている。 生徒側、学校側の危機意識に基づく対応もあり、この頃から非行問題関連の記事は減少している。
2.「団塊の世代」の入学及び劣悪な勉学環境の改善
 昭和22年生まれがベビーブーム世代(後に「団塊の世代」と呼ばれた)の第一陣であり、41回生が昭和35年に中学入学してから土佐中・高にもその影響が及んでいる。
 昭和36年6月の51号では中二編入生が当初予定の各クラス一名の四名であったのに四名ずつ十六名と大幅に増加し、『一クラス七十名に』になったと書いている。また、この学年が高校生になる昭和38年は高校進学希望者が増加するので私立校も収容して欲しいとの希望が県教委よりあったと伝えている。
 昭和36年12月の53号では、『来年度の中学校 六十名クラス実現』との見出しで、県教委の要請を受け中2、中3の編入生を増やし、昭和37年度から中1(43回)は4クラス、中2(42回)と中3(41回)は5クラスにすると書いてある。また、記事中に41回生からは高校6クラスになるとしている。土佐高の卒業名簿をみると41回、42回生は6クラスある。 中学のクラス名はアルファベット順なので4クラスを5クラスにするにはEの名称を使えば良いが、高校はTHOKS(土佐報恩感謝の頭文字と聞いていた)なので、6クラス目がどうなるか関心が集まったが結局Nとなった。当時の生徒の間ではNの理由は新しいからだとか担任のイニシャルからだとか諸説あったが向陽新聞には関連記事は記載されていない。
 昭和38年10月の59号には『運動会組分け決まる』と題し、クラス数が変則的なため組分けが心配されたが、前年と同様五色で優勝を争い、六クラスある高一はうち二クラスを一組にまとめ、四クラスしかない中一、中二は架空の組を一組作るとしている。
 この時期の向陽新聞では一クラスの人数もさることながら、教室の暗さ、売店の問題を勉学環境の問題として積極的に取り上げている。
 昭和36年10月の52号では『蛍光灯は必要ないか』とし、生徒代表から出された全教室に蛍光灯をつけて欲しいとの要望にたいし、学校側が雨の日くらいは我慢するように、配線工事が大がかりになるなどの理由で応じなかったことを報じた。翌年11月の56号では物理部が雨天の日の各教室の照度を測定し、黒板の明るさが足りないと判明したことや視力異常者の割合が県内他校、全国平均に比べ大きいことを指摘している。

高新連最優秀紙の選ばれた向陽新聞56号
 生徒側からの蛍光灯設置の要望に対し昭和38年度から予算の都合がついたとして、総額約六十万円で未設置の21教室に2灯計42灯を設置した。生徒からは不完全との声もあったが昭和38年6月の58号では『手さぐり教室に二条の光』とひねって報じた。
 また、56号では『激化する売店問題』として売店が生徒の便宜を図っていないとの結論生徒委員会が提起したと報じ、同問題を掘り下げるため一般生徒の意向調査としてアンケートを実施した。それらを基に「主張」で『食堂・売店は利益本位を捨てて“厚生施設”へ脱皮せよ』と論じた。翌年2月の57号では『売店運営の改善へ』と題し、改善が実施されつつあることを報じている。昭和38年10月の59号によれば同年8月に行われ百十校ほどが参加した全国高等学校新聞連盟(高新連)の新聞コンクールで慶応高、逗子高のものとともに56号が最優秀紙に選ばれた。
3.十一年ぶり甲子園出場
 昭和38年12月の60号では『県大会・四国大会 十一年振り三度目の優勝 甲子園出場は確定的』と大きく報じた。県大会の準決勝では優勝候補常連で数年勝てなかった高知高を接戦の末二対一で破り、決勝でも安芸高を降した。徳島県で開催された秋季四国大会では新居浜商、坂出商を破り決勝では、徳島海南高を降した安芸高と対戦し延長16回の末四対三で勝利した。
 高知商、高知高の壁が厚く甲子園への道が遠かった土佐高の両大会前の評価は低かったが、高知高を破って以来調子を上げ、見事四国大会での優勝に輝いた。新聞部は四国大会には3名の部員を派遣した。
 翌年3月の61号では『本校野球部甲子園へ』と題し、第三十六回選抜高校野球大会に四国から本校とともに安芸高、徳島海南高が選ばれたことを伝えている。なお、同号の一面ではジステリア禍が本校を襲い、卒業式が土電会館に変更となったことを報じている。

野球部の活躍記事と学校の野球至上批判
 昭和39年7月の62号では『ベスト4に輝く』『見事なグランドマナー』と題し野球部の活躍と全力疾走のグランドマナーを大きく取り上げた。一回戦は不戦勝で、二回戦では浜松商、三回戦では平安高(捕手:衣笠祥雄)を破り、準決勝で徳島海南高(投手:尾崎将司)と対戦し〇対一で惜敗した。因みに、この年の夏の甲子園では高知高(主将:有藤通世)が全国優勝した。
 62号では野球部の健闘を称え、輝かしい成果を報じるとともに、昭和39年4月8日付け高知新聞朝刊に掲載された土佐高の一生徒の投書“野球至上はイヤだ。スポーツに上下はない”を引用し、学校側の野球至上主義を「主張」で批判している。
 後援会のあり方や遠征費の問題等、新聞部は野球部だけを特別扱いにする学校側の姿勢は問題とし、他の部の活動にも目を向けるように主張した。
<まとめ>

