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2010.04.20 岡林敏眞(32回)  メメントモリで絵を描く
2010.07.10 設立準備会  総会への出欠、コメント
2010.09.27 岡林哲夫(40回)  キンドルDXで「向陽新聞バックナンバー」を読む
2011.10.12 山本嘉博(51回)  『私を支えてくれたもの-郵便不正事件の経験を通じて-』を聴講して
2012.04.09 水田幹久(48回)  アコンカグア登山
2014.05.31 中城正堯(30回)  『江戸時代子ども遊び大事典』と中国版画展の反響
2014.05.31 水田幹久(48回)  当世書生気質
2014.12.01 中城正堯(30回)  『高知城「御築城記」とその後の穴太衆』と『NHK番組紹介』
2015.05.12 岡林敏眞(32回)  画柳会展のご案内
2015.06.14 藤宗俊一(42回)  敗北宣言
2017.03.20 竹本修文(37回)  向陽プレスクラブに入会します。
2017.08.26 藤宗俊一(42回)  終結宣言
2017.10.10 中城正堯(30回)  「浮世絵にみる子どもたちの文明開化」
2018.01.02 中城正堯(30回)  中国版画・中城コレクション
2019.04.28 坪田順昭(35回)  高校時代の思い出と内科専門医試験
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メメントモリで絵を描く
岡林敏眞(32回) 2010.04.20
自然との対話

 「さあて、今日はどこへ行こうかな」毎朝の散歩コースのことである。
 コースは三つほど決めてある。第一のコースは、桃山御陵を通るコース。桃山御陵には、明治天皇と昭憲皇太后(明治天皇の奥さん)の墓と、京都に都を遷した桓武天皇の墓がある。赤松や杉や檜などが生い茂っているので、真夏でも比較的涼しく歩ける。参道の砂利道は足の裏を刺激して健康に良い。砂利を踏みしめて歩き、帰りは乃木神社の脇を通る。第二のコースは、宇治川の土手を歩く。我が家から北へ五分も行けば宇治川に突き当たる。義経と義仲が戦った宇治川の合戦場から五〜六キロ下流の土手を歩いて一時間ほどで帰る。
 第三のコースは、JR奈良線に沿った遊歩道や竹林などをふらふらする道。結局は、その朝の気分でどのコースにするかを決めるのであるが、沿道の風物を頭に描いてそれを絵の参考にする。
 小川博工画伯の指導のもと絵を描きはじめて十八年になるが、季節の移り変わりに敏感になってきた。土手にスイセンが咲き始めた、もうすぐ春になるな、コスモスの茎が伸びてきたぞ、秋も近いなどと思いながら町中を歩く。家々の庭の花も日々移り変わる。しばしば花に目を近づけて、花びらの数や並び具合い、めしべのつきかたなどを子細に観察する。手で花びらの感触を確かめる。
 空を見る。地面に近い空は薄い青、だんだんと濃くなり、真上あたりは紺色になる。雲の様子も毎日違う表情を見せる。ついこの間は本当にまん丸い雲を見た。絵を描き始めるまでは、空をじっと眺めるなどは皆無に近かった。地面を何となく見ながら歩き、「雨が降りそうかな」と思うときの み、ちらっと空を見る程度。自然にほとんど関心を払わない日常が、キャンバスに向かうようになって、知らず知らずに変わってきた。花の群生を見ても、以前は「花が咲いてる。コスモスだな」 で終わり。直ぐさま別のことに目を逸らしていたが、群がって咲いている同じ種類の花々でも決して同じ表情をしていないことに気づくようになった。ピンクの色あいも微妙に違い、花びらの縁が欠けていたり、いなかったり、おまけに花顔がそれぞれに違う方向に向いている。自然の風物はそれぞれが個性的でありながら協調している。
 絵を描き始めて良かったな、と思うことは他にもある。それは旅行に出ても歩くことが多くなったことだ。スケッチをしたり自分の感性にあった風景を写真にとるには、ゆったりと歩くに限る。 どこへ行くにしても、一時間や二時間は歩くように心がける。これが健康にもプラスになる。観光や行楽に人が来るところではなく、じっくりと風物と向き合って、「自然との対話」がスケッチしながらできるところに身を置く。山の緑にしても同一の色合いをしていない。黙って見つめていると、木々はさまざまなことを語りかけてくれる。
 私は絵で「元気」「輝き」「希望」などを表現していこうという内的欲求をもっている。そういう内的欲求を満たすフォルムを見付けようと、散歩をしたりスケッチに出かけたりして自然と対話をする。これが、絵を描くようになって得ることができた「楽しみ」の一つである。
職場の枠を超えた仲間
 自然との対話という楽しみに加えて、描画自体を楽しむことができるようになったのは、10年以上も描画活動を継続でき、描画技術が向上した からである。「継続はカなり」というが、続けることで絵を描くために必要な技術面での上達がはかれる。技術面である程度高いレベルに達してはじめて、自分の心の内をキャンバスに描き表すことができ、「楽しみ」を感じるようになる。
 その点で、定年になってから「00でも始めようか」と一人で何かの趣味を持とうとしても、一つのことに注力して継続することはなかなか難しいのではないか。「今日は気分が乗らないから、明日からやろう」と、毎日が日曜日の生活では、やることを先延ばしにしてしまう。これでは技術的な面が伸びないので、やっても面白くない。楽しくないから他の趣味に切り替えて、また同じことの繰り返し。趣味のハシゴをすることになるのではないだろうか。
 私が趣味のハシゴをするのではなく、描画一筋を定年後に楽しんでいられるのは、描くことを楽しいと感じることのできる技術を定年前の10年間で身につけることができたからだとつくづくと思う。そして、それができたのは『画柳会』という仲間の存在があったからである。
 私が50歳になったとき、ある作家の出版記念会で出会った小川博工画伯に師事。有志を募って画柳会を結成した。会員は20名ほどであるが、半数以上は、いわゆる「第二の人生」を送っている人たちだ。現役時代の仕事はさまざまである。
 「画柳(がりゅう)」には「我流」という意味が込められている。自分流の描き方でよいから、コツコツと柳のようにしなやかに絵を描き続けることで、描画技術の向上と人生の充実を図っていこうという「志」をもった仲間たち、そして、この仲間たちが月一回の勉強会に集まり、お互いの描 画活動を率直に批評しあったり励まし合ったりして今までやってきた。職場の枠を超えた仲間との交流ができるようになったこと、これも絵を描き始めて新しく得た大きな「楽しみ」の一つである。
精神の開放
 このように絵を描くことで新しい楽しみを得ることができたが、何よりも「良かったな」とつくづく思うのは、ある種の「精神開放」ができたことと「今を充実して生きる」手段を獲得できたことである。
 精神開放とは何か?その一つは、絵の本質は上手か下手かで決まるものではないことが感得できたこと。須田寿画伯は次のように語っている。
 「美術に上下の区別はない、上手下手、いい感じかどうかはあるにしても、絵を描こうという志に上下の区別はない」
 また、「対象の外形が絵画にとっては本質的な要素ではなく、色彩そのものが心を揺り動かすものである」と述べているのはカンディンスキー。
 炎の画家ゴッホは弟への手紙で「ぼくが絵にかきたいのは、永遠に心にうったえかける色です」と書き送っている。こういう偉大な画家たちの言葉を発見して、私は非常に勇気づけられた。デッサンカがなく、対象物の形を精確に描写できない私には、とても絵なんか描けるものではないとずうっと思い込んでいた。しかし、この画家たちの言葉に接して、「絵は自分が感動したこと、愛情を持ったものを表に現したものなんだ。物の形をきちんと描けなくても、感動や愛情を色で表せばいい」と思えるようになってきた。「形をそっくりに描かないと絵でないのであれば、写真を撮ればいいじゃないか」と、開き直る気持ちになった。 他人に上手ねとほめてもらおうという気持ちを捨てて、自分に素直に向き合って自分の気持ちを表現するには絵は最適で楽しい手段であると思えるようになった。これが精神開放の一つ目である。
 二つ目の精神開放は、絵は「解る」ものではなく「感じる」ものであるということが感得できたこと。どんなに有名な画家の描いた絵であっても、自分が好きでなかったら素直に口に出していい。
 「有名な絵だから解らなくてはいけない。自分には絵こころがない」と恥じることはさらさらないと納得できて、絵を描くことも絵を観ることものびのびと楽しむことができるようになった。花の絵を見て「これは何の花をかいたのか」と質問し、風景の絵を見て「どこをかいたの」と聞く人は多い。それは、描かれた花の名前、風景の場所名を「解る」ことが絵を見ることだと思っているためではないのか。「絵が解るとは、いったいどういうことなのか」と悩んでいたときに、小林秀雄の『美を求める心』という講演録に出会った。小林は「絵が解るというのは、絵を感じることです。 愛することです」と大学生相手に講演している。