森下先生と40回生の新聞部員
前列の3名は既に鬼籍に入ってしまった
 非行問題から始まった昭和30年代後半は全校での対応や勉学環境の改善とも相俟って落ち着きを持って昭和40年代を迎えようとしていた。その間、新聞部は生徒委員会を叱咤しつつ、時には協力して学校側に勉学環境の改善を促した。
 新しい情報発信手段が多数ある現在、それらを活用してかっての新聞部の機能を果たすような存在が生徒諸君から内発的に生まれることを期待したい。先輩としての立場の範囲で協力は惜しまない。
*  *  *  *  *
追記) 本稿の対象とした期間に新聞部顧問教諭としてご活躍された島崎(森下)睦美先生が本年5月14日にご逝去されました。心からご冥福を祈りします。
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向陽プレスクラブ2013年度4月総会及び幹事会議事録
岡林哲夫(40回) 2013.09.22
司会 岡林哲夫幹事長  書記 永森裕子
1.日時 4月20日(土)  11時30分−14時30分
2.場所 まるごと高知 「おきゃく」
3.出席者 中城正尭(30回) 大町玄(30回) 濱崎洸一(32回) 岡林敏眞(32回)
     吉川順三(34回) 公文敏雄(35回) 森本浩志(36回) 岡林哲夫(40回)
      藤宗俊一(42回) 永森裕子(44回) 中井興一(45回) 水田幹久(48回)
    ※永森20分遅れ、前半は水田が書記
4.岡林哲夫幹事長が開会時出席者11名、委任17名で会員47名中28名参加で総会は
  成立と報告
5.中城会長が開会の挨拶。謝意と辞意を表明。以下の進行は岡林哲夫幹事長が代行
6.以下、総会議案に従って進行
総会議案
 1)2012年度活動報告
     岡林幹事長から作成資料に基づき報告・承認
 2)2012年度会計報告
     岡林幹事長が次のプリントミスを口頭で訂正
     収入の部 「その他 40,000」を「その他 4,000」に
     支出の部 「幹事会・懇親会費」を「幹事会費」に
           同の金額「1,100」に「4,500」に
     中井興一会計担当が作成資料に沿って報告・承認
 3)第T期活動報告
     岡林幹事長から作成資料に基づき報告
 4)会則変更案
     細則第1条5)の削除を議決
 5)2013年度活動計画案・予算案
    <活動計画>を議決
@総会・幹事会
     総会は2014年4月26日(土)夕に東京にて開催
     総会終了後に懇親会
     幹事会
      ・総会後、幹事長及び幹事の分担を決める
      ・9月頃 「活動状況中間検討」
      ・3月頃 「年度総括、総会議案検討」
      ・高知・関西からの幹事会出席者に旅費を定額補助
     高知支部
      ・秋に高知支部懇親会
      ・東京、関西からの出席者に旅費を定額補助
Aホームページの充実
    ・「向陽新聞に見る土佐中高の歩み」を引き続き掲載
      今年度は岡林(40回)、藤宗(42回)
    ・「甲子園観戦記」などを募る
B百年史編纂協力活動
    ・「土佐中学創立基本資料集」を作成する
    ・資料集の概要は添付資料参照
    ・KPCメンバーで検討委員会を設置し、作成形態・公開方法等の具体策を
     検討する
    ・検討委員会は会長が指名し、検討結果は幹事会の承認を得て実施する
Cその他
    ・会員の拡充を図る
    ・向陽新聞バックナンバーCDの頒布を行う
<予算案>
   幹事会提案を議決
6)旅費補助内規について
  幹事会提案を議決。
7)会長の選挙、会計及び幹事の承認
  会長に岡林敏眞(32回)を選出
    幹事に吉川順三(34回)、公文敏雄(35回)、森田隆博(37回)、岡林哲夫(40回)
    藤宗俊一(42回)、永森裕子(44回)、井上晶博(44回)、水田幹久(48回)、
    山本嘉博(51回) を承認
7.総会で選任された岡林敏眞新会長から挨拶があり、総会を終了した
8.なお、総会後開催された幹事会で、幹事長:岡林哲夫、ホームページ担当:藤宗俊一、
     書記:永森裕子、高知担当:井上晶博・山本嘉博の役割分担を決定した(会計:中井
     興一は総会で承認済み)
9.その後、皿鉢形式の特製料理で懇親。近況の報告などを行った

懇親会写真へ
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向陽プレスクラブ高知支部懇親会のご案内
坂本孝弘(52回) 2013.10.01
向陽プレスクラブ会員の皆様
幹事 井上 晶博(44回生)・山本 嘉博(51回生)・坂本 孝弘(52回生)
 秋涼の候 皆様には益々ご清祥のこととお喜び申し上げます。
 さて、標記の会を下記の通り準備いたしましたので、会員の皆様には奮ってご出席頂くよう、ご案内申し上げます。

久すのせ案内図
日時:平成25年11月16日(土)午後6時
会場:久すのせ
住所:高知市廿代町8−2、 ミルズビル1階
電話:(088)855−5201
会費:5千円(飲み放題)
※ご都合を、10月末までにご連絡ください。当日・前日等の急な場合の連絡先は、会員個人宛のメール、または、連絡ハガキでご確認ください。
※なお、メール登録の会員の方にはメールで、未登録の方には往復はがきでご案内しています。
 (ハガキ発送は、10月2日頃の予定です)
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高知支部懇親会のご報告
坂本孝弘(52回) 2013.11.20
 平成25年11月16日(土)、第4回向陽プレスクラブ高知支部懇親会が、午後6時より高知市廿代町の「久すのせ」にて、10人の参加で開催されました。
 参加者(敬称略)

高知支部懇親会
  森木光司(32回生、いの町)
  公文敏雄(35回生、中野区)
  森田隆博(37回生、船橋市)
  井上晶博(44回生、高知市)
  岩口(川田)智賀子(45回生、南国市)
  山岡伸一(45回生、南国市)
  宮川隆彦(46回生、高知市)
  山本嘉博(51回生、高知市)
  久保寛雄(51回生、高知市)
  坂本孝弘(52回生、土佐市)
 森木さんの乾杯のご発声で開宴し、あっと言う間の楽しい2時間30分でした。
 森木さんは、ご挨拶の中で、健康保険が後期高齢者になったと笑い飛ばしておられましたが、急患が入ったとの知らせに、宴半ばで、颯爽と帰られました。

高知支部懇親会
 公文さん、森田さんには、わざわざ関東からご参加いただきました。
 諸先輩方の昔話、今回の一連の向陽新聞のデジタル化に関するお話に、つい聞き入ってしまい、飲んべえの私にしては、いつになくピッチが上がらなかったような気がします。
 特に、新聞部の先輩後輩の繋がりの深さというか絆の強さには、改めて感じ入りました。それが、こういう現在の東京や高知での集いに繋がっているのですね。
 後輩が都会に大学受験に行ったときに先輩が面倒を見るとか、また、卒業した先輩に発行した向陽新聞を送るとか、そういう発想は我々の時には全くなかったです。ただ、直接知っている先輩は1学年上の、久保寛雄さん、山本嘉博さん、小島吉晴さんの3人だけで、それ以前の方は、仕事で関係のあった限られた方を除いて、つい最近まで全くお会いすることもなかったのですが。

高知支部懇親会
 私の頃の新聞部の様子なども近々投稿したいと思っておりますが、取り敢えず、簡単で申し訳ありませんが、高知支部懇親会の無事終了の報告とさせていただきます。
 何も話し合いがなかったので、来年も幹事をさせていただくことになると思っております。その節は、また多くの方にご参加を

森田隆博氏撮影
よろしくお願い申し上げます。
 ご出席の皆さんありがとうございました。
 岡林会長さん、岡林幹事長さん、会計の中井さんには、いろいろとご連絡いただき、ありがとうございました。
 藤宗さんには、私のメールの設定、KPCのホームページへの案内の掲載などしていただきありがとうございました。
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向陽新聞に見る土佐中高の歩みG          昭和38年(60号)〜昭和42年(73号)
自由闊達な学園生活
藤宗俊一(42回) 2013.12.01