以下はこの講演の要約である。
 『諸君が野原を歩いていて、一輪の美しい花の咲いているのを見たとする。見ると、それはスミレの花だとわかる。何だ、スミレの花か、と思った瞬間に諸君はもう花の形も色も見るのを止めるでしょう。スミレの花という言葉が諸君の心の内にはいってくれば、諸君は、もう眼を閉じるのです。
 スミレの花だと解るということは、花の姿や色の美しい感じを言葉で置き換えてしまうことです。
 言葉の邪魔のはいらぬ花の美しい感じを、そのまま持ち続け、花を黙って見続けていけば、花は、 かつて見たことのもなかったような美しさを、それこそ限りなく明かすでしょう。画家は、皆そういう風に花を見ているのです。絵は、画家が黙って見た美しい花の感じを現しているのです。花の名前なぞを現しているのではありません。美しい自然を眺め、或は美しい絵を眺めて感動したときその感動はとても言葉で言い表せないと思った経験は誰にでもあるでしょう。諸君は、何とも言えず美しいと言うでしょう。この何とも言えないものこそ、絵かきが諸君に伝えたいと願っているものだ。美しいものは、諸君を黙らせます。美には、人を沈黙させるカがあるのです。これが美の持つ根本の力であり、根本の性質です。絵が本当に解るということは、こういう沈黙の力に堪える経験をよく味わうことに他なりません。ですから、絵について沢山の知識を持ち、様々な意見を吐ける人が、必ずしも絵が解った人とは限りません。絵が解るというのは、絵を感じることです。』
 この小林秀雄の評論を読んで、私は「これだ」 と胸をたたいた。絵を観ることは描いた画家の心を感じることなんだ。感じ方は人によってさまざま。だから、その画家の心に共感すれば、「私はこの絵が好き」だと口にすればいい。絵を描くということも、対象を上手にかくことではなく、対象を通じて感じたことを現すこと。私は、その感情を色で現すようにしよう。
 「絵は感じるものである」という、大げさに言えば悟りを得ることができたことが二つ目の精神開放である。自分の気持ちを素直に現す、それを見て人が何かを感じてくれる、それが絵なんだと思えるようになって、絵を描く楽しみがぐんと増し、生きがいにもなってきた。
死を想うから今が充実
 「生きがい」という言葉をよく耳にし目にもする。
 男は現役を退いてからの長い人生を生きていかねばならない。仕事一途の生き方しか知らないのに、これからは何を「生きがい」にしたらいいのだろうかという男たちの悲鳴が満ちている。一方妻たちは、仕事がなくなって抜け殻のようになった夫の面倒を見て一生を終わりたくない。「生きがい」 をもってこれからを暮らしたいと思う。2007年には団塊世代の定年退職が始まる。それと同時に、年金分割制度が始まる。定年とともに妻から離婚を申し渡される夫が増えるのは必至である。
 そもそも、男は定年とともに自分の過去を振り返る。自分のこれまでにやってきたことについて、いろいろと思いめぐらせる。そして、たいていの場合は後悔する。「あんなことをするんじゃなかった」「もっと他の生き方があったのではなかったのか」と、うじうじと思いめぐらす。あげくの果てには朝から酒を食らって速やかに廃人への道をまっしぐらということに……。
 私はそんな行き方をしたくなかった。しかし、私の人生には後悔ばかり。私が子ども時代に、戦争で夫を亡くした母が再婚をして、義父と母の間に挟まれていやな思いをさんざんさせられた。「こんな境遇からいっか抜け出したい。でも、なかなか抜け出せない」という不満をずっと抱えて生きてきた。「もっと良い人生があるはずだ」という、満たされない欲求を抱き続けていた故もあって、二度も離婚を経験。四人の子どもたちを捨てたという胸の痛み。私が定年を向かえて振り返った人生は後悔だらけ。しかし、後悔をしながら生きる定年後の人生はどうなるのかを考えたとき、未来 には何の実りもない。人生には後悔は無駄だ、と自分に言い聞かせたとき、ある言葉に出会った。
「メメントモリ」(MementoMori)、「死を想え」
 という意味のラテン語の格言だ。過去の歴史には、人間たちが元気だった時代とそうではなかった時代がある。十三世紀から十六世紀にかけてのイタリアは、すこぶる元気な時代だった。レオナルド・ダ・ヴィンチや、ミケランジェロなど美の巨人たちが活躍した。そのルネサンス時代の人たちは、書斎の机の上に大理石や骨で作った物を置いた。
 その置物には、「メメント・モリ」という言葉が刻まれていた。「死を想え」という言葉である。
 人間は死を想い描くことによって、いっそう強烈に「いま生きている」という実感を確認できるものなのだ。人生の真実はただ一つ。それは人間は必ず死ぬということ。しかも、その死はいつ訪れるかは誰にも解らない。いま健康であっても、つぎの瞬間には脳梗塞か狭心症で倒れるかも知れない。自分がいかに気を付けていても、明日には交通事故であの世へ行くかも知れない。一寸先は闇。
 そう想えば、今のこの瞬間を大事に過ごしたいという気持ちになってくる。後を振り返って落ち込むよりも、いつ終わるかも知れないこれからの人生を前向きに生きようという気持ちになる。 後悔の多かった人生だったからこそ、いつ死が来るかが分からないからこそ、これからの一日一日を充実して生きていこう。そう思うことで、私は元気になれる。その「元気」をキャンバスにぶっつけて、私は絵を描く。「元気」という火を死ぬまで燃やし続けて今を充実して生きるために、私は絵を描いている。
(おわり)2006年5月
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総会への出欠、コメント
設立準備会 2010.07.10

33T島村(梶)真智子 ?(旧住所)
33?小川 ?(旧住所)
35K森岡 謙輔 ?(旧住所)
36T森本 浩志 2010/06/23(Wed)返送 葛城市兵家(旧住所)
38K坂本(杉本)緑 2010/06/23(Wed)返送 八王子市めじろ台(旧住所)
38加藤 楯文 ?(旧住所)
39H西沢(白木)則子 2010/06/23(Wed)返送 高知市枡形(旧住所)
39H森田 公 ?(旧住所)
39O丁野 加寿代 ?(旧住所)
43T門田 壮 2010/06/23(Wed)返送 文京区小石川(旧住所)
43H上村 公志 在アメリカ?(旧住所)
44H掘 元治 ?(旧住所)
48K俵(加藤)正治 ?(旧住所)
48S岡林 健次 ?(旧住所)
50T樋口 豪 ?(旧住所)
56H市吉 健一郎 ?(旧住所)

水田 幹久 (48N)入会・出席***日本重化学工業株式会社***

中井 興一 (45K)入会・出席******

北村 章彦 (49H)入会・欠席***穎明館中学高等学校***
7月24日は午後まで仕事のため午後1時の総会には出席できません。午後4時には市ヶ谷に到着することができますが、と迷っているうちに総会2日前になりました。参加したい気持ちは山々なのですが。

吉川 順三 (34O)入会・欠席******

杉本 健一郎 (32O)入会・欠席******

岡西 滋夫 (35S)入会・出席(懇親会のみ)******

森木 光司 (32O)入会・欠席******

市原 真仁 (30T)入会・欠席***ふれあい町田ホスピタル***
連絡が遅くなり申し訳ありません。どうしても今度の総会には出席できません。皆様によろしくお伝えください。

加賀野井 秀一 (44K)入会・出席***中央大学理工学部***
締め切りを遅れてしまいましたが、懇親会への参加はまだ可能でしょうか。

佐野(山之内)玲子 (52O)入会・欠席******
現在子供の結婚式と主人の転勤のため。松山と高松をウロウロですので。後ほどゆっくり会則など見ます、会員近況で坂本君のコメントをみて。懐かしく思いました。あの当時のかたがたはどうしてるんでしょう。新聞活動は皆無でしたが、新聞部の後援で文化祭にした人形劇はよい想いで出す。創立50年同窓会で初めて子供達に土佐や部室をるみせことができました。設立総会のご盛会をお祈りしています。世話役の先輩の皆様いろいろ電話やてがみ 有り難うございました。

山岡 伸一


久永(山崎)洋子 (34T)入会・欠席******

山岡 伸一 (45S)入会・欠席***農業(自営)***
農地・水・環境保全会ニュース.PDF

川野(中村)恵子 (44K)退会・欠席******

浅井 伴泰 (30O)入会・欠席***元 ガーナ在住***
 暑中お見舞い申し上げます。と言ってもニューヨークよりは10度涼しいので我慢するしかないけんど。暑い盛りの24日の会合には、生憎出席出来ませんが、入会はしますのでよろしくお取り計らい下さい。
 Wカップでのアフリカ勢初のベスト4を逃したガーナのPKショックが未だに癒えません。あそこでPKを外すのはガーナ人の人の良さで相手のウルガイ人の執念、したたかさに負けた訳ですが、あのような悪質なウルガイの反則には今大会のPK成功率6割からして、PKを二度蹴る権利を与えるべきだと昨日の日経に載ってました。まさに我が意を得たりですが、試合を見てなかったらちんぷんかんぷんで、何を言いゆうがぜよでしょうが……

山岸 きみ (42S)退会・欠席***王国社***
せっかくのお誘いですのにお断りしますことお許し下さい。 出版界の片隅で建築文化ジャンルでどっこい!生きております。最近の出版物、三浦展編著「奇跡の団地 阿佐ヶ谷住宅」は話題になりました。五台山に佇む「牧野富太郎記念館」や新高知駅の設計に関わられた内藤廣氏、香北町「アンパンマンミュージアム」の設計者古谷誠章氏の著書も出しております。王国社と申します。どうぞお見知りおきを...長々と宣伝になって申し訳ありません。 最後になりましたがクラブのご発展を心よりお祈り申し上げております。