筆者近影
 昭和(以下略)33年、第1回卒業生の曽我部氏が“明るい学園建設”を目標として新校長に就任して(44号)5年、戦後生まれの生徒たちが学園の中心になり、新しい学園を目指して、種々の問題に取り組んだ。それは、団塊の世代の宿命とさえいえる改革の嵐の中で翻弄されながら、未熟ながらも戦いぬいた足跡であり、その後の大学紛争へと続く助走であったかもしれない。
 やぐら廃止問題

櫓が林立する運動会(41年)
当時の櫓は足場丸太を組み、杉や檜の葉を巻き付けた。
 運動会に欠かせない櫓の廃止が検討されはじめたのは38年頃からで(60号)、理由としては@費用が非常にかかることA建築ブームでやぐらに使用するパネルの入手が困難なことB杉の葉をとりよせる際や、その他の用具、材料運搬の際の生徒の災害C設立の際の生徒のエスケープD応援の不徹定E危険性F後始末Gファイアーストームの乱れ等(63号)が学校側からあげられた。その後、繰り返し取り上げられ(64号68号)、生徒の深い関心が寄せられている。その間に、スタンド式櫓の採用、前夜祭の廃止、杉の葉の共同購入などさまざま改善策がとられ、櫓は存続した。
 遠征費問題と野球至上主義
 それまで学校と個人(保護者)が負担してきた部活動の遠征費の一部を全生徒で負担するよう曽我部校長から提案がなされた(39年63号)。その春、11年ぶりの甲子園出場を果たしベスト4に進んだ野球部の活躍で部活動に関心が高まり、「自分達の代表という意味で生徒自らが出費するのが理想」という考えに基づくものであった。それまでは振興会からの10万円と売店の利益から約50万円が補助されていたが、諸物価の上昇と遠征環境の改善(宿泊、食事)を目的として一人当たり年間150円(総額約27万円)の徴収案が検討され(65号)、遠征代表委員会が発足し(67号)生徒が遠征の可否について検討し、校長に諮問する体制が整った。ただ、売店からの補助は20万円に減額され、遠征環境の改善という当初の目的はいつのまにか消えてしまい、生徒の一部から「結局、先生方の懇親費になってしまっただけさ」という不満が渦巻いていた。

41年春、センバツ準優勝の凱旋式(高知駅)
 野球部とバスケット部の遠征はそれぞれの後援会からの寄付で賄われ、特に野球部の甲子園出場の際には、後援会によって卒業生を含め全学的な寄付が集められたが、学校も生徒も関与することができず、その多額の寄付の使途や剰余金については後援会の判断にまかされていて、野球部合宿所の建設(69号71号)の際には他の運動部から怨嗟の声があがった。
 41年春のセンバツ準優勝時の号(71号)では、新聞部では従来から『野球至上主義批判』(62号・主張等)を展開していたのと、発行が7月になりニュース性が乏しくなり、一切そのことに触れていない。高校野球ファンの筆者としては少し淋しい気がしないでもない(28年夏の準優勝も向陽新聞は一切触れていない)。
 校舎改築問題

42年当時の玄関風景
 老朽化した校舎の改築が検討され始め、39年には敷地内で地盤調査が行われた(63号)。軟弱で不安定だという結果に、新たに設けられた『学校改築基礎調査会』では具体的な提案は出ず仕舞いだった。70号では直接校長へのインタヴューを行い『50周年を目途に…』という言葉を引き出したが、41年4月から何の具体策もないまま生徒一人あたり月700円の校舎建築協力金を集めることを決定し(72号)、73号では生徒の間にアンケート調査を行っている。結果は30%近くの生徒が『急ぐ必要はない』と答えている。『どうせ入れない』からというのがその理由で学校側は『後輩たちのために…』という大義を持ち出しているが、具体策は決まらないままである。
 その他の問題
 64号69号71号73号と3年間で4号の四面構成をして、特集を組んでいる。運動会、学生、HR、修学旅行、大学受験、規律の乱れ、授業等の問題点を深く掘り下げて報道している。特筆すべきは、73号で、初めての試みとして『中学生版』に一面を割いている。
 生徒の活躍

執行部が発行した翌桧(41年)
 向陽会関連では規約改正(61号:執行部制、66号:美化委員会、67号:執行部2期制)や向陽会費値上げ(64号)や執行部人事(ほぼ毎号)などに多くの紙面を割いている。学校新聞の立場上当然のことであるが、新聞部部員の多くが執行部経験者であることで、意志の疎通が図られたといえよう。43回生の会長は二人とも新聞部出身者であり、41年にはその経験を生かし執行部の広報誌『翌桧』を発行している。
 運動部では、野球部だけでなく、ハンド部、柔道部、水泳部、弓道部、庭球部などが目立った活躍をし、四国大会や県大会などで毎年のように優勝している。文化部では、最大イベントである文化祭の話題が取り上げられ(61号64号69号71号72号)、マンネリ改善が検討されている。また、それ以外に『理科三部合同発表会』や『文化部(ブラバン、舞踊、音楽)発表会』が行われるとともに(60号)、校外活動としてブラバンの初めての『スプリング・コンサート』(66号)や『美術・書道合同展』(71号)が催され、県高校写真コンクールでの特選入賞(72号)が報じられている。一方、64号では演劇、軟式野球部(26年全国制覇)が自らの申し出で廃部が決まり、代わりに東洋の魔女の活躍の影響か、バレー部が同好会から昇格している(64号)。

走れ Dreamer! (39年)
 また、個人的な活動として、芸術院展書道の部入選(65号)、自力でのヨット製作(63号)など学生レベルを超えた活躍が報告されている。尚、この二人は、現在も書道やヨット製作に関連する職業に携わっており、土佐校の教育が如何に自主性を重んじたかを示す記事といえる。
 海外に目をむけると、毎年のようにAFS交換留学生として渡米する生徒がいると同時に、個人でも海外に翔く生徒の記事が紙面を飾り(65号71号)、40年には旺文社世界一周特派員に選ばれ6ヶ国21都市を訪れた女生徒がその見聞を報告している(67号)。
 先生の活躍

オンカンの訃報(42年)
 最も頻繁に紙面に登場するのは美術の高崎で(60号61号64号65号67号)、海外にまで紹介されたと報じられている。他にも西川(美術:64号)、中山(県出版文化賞:67号)、政岡(県体育協会功労賞:73号)などの先生方の活躍が紙面に掲載されている。只、42年73号ではオンカンの訃報が報じられ、生徒達は皆、超名物教師の死に哀悼の意を表した。