細木 大麓

細木 大麓 (27H)入会・欠席***元 富士重工業***
初代新聞部長とおだてられて発起人を引き受けましたがいきなり欠席となってしまいました。動きの悪い大先輩が足手まといにならないように努めますが、公私ともに忙しくしている証とご理解いただければ幸いです。 なるべく若く見える写真を…と探しましたが、これなんと昨年の金婚旅行の写真です。

辻 正子 (35H)入会・欠席***善通寺前田病院***

大町 玄 (30O)入会・出席***元 富士電機HD***
原弘道君、松木鷹志君、梅木栄純君が退会とは!事情があることとは思いますがまことに残念。 ずいぶん長いこと逢っていませんから、授業をサボってまで新聞を作ったあの頃の仲間と久しぶりに一献酌み交わしたかったのですが。 プレスクラブ以外に彼らに逢えるチャンスもなさそうですし。 浜崎洸一君が欠席で逢えないのも残念ですが、入会登録はしているようなのでそのうち逢えるだろうとタノシミにしています。 卒業以来多忙を言い訳に、向陽新聞のことは中城君に任せっぱなしでしたが、(そのために自分が新聞作りにどっぷり使っていた頃があったことを忘れかけていましたが、)今回呼びかけていただいたことを公文さんほか世話役の方々に深く感謝しております。 ありがとうございました。

牧内 操 (42H)入会・欠席******
今年1月、たまたま新校舎を見学した折、新聞部が消滅したことに初めて気付き、 少々ショックを受けました。 25日は残念ながら出席できません。ご盛会をお祈りしています。 会費払込方法をお知らせください。 なお、写真は「前科何犯?」と思われそうなので、遠慮させていただきました。

冨田 八千代

冨田 八千代 (36K)入会・欠席***元愛知県公立小学校教員。現在お手伝いとしてパート勤務***
再度の連絡をいただきありがとうございます。36回生の冨田(堀)八千代です。7月に入って思い出し「向陽プレスクラブ総会・懇親会出欠、及び会員登録フォーム」に入力しましたが、メールアドレスとメールアドレス2のエラーと出て送信できません。何度か試みましたが、エラーばかりです。私はアドレス2はありませんおで、未記入です。私の知識、技能不足だと思います。それで、郵送にしようと思いつつ今に至っています。メールを開いたら、このお便りが届いていました。お手数ですが、ここに必要事項を書かせていただきますので、手続きをよろしくお願いできませんでしょうか。

近藤 雅彦 (41N)入会・欠席******
近藤@41回生です。お返事が遅れ、ご迷惑をおかけしております。せっかくのお誘いでしたが、今回は都合により遠慮させて頂きます。設立総会のご盛会をお祈りしております。勝手ながら、後日、都合がつくようになりましたなら参加させていただきます。有り難うございました。

示野 貞夫

笹岡 峰夫 (43K)入会・欠席******
会員登録します。総会は欠席しますので、年会費は振込できる口座をお知らせ下さい。

示野 貞夫 (32O)入会・欠席***高知大学名誉教授(元高知大学農学部教授)***
達筆なので画像をクリックして拡大画像でお読みください。(管理人)

岡林 幹雄


岡林 幹雄 (27)入会・出席***元石川島播磨重工業***
達筆なので画像をクリックして拡大画像でお読みください。(管理人)

井上 晶博 (44S)入会・欠席***土佐女子中・高等学校***
44回永森裕子(旧姓松本)様に議決を委任いたします。 ご案内の封書の差出人の名前に、藤宗さんの名前を見つけ懐かしさで一杯になりました。この中には、大原さんの名前も・・・・。高校からの入部にもかかわらず諸先輩方には可愛がっていただいたのに、まともな仕事もせず、みんなとだべってばかりだったように思えます。覚えていただいているか不安ですが、会に参加させていただきます。 大学を卒業後、大阪で20年近く教員をし、平成4年に高知に帰ってきました。現在は土佐女子で教鞭をとっております。授業のかたわら、企画広報部というところで生徒募集関係の仕事をしており、何かと忙しい毎日です。 設立総会、懇親会の日は、

井上 晶博
インターハイ出発の前日ということで高知を離れられません(何故か、教員になってからずっとバドミントン部の顧問をしています)。残念ながら欠席させていただきますが、この集まりが盛会になるよう願っております。
【裏写真】左から中村恵子さん(高校入学の生徒です)松本裕子(現永森)さん加賀野井秀一君(現中央大教授)堀元治君右の端が私です。このときの顧問の先生は、左が田村尚子先生(この時結婚されて、姓が矢野に変わられたのでは?)、小松先生です。

原 弘道 (30K)退会・欠席******

梅木 栄純 (32K)退会・欠席******
折角ですが当方週3日人工透析の体調ですので、会員登録とも遠慮申し上げます。皆々様のご発展をお祈りいたします。普段は外に出て百姓ごとをしております。

国見 昭郎 (34S)退会・欠席******

山ア 和孝


山ア 和孝 (26A)入会・欠席******

坂本 孝弘 (52K)入会・欠席***土佐塾中学高等学校***
諸先輩方、ご連絡頂き、また、様々な準備にお骨折り頂き、誠にありがとうございます。 東京へ伺うことはなかなかできませんので、高知で開催する機会もあるのではと願っております。 自分が関わった100号前後の向陽新聞は家のどこかにあるはずですが、引っ越しを重ねるうちに分からなくなっています。休みに探してみようとは思っているのですが…。

岩口(川田)智賀子 (45K)入会・欠席******

岩口(川田)智賀子

 ご無沙汰しています。川田薬局の隣の智賀ちゃんです。結婚して長崎に住んでいましたが、23年前に岩口が病没してしまったので、高知に帰ってきました。シミ、シワ、タルミ、老眼、高血圧、ビール腹(ん?)以外は、昔の智賀ちゃんです。今でも力すくで可愛い智賀ちゃんと、呼ばています。
 2学年上の濱下三輪(旧姓岡本和子)さんとチンなので、彼女が帰高した際(彼女は現在広島に住んでいます。)には、たまに43回生の大原さんや中東さんと集まっています。高知での懇親会の話、いいですねえ。万難を排して出席したいと思いますので、その時お会いできるのを楽しみにしています。
 P、Sその時は、岡本さんも出席したいと言っていますので、旧盆位がありがたいです。
 写真は姉の坂本信子(40回)と一緒です。

横山 禎夫 (30K)入会・出席***潟pブリックサービス***

丁野 貢一 (42K)退会・欠席***高陽開発***

濱崎 洸一 (32K)入会・欠席******

安部 弥太郎 (28M)退会・欠席******
設立準備会の皆様のご努力に水を差すようで申し訳ありません。 後期高齢者の仲間入りをして寄る年波に勝てません。

田内 敏夫 (31K)入会・欠席***元、新日本電気株式会社***
ご案内ありがとうございました。設立準備会の皆さんのご努力に感謝いたします。 日頃大変ご無沙汰しております中城様、それから本当に懐かしい岡林様その他当時お世話になった方々には 是非ご挨拶したいところですが、当日はどうしても都合がつきませんので欠席いたします。(私事ですが、 毎週日曜日の午後は外せない用事がありますので) なお、お手数ですが 年会費の振込み先をご連絡くださるようお願いいたします。 田内 敏夫

高橋 侃 (39K)入会・欠席***高橋クリニック***

大原 悟 (43H)退会・欠席******
お誘いありがとうございます。 懐かしいお名前を拝見して、今はなき部室に入り浸っていた中高時代を思い出しました。 6年前、早めにリタイアして隠居生活中です。 世をはかなんで引きこもりをしているわけではないのですが、ここのところ、何らかの団体に関わることが億劫になっていますので、今のところ加入は見合わさせていただきたいと思います。 ホームページは時々のぞかせていただきます。 諸兄のますますのご健勝とご活躍をお祈りしております。

宮川 隆彦


宮川 隆彦 (46O)入会・出席***株式会社フロムハート***

松木 鷹志 (30H)退会・欠席******
長年、OB会員であるということで、何も貢献もしておりませんのに、各種の情報をお送りいただき、感謝いたします。近年、とみに体調を悪くしており、会に名前だけ登録するのも心苦しいかぎりですので、この際、退会させていただきます。会の発展を祈っております。

黒木 健司・出席 (37S)入会***環境プランニング株式会社***
現在、私は東京を拠点に動いています。高知の住所(高知市三園町231)、事務所は存在します。配達物などは「東京住所」へお願いしたいのですが、二重住所は無理なら登録住所まで自宅で結構です。

鶴和 千秋

岡林 哲夫


鶴和 千秋 (41S)入会・出席***六本木司法書士合同事務所***
写真ですが、携帯で撮ってパソコンのデスクトップに保存してあった奴をクリックしたら上記のようなファイル名でした。これで写真が見えるのですか・・・分っからんなあ〜