42年当時の名物教師の一部
 そのオンカン(中山)から始まった29年の24号の『ちょっと失礼』が39年64号の花王石鹸(森下)で10年間計38回(途中3回の休載)の長い連載を終了する。もともと、職場結婚した新婚ほやほやのガンキチ(元吉)の家庭を襲撃した『希望探訪(22号)』を発展させたもので、カマス、タコ、ナオサン、タヌキ、パンツ、アヒルなど錚々たる先生方の学校を離れた家庭での姿が描かれている。今、読み返してみるとあたりまえの光景であるがおしなべて(例外もたまにある)、しっかりオクサマ(ダンナサマ)にコントロールされていて、生徒たちは学校での姿とのギャップの大きさに欣喜した。

花王石鹸への一寸失礼(39年)
 それが終わったのは、新任教師がサラリーマン化し、綽名を付けてもらえるクセのある教師がほぼ登場し終わったことによる。最後は新聞部顧問であった花王石鹸で、たった3年間勤めただけで、かわいい教え子たちを見捨てて結婚のため退職・上京する餞(恨み)に女性記者が襲撃したが、『週刊誌みたいな質問には答えませんよ』と最初に釘をさされ、新聞部OGの貫録にタジタジであったとか…。くしくも、先生の結婚という出来事が開始と終了の契機となっている。
 曽我部校長
 この期間は、校長が就任してからの最初の中学生(40回生)以降の生徒が高校時代を過ごした期間と重なり、卒業式では『自由な学園だった』という言葉があちこちで聞かれた(65号)。