岡林 哲夫 (40H)入会・出席***日本アルコール産業株式会社***
新聞部員としては中身が無かったですが、お手伝い出来ればと思っています。

中城 正堯

公文 敏雄


中城 正堯 (30O)入会・出席***江戸子ども文化研究会・元くもん出版***

公文 敏雄 (35S)入会・欠席***コンビ株式会社 監査役***
世話役の皆様のお働きに深謝いたします。当日は出られませんが、盛会を祈っております。

岡林 敏眞

永森 裕子

藤宗 俊一

岡林 敏眞 (32O)入会・出席***元学習研究社、元公文教育研究会編集部***

永森 裕子 (44K)入会・出席******
何とか会員登録しました。アップは耐え難いので、後ろに大きな助っ人、シカゴにいるスーを付き添いにしました。

藤宗 俊一 (42K)入会・出席***藤宗俊一・建築都市研究所***

ホームページの会員登録を総会用フォームに変更しました。みなさんも出欠を登録して下さい。今回は写真は必須ではありません。上手くいくことを期待して送信ボタンを押します。
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キンドルDXで「向陽新聞バックナンバー」を読む
岡林哲夫(40回) 2010.09.27
はじめに

筆者近影
 2010年は日本での電子書籍元年だと言われている。電子書籍自体は数年前から発表されているが、アップル社のiPadの発売が5月末に日本で開始され、アマゾン社のキンドル(Kindle)の日本語表示対応版がKindle3として8月から発売され始めたことから、専門家以外からも電子書籍に注目が集まっている。
 筆者は、本を持ち歩くこと及び小さな活字を読むことが年齢的に辛くなってきたこともあり、iPadかキンドルを購入することを検討することにした。
iPadかキンドルか

 キンドルには、Kindle3(以下、3と表記)として8月から販売が開始されたものと1月から日本でも入手可能になった大画面の Kindle DX(以下、DXと表記) がある。まず、どちらのキンドルをiPadと比較するか検討した。画面の大きさは3が「6インチ、600×800ピクセル、16階調グレースケール」でDXが「9.7インチ、824×1200ピクセル、16階調グレースケール」とDX の方が画面で2.6倍、画素数で2倍、本体のサイズ・重量は「190×123×8.5mm・247g」でDX が「264×183×9.7mm・536g」でDX が2倍強となっている。内蔵バッテリーの駆動時間はともに1週間以上あるようであった。重さと画面の大きさのどちらを重視するか考えたが、立ったままキンドルを手に持って読む場面が少ないことから、画面=文字の大きさを重視しキンドルならDX と決めた。
 iPadは画面の大きさは「9.7インチ、768×1024ピクセル、IPS液晶」、本体のサイズ・重量は「242.8 ×189.7×13.4mm、730g」で内蔵バッテリーの駆動時間は約10時間となっていた。バッテリー以外は大きな違いはなさそうであるが、実はディスプレイが全く違っているためバッテリーに差がついてきている。iPadのディスプレイがLEDバックライトのIPS液晶であるため閲覧時には常時電気を必要とするのに対し、DX はイーインクという電子ペーパーをディスプレイに使っているため画面表示の切り替え(ページめくり)時以外は電気の必要はない。また、iPadがカラー表示であるのに対しDX はモノクロ表示である。
 このためカラーで雑誌や動画を見るならiPad、長時間の読書なら目に優しいDXということがインターネット上の評判であった。
 元新聞部員(元新聞部室員という方が正しいが)としてはモノクロ表示で充分なので画素数が多く、後述するが価格も安いDXを選ぶこととした。
キンドルの発注と到着

 iPadが国内のアップルストアで(現在は)簡単に入手できるのに対し、キンドルは9月末段階では日本のアマゾンでは注文ができず、米国のアマゾンに口座を開設し注文をしなければならない。全て英語での注文は面倒であり、英語に強くない筆者には抵抗感があったが、インターネット上で注文の方法が経験者によって紹介されているので、それに従って記載すれば何とかなった。
 9月9日(木)夕[日本時間、以下同じ]に注文し、翌10日(金)に米アマゾンから出荷したというメールが届いた。その中では請求額として
 Item Subtotal************$379.00
 Shipping and handling*****$13.48
 Import Fees Deposit******$19.62
 Total******************$412.10 (JPY 35,889)
と記載してあり、円ベースでの請求額が確定していた。単純に計算すると87.1\/$のレートであり、4万円を超えてはいなかった。iPadはこの価格では入手出来ない。このメールには“via UPS International (estimated delivery date: September 14, 2010)” とも書いてあり14日(火)又は時差を考えると翌15日の到着を期待していた。 UPSのサイトで配送状況をチェックすると11日(土)に成田に着いていた。しかし、UPSは土日は作業しないとの噂もあったので、やはり14日(火)が到着日かと思っていたら、意外にも12日(日)朝に届いた<写真1><写真2>。おかげでその日は充実した日曜日を過ごすことができた。
 思ったより簡単かつ迅速に入手できたのは驚きであった。
キンドルでの読書

 アマゾンのサイトからは多くの書籍・雑誌・新聞を入手することができるが、残念ながら著作権ビジネスの違いのためか日本語の書籍はほとんどない。しかしDX を買った以上は1冊くらいは購入してみようと思い、今年話題のハーバード大サンデル教授の「JUSTICE」<写真3>を9.99$+2$で購入(申し込むと米アマゾンから携帯通信網を利用して手持ちのキンドルに送ってくる)した。2$は米国以外の地域で購入した場合に付加される料金で通信費用なのか何なのかは不明だ。後日、カード会社からの請求書をみると11.99$が1,021円となっている、85.2\/$のレートであり、円高を享受できていた。
 米アマゾンから購入した書籍・雑誌・新聞に対しては文字のサイズを変更する機能や、英語での読み上げ機能もあるので語学勉強用にも良いかもしれないが、筆者は日本語作品を読むために購入したので日本語の文章をPDF化し読むことにした。
 まず、「青空文庫」(著作権が消滅した作品をボランティアの方が電子ファイル化し閲覧できるようにしている電子図書館。閲覧、ダウンロードともに無料)から、昔読み損なった作品をPDF化(「青空キンドル」という簡単にファイル変換をしてくれるサイトがある)し、パソコンを通じてDX に搭載している。現在搭載している作品は、南方熊楠(「十二支考・猪に関する民俗と伝説」等15点)<写真4><写真5>、泉鏡花(「高野聖」等16点)、森鴎外(「舞姫」等7点)、夏目漱石(「明暗」等12点)であり、通勤途上の電車の中で読むには充分すぎる量が簡単に持ち運べて読めるという状態になっている。



 また、電子書籍の世界では『自炊』という言葉がある、これは手持ちの書籍や文書をスキャナーでPDF化等電子ファイルにすることを指す用語である。筆者は、とりあえず昔読んだ経理の入門書や「マンガでわかる微分方程式」等を『自炊』しPDFファイルとして搭載している、これら本は職場や電車の中で開くには気恥ずかしい書籍であるがキンドルで読んでいる分には他人からは何を読んでいるかわからないというメリットがある。
キンドルで読む「向陽新聞バックナンバー」

 Kindle3は日本語表示が可能だが、KindleDXは日本語表示には対応していない。このため、DX では英語のホームページは表示できるが、「向陽プレスクラブ」のホームページにDXからアクセスしても表示ができない。
 また、日本でも近年は政府関係の文書や企業のIR文書の多くがPDFファイルとしてインターネット上に公開されているが、前述の理由でこれらの日本語ホームページにDX からアクセスしてDX に直接PDFファイルをダウンロードすることはできない(iPadやKindle3でどうかは不明)。このためパソコンにPDFファイルをダウンロードし、キンドルに移植するというプロセスが必要となる。面倒ではあるが、DXで閲覧可能となったこれらの文書は日常の業務でも役に立つ。
 インターネット上のPDFファイルと言えば「向陽新聞バックナンバー」がある。藤宗編集長ほかのご努力で第65号までが掲載されているので、パソコンを経由してキンドルに移植することが可能である。キンドルに搭載することで何時でも何処でも「向陽新聞バックナンバー」を読むことができる。搭載してある「向陽新聞バックナンバー」のPDFファイルを見るためには

ポインタでファイル名を指定すると、DX のディスプレイに当該号の向陽新聞一面が表示される<写真6>。しかし、大画面のDX といえども新聞の一面を活字単位で読むのは難しい、幸い見出しは読めるので当該部分周辺を拡大表示し読むこと<表示7>が可能となる。
 といっても、このプロセスは処理に時間を要し一面の表示や拡大画面での移動が滑らかではないといった不満点がある。一昔前のパソコンのスピードを知っている者にはまだ我慢ができるが、現在のパソコンのスピードに慣れている人は相当にイラッとするであろう。
むすび
 「向陽新聞バックナンバー」をDXを使って外出先で読むことは可能だが、ストレスを感じてしまうのでお薦めではない。 しかし、「青空文庫」や『自炊』で単行本サイズ以下の書籍を日本語PDFファイル化して読むのには(つまりPDFビューワーとしては)DX は高年齢者以上向けとしては優れものである。円高の現在「買い」と言える。
 これからの展開としては、DX の日本語表示対応、PDFファイル処理の高速化、電子ペーパーのカラー化等が想定できるので、若い人はそれらを「待つ」のも一案である。
 人生の残された時間と電子機器の進歩のスピードを比べながらモノを選ぶのも楽しいことだと思いたい。
<2010/09/26記>
追記
 本稿を提出した後で、インターネット上でDXの日本語表示化の方法が紹介されているのに気が付いたので、システムファイルに手を入れるという力技?で無事に日本語表示化ができるようになった。
 英和辞書が使用可能になったことやPDFファイルの表題が日本語表示になったことは利便性を増している。
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2011ホーム カミング デー 内閣府政策統括官 村木厚子講演会
『私を支えてくれたもの-郵便不正事件の経験を通じて-』を聴講して
山本嘉博(51回) 2011.10.12