40回生の卒壕式(40年)
41年春には、センバツ準優勝とともに、大学入試で東大合格者数が史上最多の18名(新聞部でも3名が合格し、後輩たちに『あんな程度で…』と身の程知らずの野望を植え付けてしまった。)を数え、合格率70%を超える結果を残し(71号)、全国に『文武両道の土佐校』の名を定着させた。それは、決して『報恩感謝』の下で成し遂げられたものではなく、曽我部校長の下、多くの名物教師と負けん気な生徒たちが織り成す『自由闊達』な学園生活の賜であったと考えるのは不遜であろうか。
 最後に
 当時、新聞に書けなかったそれを表すエピソードを一つ。某所で某名物教師から『よう出ゆうのお。すっかりすってしもうたきにちっくと貸いてくれんかえ』と声をかけられ、ごっそり持って行かれた某君、翌日恐る恐る学校にいったら、授業中しっかり難しい問題を解かされ『良い勉強になった』とか。今の学校では考えられますか。
《なが〜いあとがき》
 筆山用原稿作成の際、編集委員の皆様に校正をお願いをいたしましたが、いろんなご指摘や、ご意見をいただき、ありがとうございました。誤記や欠落等技術的なことは別にして、ご意見に対してはちゃんとお返事するのが責務と考えコメントを付け掲載させて頂きます。
「やぐら廃止問題」
▼ やぐら廃止問題でのBで「生徒の災害」とあるのは、怪我などの被害を受けるという意味なのですね。(岡林敏)
△ ご指摘のとおりですが、原文どおり(63号)で、通達文を書いた先生か、記事を書いた人(誰?えっ私?)の語彙力不足だと思います。
▼ 以前、紙面で読んだときにも疑問に思ったのですが、「杉の葉」というのが私にはピンとこないというか、櫓とどういう関係にあるのか分かりません。下宿していたため、櫓の製作にはほとんど関わることができませんでしたが、当日は櫓の中でいろいろと裏方なども(あまりたいしたことではなかったと思いますが)していました。しかし「杉の葉」と言われても思い当たる記憶がありません。私だけかもしれませんが、今の土佐校生なども読む前提であれば、簡潔な注釈があったら、よいかもしれません。(坂本)
△ 世代が変わると、櫓も変わるということですね。あの苦労した穴掘り(鉄棒でグランドの固い砂利混じりの土を砕き、空き缶でそれを取り出し、細くて深い穴を作る)など想像もつかないでしょう。写真のキャプションに付記しました。
「遠征費問題と野球至上主義」
▼ 運動部と文化部の確執では、5月に逝去された島崎(森下)睦美さん(31回生)がらみで昭和29年5月の出来事が忘れられない。亡き島崎さんへの御礼を込めて、記しておこう。
 年度初めの部活予算会(学校の原案を各部代表の会議で審議)に、新聞部代表として出席、原案の運動部、特に野球部・サッカー部などへの配分偏重を批判した。
 5月の修学旅行の際、ビンボウで参加しなかった私たちは、2年生の五台山遠足に同行することになった。当日、森下さんがやってきて、「今日は絶対一人にならないよう注意ください。サッカー部のM君たちが『中城を襲う』といきまいている」とのこと。口喧嘩ならともかく、格闘技はからきしだめなので、同級生の山本巌(東大剣道部)さんにも話しで護衛してもらったが、なにより森下、谷岡、西岡の31回生新聞部3人娘の活躍で、無事難を逃れることが出来た。森下さんに続いて巌さんも、9月にあの世に旅立った。合掌。(中城)
△ あの御船頭(おふながしら)の中城家が修学旅行にやれない程にビンボウだったとは信じられません。格闘技がからきしダメだったのは想像できますけれど。
▼ 当時は普通だったと思いますが、今、教育現場では、「父兄」という言葉はタブーになっています。「父母」も肩身が狭く、「保護者」が標準になっています。(坂本)
△ う〜む。恐るべしPTA…これも禁句?。「高校生に保護など無用」、「子(孫)離れしろ」、「女は…」、言えない。ご指摘のとおり、訂正しました。
「先生方の活躍」
△ ちょっと失礼に登場された先生方のお名前と綽名を記載順に列記します。数字は号数です。サカイ族の登場が遅れたのは漱石を尊敬する文筆家で他の号にも屡々登場されていたためではないかと思います。花王石鹸は在任期間が短く公認されていませんが、横顔と三日月のロゴマーク(当時の)を結びつけた綽名です。姓名から判断できる先生は除いて他の綽名の由来も正確に教えていただければ幸いです。彼女を除いて、私たちが入学した時は既に公認されていました。
 22元吉(ガンキチ),24中山(オンカン),25吉本泰,26富田,27片岡満(カタマン),28山本(ナオサン),29田内(タヌキ),30竹村(イッスイ),31久保田(マンタロウ),32松浦,33吉本要(カマス),34古谷(パンツ),35片岡敏(タコ),36中沢(アヒル),37山岸,38町田,39池田,40正木,41木内,42高崎,43西野,44曽我部,45永野(カエル),46櫛下,47石川,48平林(ヒラリン),49森本,50休,51休,52松尾,53平岡竹,54浜口(シチメンチョウ),55木戸,56河原崎,57森木,58新階,59西,60小松(サカイ族),61籠尾,62西川,63休,64森下(花王石鹸)
「曽我部校長」
▼ 報恩感謝は、THOKSのクラス名に関係すること(?)くらいの感じでしか受け取ってなかったことは確かですね。(井上)
△ 私も同じです。次の中城さんのご意見をお聞き下さい。
▼ できればKPCホームページで歴代校長の業績を振り返る座談会でも企画ください。大嶋体制が晩年に変質したのを、卒業生として初代校長となった曽我部さんが、大嶋時代の戦後民主主義教育と本来の設立趣旨をよく融合させ、自由闊達な校風を確立してくれたと思います。その後、宇田理事長が城東中(現・追手前高校)の同級生・森田氏を校長としてすっかりおかしくなりました。その一つが「報恩感謝」を校是などと言い出したことで、これはまだ精算されていません。というより、森田校長時代の変質に気づいてないのです。(中城)
△ 人選から、会場設定、とても編集人ごときの手に負えません。会長、幹事長、宜しくお願い致します。
 おかしくなったのは森田さんを待つまでもなく、東大入試中止とそれに起因する共通一次試験(現在センター試験)の導入でそれまでの教育理念が通用しなくなって、名物教師や自由闊達な学生の行き場が無くなってしまったことではないでしょうか。全て、国(文科省)が、楽な道(天下り確保も含む)をとり、教育現場もそれに追随したのが原因だと思っています。私に言わせれば、曽我部さんにもそれに対抗できなかった責任があると思います。私学に必要なのはしっかりとした教育理念を持ち良い先生と生徒を集められる教育者と、それを支える理事長(桐蔭学園の故鵜川さんみたいに一緒でも良い…※1)だと思っています。難しい課題ですけれど。勿論、報恩感謝の理念が時代錯誤だというのは自明です。
※1:鵜川昇:元桐蔭学園学長・理事長・中教審臨時委員。毀誉褒貶の多い人物であるが魅力のある教育者でした。栃木高校をレッドパージの影響で退職し、その当時の教え子に宇井純氏がいた(wiki)。30年以上も前に、学園のマスタープランから女子部建設、中小幼部建設までお手伝いさせてもらいました。
「最後に」
▼ やはり、最後の文章を掲載するのはまずいかもしれませんね。当時の雰囲気を伝えるのにはいいのですが。名物教師は早晩消えゆく運命です。これだけ学校を取り巻く環境が変わると、昔なら笑って済ませたことが、社会問題になり新聞種になるご時世です。現場に身を置く立場では、あの当時だからできたのではと考えてしまいます。(多分に自己弁護や逃げも入ってますが・・・・)(井上)
▼ ■■■■と●●●●のことだと推測しますが、先生の●●●●好きを知らない人は、何の事だかわからないので削除したらと思います。(岡林敏)
▼ 特に意見ではありませんが、これは■■さんですよね。……。このネタは、52回生の卒業記念アルバムの特別出張号外(巻末近くの見開き2頁)で、私も使いました。(坂本)
▼ 某教師の●●●●行状記、筆山はともかく何らかの形で残して下さい。(中城)
△ ●■は先生方の名誉のために伏字にしました。しかし、生徒は当然だとしても、■■さんが10年たっても性懲りも無く同じことをしていたとは!!それにしても、●●●●好きの先生方には協定があったのではないかと思ってしまいました。筆山には字数制限もあり、「最後に」の部分(前書の後半部も)を削除して渡しましたが、HPはあくまでも個人の投稿文なので、復活して掲載してあります。この件では、最近弱気な中城さんから『お前は弱気だ!』となじられています。
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向陽プレスクラブ幹事会議事録
岡林哲夫(40回) 2014.02.09
司会進行・書記 岡林哲夫
1.日時 ・場所
 2013年9月28日 14:30−17:00
 京橋区民会館
2.出席者
 岡林敏眞 公文敏雄 森田隆博 岡林哲夫 藤宗俊一 中井興一
 委任状 井上晶博 水田幹久 以上10名
議題
3.2012年度上半期事業報告 ・会計報告
 @ 会議.懇親会の開催
  *総会.懇親会 4月20日(土)11:30−14:30
   まるごと高知「おきゃく」
  *総会・懇親会後に幹事会を開催し、役割分担を決めた
 A「土佐中学創立基本資料集」検討委員会を公文敏雄氏を委員長とし発足
 会計報告 −略−
4.書記の追加について
  永森氏の健康状態を考慮し、水田氏にも書記をお願いする。
  今回は水田氏欠席なので岡林が代行する。
5.母校の発展のために何をするか
  「母校の発展」とは何かも含め自由討議
  議論百出したが明確な結論には至らなかった
  (議論がまとまらないのがKPCらしさとの意見もあり)
6.「土佐中学創立基本資料集」検討状況
  公文委員長より検討状況の報告があり、内容・体裁・費用について了承した
7.次回幹事会は2014年3月9日(日)、時間・場所未定
  来年総会は3014年4月26日(土)夕、場所未定
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2014年度総会・懇親会のご案内
岡林哲夫(40回) 2014.03.12
KPC会員の皆様
2014年度の総会・懇親会を下記の要領での開催を準備中です。
議案は後ほどお送りしますが、スケジュールに登録しておいて
下さい。
 日時:2014年4月26日(土)   17:00〜17:30 総会
                     17:30〜19:30 懇親会
 場所:「ねぼけ 丸の内店」
     千代田区丸の内2-1-1 丸の内 MY PLAZA B1
     03-3212-9640
 議題:後ほど送ります
 懇親会費 5千円徴収予定
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向陽プレスクラブ幹事会議事録
岡林哲夫(40回) 2014.03.27
司会進行・文責 岡林哲夫
T 日時・場所
  2014年3月9日(日)9:30〜12:00
  京橋区民館
U 出席者
  岡林敏眞、公文敏雄、岡林哲夫、藤宗俊一、中井興一
  委任状 吉川順三 永森裕子 水田幹久(議案案のみ)
                          以上8名
 (参加者)北村章彦
V 議題
0.本幹事会の書記の依頼
 岡林幹事長より、永森、水田両氏が欠席のため、議題0及び1につき中井氏に、議題2及び3につき北村氏に書記を願いたい旨要請があり、両氏共これを承諾した。
 森田幹事の辞任・退会表明について
 岡林幹事長より、森田幹事より3月3日幹事宛メールにてCD協力金の使途、土佐中學校創立基本資料集に関する会の運営方法等に異論があり、幹事を辞任、更には会を退会したい旨の申し出があったとの報告があり、慰留してはとの意見もあったが、会則第6条の規定による申し出があったものと認め、会の脱退とそれに伴い幹事の辞任について了承することとした。
1.「土佐中學校創立基本資料集」の作成について
 資料集検討委員会委員長公文幹事より、別紙作業状況報告の通り報告があり、
 また北村氏より印刷費用見積もりにつき説明があった。
 これにつき、出席各幹事より、
 ・費用が多額であり、会から費用を出して印刷する必要はない
 ・費用はとりあえず自分が負担し学校等有志の寄付を受け入れる
 ・向陽新聞CDの様に、印刷し協力金にて費用を賄う
 ・会より費用を出し、印刷の上理事会理事、教職員等学校関係者他に配布する
  等々の意見が出され議論した結果、
(1)? PDFにてホームページに掲載する
(2)? KPC会員各位、母校(理事、教職員、図書室等用)、同窓会本支部などへの配布を念頭に、120部印刷・作成することで見積もりの再提出を受け、2014年度予算案に盛り込み、4月開催の総会にて了承を求めることとなった。
2.2014年度総会について
  日時:2014年4月26日(土)  17:30〜19:30 懇親会
  場所:「ねぼけ 丸の内店」
   千代田区丸の内2-1-1?丸の内 MY PLAZA B1
   03-3212-9640
  議題:次議案
  懇親会費 5千円徴収予定(飲み放題付き7千円のコースを予定)
 で開催することとした。
3.総会議案について
1)開会 岡林会長
2)2013年度活動報告 岡林幹事長原案 承認
3)「土佐中學校創立基本資料集」発刊の意義・経緯・今後の予定
   公文委員長原案 承認 また議案1の審議通り
4)2013年度会計報告 中井会計の原案承認
5)2014年度活動計画案,予算案 岡林幹事長原案 承認
6)幹事の追加承認について
   北村章彦(49回)坂本孝弘(52回)両名を追加幹事として総会に提案する。
  坂本氏については井上幹事から意向を確認してもらってから提案する。(後日、快諾を得た)
7)その他
  KPCホームページに会員推奨の図書を紹介する欄を作る案
  ・KPCホームページに会員の推奨する図書の感想や書評を積極的に掲載する。
  ・KPCホームページのタイトルを「図書室」とし,会員有志が順次書き,載せることでスタートする。
  ・在校生にKPCのHPへのアクセスを増やすよう働きかける。 
(総会議案については、整理中の会計報告を除き別掲)
(別紙)
「創立基本資料集」作業状況報告
 編集会議開催記録:(出席者:岡林会長、岡林幹事長、北村章彦、公文敏雄)
  平成25年12月13日 午後6時〜8時30分
  場所:四谷「主婦会館プラザエフ」4F会議室 マドレーヌ
  平成26年1月12日 午前9時〜12時
  場所:京橋区民会館
A.作業進捗状況:
1.原稿の作成・校正
 巻頭言(岡林敏眞氏作・資料集作成の趣意を説明)、基本資料4点セット(=宇田友四郎翁、川崎幾三郎翁傳、三根先生追悼誌、土佐中學校要覧 それぞれ現代文訳と原文)、資料解説(中城正堯氏作)の校正ほぼ完了。巻末の編集後記(簡単に関係者への御礼=公文担当)と奥付は未完
2.ページ構成の確認
○印刷用紙:
 B5縦・縦書き、本文フォントMS明朝10.5ポイント
 各ページ15〜19行、各行53字(ワード)
○表紙:
 表紙には宇田、川崎、三根三氏の顔写真を入れる。土佐中高の校章もカバーに配する。委細は印刷所とも協議の上案を作って後日決定する。
○写真の取り扱い:
 原典に掲載された写真は資料集でも極力忠実に収録する(現代文訳のほうにも)。写真は藤宗俊一が作成したPDFを利用
3.表題(仮)
 「土佐中學を創った人々―土佐中學校創立基本資料集」
 (以上でおよそ180ページ内外)
B.印刷費用見積もり
  約17万円 但し有志の寄金も可能性あり(土佐高を含む)
C.今後の進め方・日程の目安
 3月9日(日)幹事会で印刷の承認を得る(→印刷所に持ち込む)
 4月26日(土)KPC総会で配布を目指す(内容を最終確認していただく) 
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総会議案
岡林哲夫(40回) 2014.03.27
2014年4月26日(土) KPC総会
総会議案
 1) 開会   岡林会長
 2) 2013年度活動報告               (資料1)
 3) 「土佐中學校創立基本資料集」発刊の意義・経緯  (資料2)
 4) 2013年度会計報告               (資料3)
 5) 2014年度活動計画案・予算案          (資料4)
 6) 幹事追加の承認について
    北村章彦(49回)、坂本孝弘(52回)
 7) その他
  日時:2014年4月26日(土)17:00〜
  場所:「ねぼけ 丸の内店」
(資料1) 2013年度活動報告(活動計画順)
T 総会・幹事会
 総会・懇親会
  1.日時 4月20日(土)  11時30分−14時30分
  2.場所 まるごと高知 「おきゃく」
  3.出席者 中城正尭(30回) 大町玄(30回) 濱崎洸一(32回) 岡林敏眞(32回)
  吉川順三(34回) 公文敏雄(35回) 森本浩志(36回) 岡林哲夫(40回)
   藤宗俊一(42回) 永森裕子(44回) 中井興一(45回) 水田幹久(48回)
   開会時出席者11名、委任17名で会員47名中28名参加、総会は成立
  4.中城会長が開会の挨拶。謝意と辞意を表明。以下の進行は岡林哲夫幹事長が代行
  6.以下、総会議案に従って進行
 総会議案
  1)2012年度活動報告
  2)2012年度会計報告
  3)第T期活動報告
  4)会則変更案
  5)2013年度活動計画案・予算案
   @総会・幹事会
   Aホームページの充実
   B百年史編纂協力活動
   Cその他
  6)旅費補助内規について
  以上の議案・報告を承認  
  7)会長の選挙、会計及び幹事の承認
   会長に岡林敏眞(32回)を選出
   会計に中井興一(45回)を承認
   幹事に吉川順三(34回)、公文敏雄(35回)、森田隆博(37回)、岡林哲夫(40回)
   藤宗俊一(42回)、永森裕子(44回)、井上晶博(44回)、水田幹久(48回)、
   山本嘉博(51回) を承認
  7.その後、皿鉢形式の特製料理で懇親。近況の報告などを行った
 幹事会
  2013年4月20日:総会後開催された幹事会で、幹事長:岡林哲夫、ホームページ担当:藤宗俊一、
  書記:永森裕子、高知担当:井上晶博・山本嘉博の役割分担を決定した(会計:中井興一は総会で承認済み)
  2013年9月28日:上期の活動報告・会計報告を確認した。
  土佐中創立基本資料集検討委員会の発足と検討状況の報告が公文委員長からあった。
  母校の発展への貢献とは何かについて議論を行った。
  書記の役割を水田幹久も行うことを決定した。
  2014年3月9日: 「土佐中學校創立基本資料集」の作成について公文委員長から報告があった。
  総会の開催及び議案を決定した。
 高知支部懇親会
  2013年11月16日(土)廿代町「久すのせ」にて開催。
  出席者:森木光司(32回)、公文敏雄(35回)、森田隆博(37回)、井上晶博(44回)、
   岩口(川田)智賀子(45回)、山岡伸一(45回)、宮川隆彦(46回)、山本嘉博(51回)、
   久保寛雄(51回)、坂本孝弘(52回)
U ホームページの充実
  「向陽新聞に見る土佐中高の歩みF、G」
  「向陽プレスクラブ2013年度4月総会及び幹事会議事録」
  「高知支部懇親会の案内及び報告」
  「幹事会議事録」を掲載
V 百年史編纂協力
  土佐中創立基本資料集検討委員会発足(委員は岡林会長が委嘱)
   委員長:公文敏雄
   委 員:岡林哲夫、井上晶博、北村章彦(49回)
   顧 問:岡林敏眞
  詳細は資料2に基づき公文委員長から報告
W その他
  ※バックナンバーCDの頒布  4枚
  ※新規入会  森本浩志(36回))
  ※弔電    島崎(森下)睦美(31回、新聞部顧問。5月14日逝去)
(資料2) 「創立基本資料集」作業状況報告
 編集会議開催記録:(出席者:岡林会長、岡林幹事長、北村章彦、公文敏雄)
 平成25年12月13日 午後6時〜8時30分
 場所:四谷「主婦会館プラザエフ」4F会議室 マドレーヌ
 平成26年1月12日 午前9時〜12時
 場所:京橋区民会館
A.作業進捗状況:
1.原稿の作成・校正
 巻頭言(岡林敏眞氏作・資料集作成の趣意を説明)、基本資料4点セット(=宇田友四郎翁、川崎幾三郎翁傳、三根先生追悼誌、土佐中學校要覧 それぞれ現代文訳と原文)、資料解説(中城正堯氏作)の校正ほぼ完了。巻末の編集後記(簡単に関係者への御礼=公文担当)と奥付は未完
2.ページ構成の確認
○印刷用紙:
 B5縦・縦書き、本文フォントMS明朝10.5ポイント
 各ページ15〜19行、各行53字(ワード)
○表紙:
 表紙には宇田、川崎、三根三氏の顔写真を入れる。土佐中高の校章もカバーに配する。委細は印刷所とも協議の上案を作って後日決定する。
○写真の取り扱い:
 原典に掲載された写真は資料集でも極力忠実に収録する(現代文訳のほうにも)。写真は藤宗氏が作成したPDFを利用
3.表題(仮)
 「土佐中學を創った人々―土佐中學校創立基本資料集」
 (以上でおよそ180ページ内外)
B.印刷費用見積もり
 約17万円 但し有志の寄金も可能性あり(土佐高を含む)
C.今後の進め方・日程の目安
 4月26日(土)KPC総会で配布を目指す(内容を最終確認していただく) 
(資料3) 2013年度会計報告 
(計数整理中)
(資料4) 2014年度活動計画案・予算案   
<活動計画>
1.総会・幹事会
 総会
  2014年4月26日(土)に東京にて開催
  総会終了後に懇親会
  (2015年度は4月25日(土)に東京にて開催予定)
 幹事会
  ・9月頃 「活動状況中間検討」
  ・3月頃 「年度総括、総会議案検討」
  ・高知・関西からの幹事会出席者に旅費を定額補助
 高知支部
  ・秋に高知支部懇親会
  ・東京、関西からの出席者に旅費を定額補助
2.ホームページの充実
  ・「向陽新聞に見る土佐中高の歩み」を引き続き掲載
  ・「図書室」ページ推薦図書の感想・書評を積極的に掲載する
3.百年史編纂協力活動
  ・「土佐中學校創立基本資料集」を作成・配布する
  ・KPC総会出席メンバーには当日配布
  ・KPCホームページにも掲載
4.その他
  ・会員の拡充を図る
  ・向陽新聞バックナンバーCDの頒布を継続する
<予算案> 
 (計数整理中)
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100周年も間近、改めて母校の経営・教育方針を問う
公文敏雄(35回) 2014.03.27