 高校の2学年先輩の村木さんの講演は、満席立ち見の出る盛況ぶりだったが、録音 録画禁止との事前説明のあった母校での話には、おそらく他では見せないと思われる 親しみが宿っていて、生々しい話も多く、その肉声で語られる言葉とユーモアの随所 に重みと人柄が窺えて大いに感銘を受けた。
 ちょうど特捜部による捜査の是非が問われ、大きく揺れていた頃、最高検には村木 さんの2年後輩となる僕らの同窓生が検事として職務に就いていたりもして、今回の 事件は非常に身近に感じてもいた。だから、大いに関心を寄せていた講演だったが、 予想以上のものがあって、貴重な機会を得られて良かったと改めて思った。
 村木さんが、どうして折れずに持ちこたえることができたのか、と問われるなか で、振り返ってみて感じた5つのこととして挙げた第一が“好奇心の強さ”だったこ とにとても感心させられたことが印象深い。以下、
 2番目:支えてくれる人々の存在
 (とりわけ両親の残っている郷里にて支援の声をあげてくれた同窓生。本当にあり がたかったそうだ。)
 3番目:好きなものがあること(推理小説。寸暇を惜しんで読み耽ったそう だ。)、
 4番目:子ども達のためにも折れるわけにはいかないとの思い、
 5番目:きちんと食べて寝ることができたこと、だったのだが、

 最初に挙げた好奇心とは即ち、能動性であり、逮捕による取調べに対し、受身一方に 身を置かずに済んだことを指していたように思う。  2番目の要点は、やはり「一人じゃないと思える心強さ」であり、逆に言えば、孤 独に追いやられると持ちこたえられないということなのだろう。3番目の要点は、気 持ちの切り替えが出来ることの大きさで、4番目は、我が事に留まらない目的意識を 持てることの強みだろうと思った。ご本人自ら、最後に挙げたけれども実は一番の基 礎になる部分だと思うと話していた5番目のことは、精神力を形成する根幹なのだと 改めて感じた。
 たぶん皆さんは、検察の取調べを受けることは概ねなかろうから、それに持ちこた える術など身につける必要もないだろうけど、検察の取調べに対してということに限 らない要点だと思えるし、こういうことは普通、改まって考えたりもしないことだか

らとの前振りの元で話してくれた5つの要点は、成程の納得感と含蓄に富んでいた。
 もう一つ話してくれた、弁護団から教わったとの“無実を勝ち取る5条件”という のも、なかなか面白く、1.タマがいいこと、2.スジがいいこと、3.検事がバカ であること、4.弁護士が利口であること、そして、5.裁判官が利口であること、 なのだそうだ。この5つが揃うことはなかなかないらしいのだが、それよりも問題な のは、この5つが揃っていても、運に恵まれなければ、無実は勝ち取れない現実だそ うだ。それを聞いて、いくらなんでもそんな現行制度のままであってはならないと 思ったと話していた。
写真提供:土佐中・高等学校同窓会関東支部

《近況報告》
 三人の子供たちの就職結婚も終え、私的には余生に入りました。映画観て、芝居観て、コンサート行って、バドミントンに汗流して…。健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を行使中。 鑑賞日誌などの個人サイトを開設しています。
 (『間借り人の映画日誌』)http://www7b.biglobe.ne.jp/~magarinin/
 (『ヤマさんのライブ備忘録』)http://www.arts-calendar.co.jp/YAMAsan/Live_bibouroku.html            
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今こんなことをしています
アコンカグア登山
水田幹久(48回) 2012.04.09

筆者近影
 昭和48年卒業の水田幹久と申します。新聞部時代を振り返って思うことは、「新聞と名が付くからには、1学期に1回程度の発行では少なすぎる。なんとか1学期に2回は発行したい。」との思いで、発行回数を増やすことに執着したことを思い出します。完成した向陽新聞バックナンバーCDで当時の紙面を見ると、なんともその粗製乱造ぶりが目立って、恥ずかしい限りです。
 会社人間としてそろそろ引退後の人生設計が気になっていた頃、現幹事の一人から強引な誘いを受け、本会の幹事の末席を汚すこととなりました。クラスの同窓会にもめったに顔を出さなかったため、土佐校OBとして、母校への貢献度は低かったと思いますが、これから少しずつ返していければいいかなと思っております。
 さて、そうは言っても、まだ現役活動をしている部分もありますので、「今こんなことをしています」という趣旨の近況報告をさせて頂きます。それは、大学時代から本格的に始めた登山についてです。こちらの方は、大学卒業後もOB活動を継続し、登山そのものも細々と続けてきました。そして、今年の2月12日〜3月13日、アコンカグア山の登山隊に参加しました。

アコンカグア概念図

アコンカグア広域概念図
 まずはアコンカグア山の紹介です。アコンカグアは南米アンデス山脈のアルゼンチンとチリとの国境付近のアルゼンチン側にある南米最高峰で、標高6,962mはヒマラヤ地域を除けば、最高峰でもあります。登山シーズンは南米が夏になる12月〜2月ですので、今回の登山はシーズンの終盤にあたります。

登頂後の記念写真(ベースキャンプ)
 次に私が参加した登山隊の紹介です。名称は「早稲田大学山岳部アコンカグア登山隊2012」です。現在、私は早稲田大学山岳部の監督を務めており、この登山隊の隊長でもあります。隊員は私の他に9名の現役学生と登攀アドバイザーのコーチ1名、私を含めて合計11名です。私自身、メタボの中年を自認しておりますので、私の役割は学生指導であって、登攀要員ではありません。せいぜいBC(ベースキャンプ)で間違いない指揮が執れればと思って参加しました。

オルコネス渓谷を進む登山隊
 実はアコンカグア山の日本人初登頂は、1953年早稲田大学山岳部の登山隊で、登頂後当時のペロン大統領に謁見しています。今回は59年ぶりに先輩の偉業の足跡をたどることになります。また、この登山隊は創部90周年記念事業として行われましたので、大学当局をはじめ各方面の支援を受けて行われました。

アコンカグア南壁
 登山の経過を簡単に紹介します。2/12成田から出国、北米経由でブエノスアイレス着、さらに国内便にて登山基地の町メンドーサに到着。ここまで43時間かかりました。メンドーサで登山準備に1日を要し、翌日登山口の村プエンテ・デル・インカにチャーターした車で移動。そこから3日かけてBCのプラザ・デ・ムーラス(標高4,300m)に登る。BCまではオルコネス谷という広く開放的な谷を遡るため、快適なトレッキングを楽しめる。登山用資材の多くはムーラというロバの一種に運んでもらう。

アコンカグアにかかる笠雲
 BC設営後は、まず高度順応のためにボニーテ山(標高5,100m)に登る。次に、高度順応のためにC1(キャンプ1、標高5,050m)、C2(標高5,500m)、C3(標高5,900m)へと登っては下りることを繰り返し、荷揚げとキャンプ設営を行う。決して上へ上へと一直線に登ることはせず、上のキャンプに登れば、次の日には下のキャンプに降りることを繰り返し、尺取虫のようにキャンプを上げていく。そうしなければ、高山病にかかる可能性が高くなります。この登山隊の主体である学生は富士山(3,776m)の高度しか経験したことが無く、高度順応には十分な時間をとる必要がありました。ちなみにアコンカグア山頂では空気中の酸素の濃度は平地の1/3しかありません。

C1への登り
 2/26には最終キャンプ(C3)設営完了、頂上アタック体制が整いました。BCで天候の回復を待った後、3/1BCを出発、3/3に5名の隊員が登頂に成功しました。目標は私以外の10名の隊員全員の登頂でしたが、高度順応の壁は厚く、全員登頂はなりませんでした。登頂後、BC撤収、メンドーサ経由で3/13に成田に帰国しました。私自身は、当初BC滞在だけで終わる予定でしたが、ボニーテ山の登頂、1年生部員のケアのために5,400m地点まで登るなど、想定以上に動くことができ、満足のいく登山となりました。また、3/13に帰国した時には、体重は7Kg程減量しており、ズボンのウエストはブカブカ状態、難しかったメタボ対策になり、嬉しい効果が得られました。

登頂した5人の隊員
 今回の海外登山に参加させていただくために、会社には約1ヶ月の休暇を取らせていただきました。学生指導という大義名分はありますが、理解ある経営陣の判断に感謝した次第です。しかし、登山準備もさることながら、出発直前・直後の仕事をこなすためには多大な労力が必要でしたので、最近やっと落ち着きを取り戻しているところです。
 なお、この記事では登山活動の詳細までは記すことができませんでした。興味をお持ちの方は、インターネットにて、下記URLにアクセス頂ければ、詳しい内容が掲載されています。
登山計画書
.pdfの表示
早稲田大学山岳部
 ブログ    http://www.taksoho.com/weblog901/  ホームページ http://www.waseda.jp/9a-wac1920/
早稲田大学競技スポーツセンター
 当該記事   http://waseda-sports.jp/news/9720/  ホームページ http://waseda-sports.jp/
 
 《編集人より》水田氏より送られてきた画像は最高のものでしたが、全てを掲載するために紙面の関係上縮小せざるを得ませんでした。それでも、画像をクリックすると、別ウィンドウで2倍の大きさの画像が見ることができます。少しはその素晴らしさを感じて頂ければ幸甚に存じます。
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今こんなことをしています
『江戸時代子ども遊び大事典』と中国版画展の反響
中城正堯(30回) 2014.05.31

筆者近影
 新聞でも、中国版画展が5月13日の神奈川新聞、5月21日の朝日新聞で、大事典が5月24日の高知新聞で、紹介されましたので、記事を添付致します。中国版画展は神奈川新聞に記載のとおり私のコレクションで、今回が初公開です。6月29日まで開催しておりますので、ご興味のある方はぜひご覧ください。

子ども遊び大事典
 勉強志向の例としては海外留学を希望する傾向もあります。部活動を1年休部して留学し、留学終了後また部に戻ることもあります。この様な傾向は、企業活動の国際化と就職難という現在の学生を取り巻く環境と無縁でないと思います。我々の時代では1年のブランクを空けた後、部活動を継続することは考えられませんでした。この様な現役学生に対して、OBたちの評価も分かれます。「部に全力投球しない姿に物足りなさを感じる。」「学生の本分を全うした上で、部活動でもそれなりの成果を上げているのだから大したものだ。」どちらの意見ももっともですが、時代環境に関わらず全力を出し切っていれば評価したいと思います。

神奈川新聞5月13日

高知新聞5月24日
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今こんなことをしています
当世書生気質
水田幹久(48回) 2014.05.31

筆者近影
 4月の向陽プレスクラブ総会でご案内させていただいた拙著『江戸時代 子ども遊び大事典』(東京堂出版)と「福を呼ぶ中国版画の世界」展(横浜ユーラシア文化館)が、それぞれ刊行・開催となりました。中国版画展には、さっそく岡林敏眞会長・岡林哲夫幹事長はじめ来場いただき、感謝致します。
 我々昭和の時代の大学生(現在の大学生の父親以上世代)と比較して、現代の大学生の特徴としてまずあげたいことは、皆よく勉強することです。大学生が勉強することは当たり前のことですが、我々の時代は部活動優先の傾向が強く、部活動と授業がバッティングする場合、どうしても出席しなければならない授業(実験や課題発表、欠席すれば単位取得が危ういなど)でなければ、部活動を選択したものです。しかし、今の学生は授業を優先します。そこで問題になるのが、全員のスケジュール調整です。合宿、ミーティング、トレーニングなど日程調整に多大な労力を要します。テーマよりも日程調整に時間を要するミーティングがあったりします。メールという文明の利器の活用で、その労力もいくらか軽減されてはいますが。
 次にあげたいことは、相互にプライベートに干渉したがらない傾向が見られます。部の合宿所(寮)生活をする者でも、それなりにプライベートな時間を保とうとしています。学生たちの遊び方を見ていると、部員以外に友人関係を広げ、多くの人と広く付き合っている傾向があります。ただ、話題にゲーム関係が多いことは気になりますが。その点、昭和の大学生は部員同士で遊び、マージャンや飲み会など、敢えてお互いの時間を拘束しあう様な付き合い方をしていました。部活動を円滑に保つために、より濃厚な人間関係を求めていたように思われます。今の学生は逆で、適度に距離を置きたがります。従って、マージャンなどはまずしません。長時間拘束し合うばかりか、金銭的やり取りで気まずい思いする可能性があるからです。
 新人類、異星人、草食男子、等々、若者に対する表現をよく目にします。また、時々我々お父さん世代が「最近の若者は---云々---」と苦言を呈している場面にも出くわします。たしかに最近の若者は、自分達が学生であった頃に比べて違いが有るようにも感じられますが、どの程度のものでしょうか?
 身体的特徴を一つ紹介します。最近、学生の近視割合が高い傾向が見られます。たまたまなのかも知れませんが、ある年度の部員の中で正常な視力(裸眼1.0以上)は10人中1人しか居ませんでした。そして近視の9人も度数の進んだ者が多く、0.1以下のまるで目の不自由な人と言えそうな割合も多く、これには驚かされました。体育会系学生でこの状態ですから一般学生の近視はもっと多いのでないだろうかと心配させられます。これがTVゲームやパソコンの長時間使用と無関係とは思えず、スマートフォンの普及などさらに目の負担が増している昨今の技術進歩に、危惧を覚える次第です。

アコンカグア登山(オルコネス谷)
 最後に、当世学生の特徴などと上から目線で書いてしまいましたが、学生を指導することで自分が成長させられていることを実感しています。よく、「育児は育自」と言われます。子育てを通じて自分も成長していくという意味ですが、正に学生指導もその通りです。日々苦労をさせられている学生さん達に「感謝感謝」の気持ちを持たなくてはなりません。
 私は現在、大学の運動部(と言っても山岳部ですが)で監督をしており、大学生を指導する関係で学生に接することが多く、知らず知らずの内にその生態を観察してしまっています。皆さんにお役に立てるかどうか甚だ疑問ではありますが、若者を見る見方の一つとして参考にしてみて下さい。なお、大学生と言っても、いわゆる「体育会系大学生」のことですので、対象には偏りがあることにご留意下さい。
 次に特徴的なことは昔と比べ、「おとな度」が低い傾向にあります。昔、大学生は世間からほぼ成人と同様に見られていました。従って、本人達も成人のつもりで行動していた感があり、その責任を自覚していた人が多かったと思いますが、今の学生はまだ一人前でないことを自覚している人が多いと思われます。考えてみればそれが当たり前で、満20歳までは未成年なのです。未成年は飲酒も出来ませんし、法的に制限されていることもあります。親も20歳まで(中には卒業するまで、あるいはもっと先まで)子供扱いし、何かと干渉する傾向が見られます。この親子関係が世間一般の学生に対する見方に繋がっているように思えます。

アコンカグア登山(2012年2月)

マラソン大会参加
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『高知城「御築城記」とその後の穴太衆』と『NHK番組紹介』
中城正堯(30回) 2014.12.01

この画像をクリックすると
PDFファイル(紙面)が開きます
 『城郭ニュース』125号に書いた高知城の原稿で、誌面のデータを別送しますので、 そのまま掲載頂けると有難いです。城郭協会には、転載の了解を得てあります。
 もう一つはNHKの番組紹介で、このホームページがきっかけで、協力することになった番組 です。以下の文章をお願いします。放送までの短期間ですので、メンバーへのメールでも結 構です。
<お知らせ>
NHKに公文公先生の師弟関係が登場!

 NHK総合テレビ12月19日夜10時放映の「ファミリーヒストリー山本寛斎」に、公文公先生(7回 生・公文式教育の創始者)と、山本寛斎氏の父・山本一男さんの師弟関係が紹介されます。 そのきっかけは向陽プレスクラブのホームページです。私が書いた「海辺から龍馬の実像を 発掘」の中で、海南中学で師弟関係にあったお二人の、東京での50年後の再会を紹介しまし た。山本さんは、公文先生が阪大を卒業した昭和11年、最初に赴任した海南での最初の教 え子の一人です。
 これがNHK取材班の目にとまり、土佐高経由で筆者への取材依頼があり、協力致しました。 画面にはわずかしか出ないと思いますが、KPCホームページの情報発信力と、NHKの丹念 な情報収集に改めて驚かされました。山本家の家族関係も、驚きの連続です。

番組案内はがき  提供:NHK
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画柳会展のご案内
岡林敏眞(32回) 2015.05.12

第27回 画柳会展  2015/06/15〜06/21 於:銀座アートホール 東京都中央区銀座8-110 TEL:03-3571-5170
期間中食事時を除いてずっといます。

出展作品(一部)

「明日があるさ」   F50号

「勇気」  F50号

「会いたかった」  F30号
 会場に足をお運びできない方のために岡林さんにお願いして掲載させていただきました。(編集人)
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敗北宣言
藤宗俊一(42回) 2015.06.14

筆者近影
 このところ、仕事が無くて、数独というパズル作りにはまりこんでいます。毎日新聞で連載が始まったころ、「こんなめんどくさいことよくやるなあ。コンピューターにまかせたら……」と週末1日がかりでソフトをつくりました。3次元マトリックスで串刺し計算をやらせば簡単でした。それをきれいに画面表示さすのと、リアルタイムで途中経過を確認できるようにするのが少し時間がかかりましたが。
 それで止めとけば良かったのですが、「じゃあ、どうせなら問題を作ってみようか……」と出来心をもったのが間違い。試行錯誤の末、やっと一年掛かりでできあがりました。自分だけの楽しみにしておけば良かったのですが、最近になって一回り以上高齢の恩人の電話で『ボケ防止のために、数独に熱中している』との話があり、『それでは問題をお送りしましょう。本を買うのはもったいないし……』と、仏心(自慢心)をもったのが、2つ目の間違い。印刷しなくてはならないし、問題の形もきれいにしたいし、できれば美しい順序にしたいし……、結構完成 されたものができました。
その手順は、
  @まず解答(縦横、小枠(3x3)で重複しないように)テーブルを作る。
  Aどのような形に作るか型枠を作り、@のデータから抜きとって問題を作る。(点対称が一般的)
  Bそれを解析プログラムにかける。初級や中級問題は仮入力や2選択がないので簡単にできますが、
   上級問題は複数解が出てくる(初めはそれが分からなかった)問題があるので、その問題を除く。