筆者近影
 少子化、グローバル化など教育環境の大きな変化の中で、我が国の中・高等教育機関は将来の発展・存続を賭けた変革を迫られており、様々な動きが報じられております。一方、創立100周年を6年後に控えた母校はどうでしょうか? 母校を愛する一卒業生の立場から過去1年あまり理事会に質問を投げかけましたが未だご応答をいただけず、危機感が伝わって参りません。そこで、向陽プレスクラブの有志と問題意識を共有出来ましたらと考え、ここに拙文をご披露させていただきます。
 なお、改正私立学校法に拠った母校の「寄付行為」(会社の定款に相当)は、
 「理事長は、この法人を代表し、その業務を総理する」と定め、更に理事会には「学校の基本方針・・・その他学校の経営に関する重要事項を決定する」責務を課しています。理事の構成は、川崎康正、山本芳夫(校長)、池上武雄(理事長)、岡村 甫、西山彰一、岡内紀雄、青木章泰、小島一久、浅井和子の9氏(敬称略)です。
(以下は質問状の写しです。付属添付物は紙面の都合上割愛いたしました)
土佐中学校・高等学校
理事長、理事各位 殿
 平成25年11月1日
拝啓
 相次ぐ台風の襲来でぐずついたお天気が続きましたが、お変わりなくお過ごしでしょうか。
 さて、昨年12月にしたためた「質問状」の写しをここもと添付致します。ご多用中まことに恐縮ながら、ご検分のうえご回答をいただけますと幸いです。
 なお、創立100周年を7年後に控え、初心を振り返ってみようと、私も含めた土佐中・高新聞部OB有志の手で、「土佐中学創立基本資料集」の発刊準備を進めております。「宇田友四郎翁」、「川崎幾三郎翁伝」、「三根先生追悼誌」、「土佐中学校要覧」などから建学関係部分を採録し、現代文対訳を付ける計画です。来年完成のうえはご高覧に供したく、よろしくお願い申し上げます。
 「古人を模倣するのではなく、愛するのであればよい」(岡倉天心「茶の本」)
敬具
追伸:
 10月25日付の日本経済新聞夕刊9ページ「生徒とひと:学びのふるさと」欄に建築家伊東豊雄さんの談話が掲載されていました。ここで紹介されている伊東さんの中学時代の恩師菅沼先生(「放課後に自分の教育理念を生徒に聞かせ、感極まって泣いてしまう熱血漢」)のような先生がたが私の通った土佐中・高にもいらっしゃいました。あらためて学恩を有難く感じております。
土佐中学校・高等学校
理事  浅井 和子
 様
 平成24年12月1日
拝啓
 先般お問い合わせがございましたので、同窓会関東支部報「筆山」2012年7月号への寄稿記事(注1)で触れました、母校の現状に対する小生の懸念について敷衍ご説明させていただきます。
 注1:筆山第52号記事「向陽新聞に見る土佐中・高の歩みD」のあとがき部分の拙文
 「32年2月の(向陽新聞)第35掲載記事『中学受験調査結果まとまる』によれば、『よい学校に入るため』とほぼ並んで『立派な人間になるため』が本校志望理由第二位に入っていた。『中堅国民ノ養成ハ論ヲ待タズ…進ンデ上級学校ニ向カヒ他日国家ノ翹望スル人材ノ輩出ヲ期スル』(本校設立趣意書)という伝統を、読まずとも感じ得ていたようである。ちなみに、建学の目的を達成するための教育方針や具体的施策が、創立期の学校要覧では教授心得の形で体系的に明示されていた。しかし、いつの頃からか、かかる肝心のことが風化して久しい。」(該当記事=添付資料1)
知りたいこと其の1:  本校の存在意義は何か、目的・目指す姿は何か
 学校設立の目的は、少数英才教育により国家有為の人材を育てることでした(注2)。然るに、年月を経て環境が著しく変わったこともあって、今では文武両道を目指す進学校という大まかなイメージが、外部から見て、定着しているようです。
 本当にそうなのか、学校が目指す姿は実際どんなものかを知ろうと本校のホームページを読みましたが、どうも判然といたしません。たとえば、
「学校案内 校長挨拶」(注3)のタイトルが「報恩感謝の理念のもと社会に貢献する人材を育成する」となっておりますが、まず、「報恩感謝の理念」(注4)の意味がよく解りません。どういうことなのか、なぜそれが大切なのか教えていただきたいと思います。「社会に貢献する人材」も、これだけではイメージが湧きません。本文中に、卒業生が「国内外、各界を問わずめざましい活躍をしており」とあるだけで、踏み込んだ説明がありません。
 志(夢)を語れるような若者を育てるのであれば、まず学校が思いを熱く語ってほしいと思います。同窓会関東支部総会にご出席くださった歴代校長のご挨拶を過去何度か拝聴した限りでは、大学進学成績と運動部の活躍状況、そして寄付のお願いなどが主要な内容でした。
注2:本校の設立目的(建学の基本理念)
 土佐中設立の趣意書(添付資料2をご参照)にうたわれています。また、本校30回生中城正堯氏による労作「母校を貫く建学の精神―川崎・宇田両翁と三根校長を巡って」(昭和34年発行「向陽クラブ」第2号に掲載)が参考になります(添付資料3をご参照)。
注3:校長挨拶(ホームページより)
 キーワ−ドを拾って要約すれば、「誇り高い土佐の校風をよりいっそう発展させ」「本県私学の旗頭たる自覚を支えに」「男女共学や中高一貫制、生徒定員の大幅増等の施策を導入」「新しい時代に対応する進学校としての実績」「友愛の心を育みあい」「伝統である自主的学習」「ワンランクアップの学力水準到達を目指して」「土佐中卒業者以外にも高校の門戸を開き、競い合いによる学力レベルアップと学習意欲の向上」「文化面でも恵まれた指導者と施設」「国内外、各界を問わず活躍する卒業生の状況を伝えて在校生への励みと将来目標決定の指針に」「建学の基本理念を確かめつつ、学問を重んじ、礼節を尊び、スポーツを愛する学校生活を通じ人格の完成と社会に貢献できる人物の育成に全力を挙げて取り組む」ということになります。(原文は添付資料4をご参照ください)
注4:「報恩感謝の理念」?
 在学中に配られた「生徒必携」(注3)の冒頭に、「開校記念碑文=大正12年1月建立」が掲げられておりました。「維新の際は薩長土と並称されて土佐から人材が輩出したのに爾来教育が振るわず人材が凋落したのを憂い、川崎、宇田両氏が巨財を投じて土佐中学校を創立した功績をここに称え継ぐものである。子弟が心身を鍛え徳を高め智能を大にして国家に尽くすことが、二氏の恩に報じ、かつ国家の恩に報ずることとなる」がその大意です。ここで明らかなことは、「報恩感謝」は帰結であって、「励めよ」が趣意でありました。今読めば、大いに励んで志を果たすことで先人や国家のご恩に報いよ!との檄文の意味を込めて生徒に読ませたものと解されます。しかし、私の在学当時は、(国のために尽くすという言葉を否定的に受け止める風潮もあり)国家の恩は横に置いて、設立者への報恩をあたかも本旨であるかのように語る向きもあって首をかしげた記憶があります。今はどう解されておるのでしょうか?
 なお、「生徒必携 昭和32年4月」は全46ページの小冊子で、前述の碑文に続いて年度重点目標、生徒の生活・学習態度自己評価基準、校歌、応援歌、学校沿革、学則、生徒会会則、職員名簿などを内容としていました。(添付資料5をご参照ください)
知りたいこと其の2:  ゴールへの道筋(施策・教育方針)
 学校の基本理念に共感する先生・生徒が、ワクワクしながらゴールを目指しているのだと考えたいのですが、ゴールへの道筋(施策、教育方針など)が提示されない限り、将来を期待するすべがありません。
 理念を先生・生徒に活かしていただくために何をやっているのか、教育の基本方針は何か、何に重点を置き、各教科をどう進めるのかを知りたいのです。 
 実は、麻布学園、開成学園、武蔵高校などのホームページでは、完璧ではありませんが、方針や施策を極力知ってもらおうとする苦心が見受けられます。(添付資料6をご参照ください)
知りたいこと其の3:  人材は適切か
 もうひとつ、どんな企業、団体、そして学校でも、発展のカギは適切な人材(価値観、性格、情熱、能力)です。担い手たる先生の採用方針(本校の先生は殆どが土佐の同窓生、例えば麻布学園は正反対)や質の維持・向上策はどうなっているのでしょうか。
 以上は、卒業後半世紀以上も経った1人のOBによる、外部から見た勝手な印象に基づくもので、誤解があればご容赦ください。
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土佐向陽プレスクラブ