 コンピュターがなかったらとてもできません!!!しかし、苦難(欲望)はこれで終わりませんでした。途中であきらめていた『いかに表示数字個数を少なくするか』という命題にいどんでいます。当初は、解答の過程で出来たテーブル(約20万個)をファイルに保存して、それを読み込んで問題を作っていましたが、表示個数が少なくなるとテーブルが足らなくなって問題を作ることができません。

 再挑戦の初めに、お馬鹿な工事屋の灰色の細胞の能力の範囲での理論最大値1,679,616個(6の8乗)のテーブルを作るソフトを作り、挑戦。23個まで達成。ところが、超お馬鹿な数学者2人の説では54億7273万0538個になるそうで(ウィキペディア)、後は理論無しのパソコンの力まかせで4時間12分かかって600億5233万9110個のテーブルを作るソフトを作りました。重複や誤謬(正解率90%以上)があって理論の10倍以上ですが、少なくともこれで全てをカバーしていると善意に判断して、17個(理論上の最少表示個数)を目指しています。退役したパソコン(XP)が隣の部屋でただ ひたすら戦っています。ちなみに、1日の解析能力は600〜1000万個で、単純計算すると全てチェックするのに6000日かかることになります。尚、解答は問題を入力しKEYを押すと瞬時にでてきます。

 数独   (wikipediaより抜粋)
 数独の初期配置の最少個数は、17個である。2012年1月6日、アイルランドの数学者ゲイリー・マクガイア(英語版)は「数独においてヒントが16個以下のものは解法を持ちえない」ということを証明した。証明にあたっては「ヒッティング・セット・アルゴリズム[5]」を用いて単純化し、2年間で700万CPU時間をかけ、答えにたどり着いた[6]。 以前は、問題として成立する初期配置の数字の最少個数は結論が出ていなかったが、点対称の問題では18個(初出・パズル通信ニコリ31号、1990年)、線対称(対角線)・非対称の物では17個(後者の初出・パズラ ー187号、1997年)のものが確認されていた。 また、どの初期配置の数字もそれが無かったら唯一解でなくなる問題の初期配置の数字の最多個数は、今のところ35個のものが確認されている[7]。
 なお、複数の解が存在する初期配置の数字の最多個数は77個である[8]。
 前記のウェイン・グールドがタイムズ紙に問題を提供していた例のように、コンピュータを用いて数独の問題を解答したり作成したりすることも広く行われている。日本でも、インフォレストが2004年1月から(外注のプログラマが作成した)プログラムで生成された問題を誌面に掲載しているなど、コンピュータによって作成された問題が商業誌に使用されるも例も多い。
 ルールの単純さから多くの解答プログラムが作られており、フリーウェアとして公開されているものも多い。多くのプログラムは9×9の標準の形式の解答しかできないが、大きいサイズの問題や対角線の条件が加わったものなども解けるプログラムもある。
 問題作成プログラムは、解の存在をチェックするために解答プログラムを内包することになるため、解答プログラムよりも数は少ない。コンピューターで問題を作成する利点としては、短時間で多くの問題が作れることや、「盤面に17個しかない」などのより限定された条件の問題を作ることができることがあげられる。
 ただし、コンピュータで面白い問題が作れるかどうかは別の話である。パズル通信ニコリの編集部及び読者や、西尾徹也のように日本で専門の雑誌が刊行されるよりも前から数独を作っている作家の中には、「コンピュータ作成の問題より人間が手で作った問題の方が解いて面白い」という意見が存在している。
 数独の組み合わせパターン数は、回転や反射や順列や名前を変更することなどの左右対称を考慮に入れると、54億7273万0538になるとエド・ラッセルとフレーザージャービスによって示されている。
 その後、22、21までは順調に問題を作り出してくれましたが、20になった途端、急に難しくなって12日目にやっと問題を見つけ出してくれました。表示個数27(標準−1/3の表示個数)の問題作成では1分間で100個以上作成してくれます。
 これは大変なことになると思い、型枠を作るソフトをつくり、理論無しで兵力を増員(1000型枠)して表示個数19の問題作りに取り組んでいましたが、その分処理能力が落ち(100万テーブル/日)、退役パソコンが5月の連休前から1か月以上昼夜休まず老骨にムチ打って計算を続けていましたが、とうとうカタカタという悲鳴を上げ始め、このまま続けていくと火を噴く恐れも出てきたので、大本営は撤退やむなしの判断を致しました。促成兵士1000名は約4000万(理論の150分の一)の荒野(テーブル)で戦いましたが、一つの問題も見つけ出 すこともできず、今後増々難しくなる18、17(理論最低個数)方面に作戦展開するのは国力から言って不可能と判断せざるを得ません。娘のパソコンが退役したら再び挑戦するつもりですが、とりあえず敗北宣言です。
 一番の敗因は、力任せに質の悪い兵士を養成したのせいかもしれませんが、もしかすると根本的な解法ソフトに問題があるかもしれません。下宿時代からの友人(数学者・関数論)に話したら、『最近の数学と同じで、命題を決めたら、あとはコンピューターの力任せで解決するのは理論ではない』とニベもない回答。物置の退役パソコンに最後の活躍の場を与えてあげたいという願いもむなしく、八方ふさがりです。
 ちなみにルールはいたって簡単で、81の桝目の空いているところに、縦、横、小枠(3x3)で重複しないように(対角線は重複可)1〜9の数字を入れるというだけです。もし興味のおありの方は表示個数27の問題120題(xlsx版)を置いてありますのでダウンロードして挑戦してみてください(それ以上はMailでご注文下さい)。尚、初級はif構文1万回程度、上級は仮入力や2選択があり3万回以上の判断が必要になります(あくまでパソコンの上での)。また表示個数20個の問題(下載)はif通過回数は21,325回で、作るのに時間がかか ったわりにたよりない問題でした。必ずしも個数が少なくなると解答が難しくなる訳ではありません。

数独問題ダウンロード(XLSX版)

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向陽プレスクラブに入会します。
竹本修文(37回) 2017.03.20

筆者近影
 回 生 = 37K
 name = 竹本 修文
 住所・電話・Mailは総会後、名簿に登載します。
 勤務先 = すべて元の職場、鞄月ナ、東芝電機サービス、北芝電機、独立行政法人宇宙航空研究開発機構(JAXA)
 ハンドルネーム = オブー・スパデイー
 メッセージ = 趣味は、以前はワインだったが、ここ10年はローマ史、ヨーロッパ中世史&近代史の勉強に熱中している・・・・誰か一緒にやらないかな〜?
<事務局より>
 久しぶりの新規入会です。是非次の総会(4月22日)にご参加ください。
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終結宣言
藤宗俊一(42回) 2017.08.26

筆者近影
 処暑も過ぎたというのに相変わらず暑い日が続いていますが、お変わりございませんか?初めは冷夏とばかりと思っていたのに、秋になって残暑が厳しくなりました。3年後のオリンピックはどうなることでしょう。
 その暑い盛りに、ご迷惑でしょうが残暑見舞い代わりに、『数独』 14,000題送らせて頂きます。お暇な折に挑戦してみて下さい。実はこの春、娘が結婚して出て行った後に、部屋(机周りだけ)とパソコンが残り、一昨年『敗北宣言』をして撤退した問題作りに挑戦していました。解析方法を改良しIF通過回数が半分近くに減りましたが、精度があがり仮入力のある問題(上級)では複数解のある問題が多出し(遊ぶのには問題ないですが作者の意地の問題)ちっとも早くなりません。同時に、兵力を増員し(前回の10倍…1万テーブル)多方面に作戦を展開していますが、まだ表示個数19個のままで止まった状態で、隣の部屋でパソコンがひたすら唸っています。ただ表示個数以外の点では、これ以上は工事屋の灰色の細胞ではほぼ限界だと思われるので、『終結宣言』を致します。
 もったいないので、その作成過程でできた20万題以上の問題からランダムに選んで整理し(難易度別と表示個数別)、遊び用ソフト(Excelとマクロ…2010以降のxlsmデータ)を作りました。下記に添付してありますのでダウンロードしてExcelで読みこみ、マクロを有効にして挑戦してみて下さい。これも印刷するのがもったいないというけちくさい理由です。Excelが使えないという方のために印刷用pdf版も添付してあります。万が一、全てを制覇してもっと欲しいという方がいらっしゃいましたらご遠慮なくお知らせ下さい。新しく作ってMailでお送り致します。簡単な使用方法は問題の下に書いてあります。
 それでは、ご奮戦を祈ります。もしかすると暑さを忘れられるかもしれません。ご自愛の程。
数独問題ダウンロード
 多分、同じ問題は一つもない(美形を除いて)と思います。 難易度別ゲーム(xlsm版…7000題)   表示個数別ゲーム(xlsm版…7000題)   印刷用データ(pdf版…40頁560題)  
追伸:先日稲刈りに帰高した際、童女様(永森女史)を見舞ってきました。だんだん記憶力が衰えてきているそうですが(私も同じ!)、お元気でした。ベット脇には、かわいいお孫さんの写真がいっぱい貼り付けられていました。早く回復して、また一杯やれる日を心待ちにしています。
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浮世絵展のお知らせ……町田市立国際版画美術館で開催中、11月23日まで
「浮世絵にみる子どもたちの文明開化」
中城正堯(30回) 2017.10.10

筆者近影
 来年が明治維新から150年目に当たるのを記念しての、浮世絵展です。明治の浮世絵には、文明開化の時代を迎え、陸蒸気や学校・英語・洋服に戸惑いながらも、元気いっぱいに遊び学ぶ子どもたちの姿が、しっかり捉えられています。これら明治の子ども関連浮世絵を、初めて総集したものがこの展覧会で、教材錦絵やおもちゃ絵も豊富です。明治を代表する絵師の一人、南国市後免生まれの山本昇雲も、見事な作品を残しています。
 本展は中城(国際浮世絵学会理事)が監修、図録に「文明開化と学校で激変した“子どもの天国”」を執筆しています。同美術館は、小田急・JR横浜線「町田」より徒歩15分、042−724−5656です。

山本昇雲
「いま姿 おすずみ」

同展覧会チラシ
画は楊洲周延  
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町田市立国際版画美術館:新収蔵展
中国版画・中城コレクション
中城正堯(30回) 2018.01.02

筆者近影
 町田市立国際版画美術館では、2018年1月5日から2月18日まで2017年度新収蔵作品展「Present for you」が開催される。今回は葛飾北斎などの浮世絵作品34点とともに、中城正堯旧蔵の中国民間版画16点が展示の中心となっている。

「李文忠掃北」(蘇州・清朝中期)
 町田市に寄贈した中城コレクションは、中国清朝中期から中華民国にいたる木版彩色の吉祥画・歴史画・~仙画など99点におよぶ。主な製作地は、天津楊柳青と蘇州。これらの作品は、2014年に横浜ユーラシア文化館主催「福を呼ぶ中国版画の世界―富貴・長寿への日中夢くらべ―」に出品され、2011年に中国国家プロジェクトとして編纂刊行された『中国木版年画集成 日本蔵品巻』(中華書局)にも30点ほど収録されている。

「宋王観景楊八姐遊春」(天津楊柳青・中華民国)
 ここに掲載した「李文忠掃北」(蘇州・清朝中期)は明王朝建国の歴史合戦画。「宋王観景楊八姐遊春」(天津楊柳青・中華民国)は、北宋の皇帝仁宋が柳八姐に出会って魅せられる戯曲の名場面。
 
 町田市立国際版画美術館:町田市原町田4-28-1(小田急・JR横浜線町田駅より徒歩15分)042-726−2771
 
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高校時代の思い出と内科専門医試験
坪田順昭(35回) 2019.04.28

筆者近影
 私は1960年卒業の坪田です。卒業は今から60年くらい前のことであるから、はるかかなたのこととなります。
 最近総合内科専門医(日本内科学会)の資格を取ることができました。本来ならば、医学部卒業から10年から20年の間に研修医、レジデントなどを経過し普通に勉強して認定されるべき資格であります。その当時は認定内科専門医と言われ、内科のsubspecialityとしての位置付けで、消化器専門医や循環器専門医などと同格であり、必ずしも必須の資格と認識されていなかったようです。しかし時代は変わり内科専門医は新しい専門医制度の中で、基本的・中核的な位置付けとなり内科系の医師にとっては最初の必須の資格となり、それをとることにより、内科医として総合的に診療し色々な医療のシチュエーションで、指導的かついしずえとなるべきと内科系学会では主張されている。
 私自身の立場から言うと、1980-1998年の間は総合病院(公立学校共済組合九州中央病院)に勤務し、内科医長、検査科部長、第一内科部長などを歴任し、研修指導医、研修責任者としての職責を果たしていた。その間認定内科医、消化器専門医、肝臓専門医などは修得したが、内科専門医の資格は受験までの手続きが煩雑であったので、準備の時間がとれずにいた。かっての研修医や部下の先生方はそれぞれ研鑽をつみ、総合内科専門医やsubspecialityの専門医となり大学や病院その他で活躍されています。その後15年間(1998-2013)は大分県で地域医療に従事し、そのうち11年間は開業して診療所を運営していました。従って70歳になるまでは病院や地域の診療に没頭し内科専門医資格試験を受験するのに必要な勉強時間を確保したり、体力を保持することが出来ませんでした。2013年に福岡の自宅に帰りつき、内科専門医資格認定試験の受験資格が措置的に緩和されて病歴要約など提出免除されたので受験の機会に恵まれました。その頃より精神科病院の内科医に採用されて(週4日間の勤務)、受験勉強をする時間的余裕ができました。内科合併症の診療以外に、内科学会講演会・教育講演会、医師会その他の生涯教育講演会への出席、2,3の内科学教科書、イヤーノート等の通読をし、試験問題集で知識の確認と記憶を実行し、自分なりに猛勉しました。その結果5回目の受験で、あしかけ6年間の勉強のはてにやっと合格し、晴れて総合内科専門医に2018.12.10たどり着きました。
 そのことによって私は何を得たのでと考えたとき自分としては非常に大きいものを感じている。まず現在私は77歳であるが、認知症ではないと信じている。さらにこれからの10年間はup-to-dateの医療を実施できる能力があり、実行できるであろうと希望している。内科専門医である医師は大学、病院などの医療組織で幹部として活躍しているであろうが、これからの私はそのような立場にはならないであろうが、ほっとして九大医学部入学試験に合格したころの幸福感に浸っている。
 振り返れば土佐高校に入学したころの自分と縁あって向陽新聞部に入部したころを思い出します。懐かしい思い出と共に、色々な逆境を乗り越えて解決していける能力や経験が得られました。また忘れえぬ友人や先生方を思い出します。その時の私は大阪市の公立中学を卒業して、いわゆる編入で土佐高校に入学しました。最初にびっくりしたのは;中学校より進学した同級生は既に高校1年の授業は終了していたことです。従って高校2年のレベルで高校の生活がスタートしたことです。強烈なカルチャーショックでありました。例えば;ax2+bx+c=0を因数分解せよが最初の実力試験に出題されました。今までは自分は優等生であるとうぬぼれていたことがいっぺんに劣等生であることを自覚させられて、しばらくはぼーとしていました。その時同じ編入生である岡林(邦夫)君とは話が合いました。彼は色々なクラブに入部して友人を作り、知己を増やしておりました。私も彼に金魚の糞のように行動していたので、新聞部に入部させてもらいました。私は実力はなかったので新聞の記事を書かせてもらうことはありませんでしたが、一度公文(敏雄)君がほとんど書いた一面の下書きをしたくらいでした。新聞部に入部して、部員の方々男も女も自分の意見や取材したことなどを、討論しながら、主張して紙面に反映していくすがたにほんとうに感銘しました。私にとってその後の人生において、ポジティブに生きて、世の中に対処していく原動力を得られたように思います。その時の友人たちで今も思い出にのこるのは、岡林君、公文君、中西(降敏)君の諸氏である。岡林君と中西君は若くして故人となられて、非常に残念なことに思っている、岡林君については彼の追悼文集“四万十川”に少し触れているのでご参照ください。その後、公文君とは、私が米国留学(ローズウェルパーク記念ガン研究所でポストドックをした)とき、東京銀行のニューヨーク支店に勤めていた彼に色々お世話になり、その縁で、今も交流が続いています。
 その後、私は勉強法を根本的に改めました。英数国の三教科は中学1年の教科書の復習から始め、教科書の丸写し、丸暗記を実行し、自分の決めたカリキュラムを着実にやれることができました。学校の成績はいい点数は取れませんでしたが、高校3年の最終学期ではほぼ東大入試合格レベルまで達することが出来て、一年浪人して大学医学部(九大医、京都府立医大、三重県立医大etc)に合格しました。土佐高校の3年間、浪人中の1年間は生涯で一番勉強して、人生の基礎ができたように思います。向陽新聞で色々な卒業生の名前がでるとなつかしい気持ちになります。
 思い出すエピソード一つは、私が高校の1-2年の頃父の診療所が南国市久礼田にあったので、当時母の贔屓の倉橋歯科医院(土佐山田町)に母にいわれてむし歯の治療に通院していた時、倉橋由美子様がおられて、ご尊父の倉橋先生の手伝いをされていました。今でも思い出すのはやさしい微笑と佳人であった倉橋由美子様の面影です。当時の歯の治療は大変苦痛を伴うものでしたが、ご令嬢のお陰で無事に治療を終えています。
 同窓生各位のこれからの発展と健康を祈念し、土佐中・高校が発展し、継続することを希望します。
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土佐向陽プレスクラブ