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 このページには門田美和さん(38回生、元土佐高校教諭)が校舎改築にもめげず、必死で守って下さった『向陽新聞』のバックナンバー他をpdf形式して保存してあります。一号で10MGバイトを超えるファイルもありますので読み込みに時間がかかる可能性があります。
 ご覧になりたい方はAdobe Reader(無料)等pdf形式の読めるソフトをインストールの上、下記のリストの下線部分をクリックしてご覧下さい。現在 111 号まで閲覧が可能です。欠番がありますが、もしお手元にお持ちの方がいらっしゃいましたら御連絡をお待ちしています。是非、御協力下さい。
2016.01.18 北村章彦  『土佐中學創立基本資料集』HP版
2014.05.21 公文敏雄  「土佐中學校創立基本資料集」発送のご報告
2014.05.21 井上晶博  「土佐中學を創った人々」の寄贈について
2013.02.20 井上晶博  母校へのCD寄贈
2011.10.16 岡林哲夫  向陽新聞バックナンバーCD完成のおしらせ
2011.10.16 藤宗俊一  向陽新聞バックナンバーCD誕生のいきさつ
2011.09.23 森田隆博  文系前期高齢者、CD作成奮戦記
2011.10.01 冨田八千代他  CD落掌御礼
事務局より   完成御礼
編集部より   再度のお願い
編集部より   顧問の先生方のお名前を調査中です
事務局より   お願い
事務局より   版権・著作権等について
事務局より   向陽新聞バックナンバー
注:2012年8月以降の記事は画像にマウスポインターを置くと画像が拡大されます。
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 2016.01.18『土佐中學創立基本資料集』HP版

 平成26年4月に発行された基本資料集を、より多くの方々にお読みいただけるよう、昨年来HP版(電子版)作成作業にとりかかっておりましたが、このほど漸く完成、掲 載の運びとなりました。ご高覧いただければ幸いです。
編集委員 北村 章彦(49回)

発刊にあたって・目次 ……向陽プレスクラブ会長 岡林敏眞・32回生
 東京オリンピックが開催される二〇二〇年に、母校である土佐中学校・高等学校は創立百周年を迎える。一九二〇年(大正九年)の創立時には母校を含めて高知県下の私立中学校は四校であった。それ以来九〇余年を経た二〇一四年現在では、中高一貫の私立学校が七校を数えるまでになっている。
 私立校の数が増えたばかりでなく、土佐中高そのものも大きく変化してきた。創立時には男子生徒二五名のみの入学であったが、二〇一四年度の中学校の入学定員数は二五〇名であり、一九四七年(昭和二二年)からは男女共学制となり、二〇一三年現在で中高合わせて一六七〇余名が在校している。男子生徒のみの少数英才教育から、今や男女共学の大規模校となった変遷を「土佐中学校・高等学校創立百周年史」(以下、「百周年史」と表記)として編纂・発行されることになっている。
 近年、教育をめぐる社会環境が激変している。少子高齢化、日本国内だけでなく世界で役立つ人材を育成するというグローバル化、情報伝達技術の急速な進歩、地球温暖化などなど。親や社会が学校教育に求める要望も様変わりしてきている。このような変化に伴って、土佐中学校・高等学校も単に大学への進学率だけでなく、その存在意義をますます問われるようになっていくであろう。土佐中高ならではの「教育変革」が必要なのだ。そう考えると、創立百周年という節目の年に、創立以来の歴史を振り返る「百周年史」を編纂するのは非常に有意義なことである。「温故知新」と言われるように歴史に学んでこそ将来のビジョンが構築できるのである。そこで、二〇二〇年の「百周年史」の発刊に向けて、ビジョン構築の参考資料として向陽プレスクラブでは、二〇一一年に「向陽新聞バックナンバーCD」を編纂発行し、関係各位に寄贈した。
 土佐中高ならではの「教育変革」を進めるためには「初心に帰る」ことも大切である。つまり、「土佐中学校の創立の原点を見直す」ことが不可欠なのだ。そうしないと、足元が定まらない変革になってしまう。創立の精神を生かしてこその変革が肝心である。そこで、土佐中高教育の原点を確認するための資料として、ここに『土佐中學校創立基本資料集』を編纂発行することになった。
 この資料集では、母校創立のいきさつ、特に創立者である宇田友四郎・川崎幾三郎両氏の建学趣旨と、その意向を汲んだ三根圓次郎初代校長の教育方針・教育内容を当時の資料の再録で明らかにしている。これら資料は、母校の存在意義と今後の発展への方向を検討する基本資料であるが、一般には閲覧困難であり、この小冊子によって広く普及をはかる。創立百周年を迎えるにあたって、理事・振興会役員・教職員ばかりでなく、卒業生や在校生にもこの資料に目を通していただくことが、私立校としての発展につながると思考する次第である。併せて「百周年史」編纂に活用をいただければ幸いである。

現代語訳編
  1)土佐中学校の設立(『宇田友四郎翁』昭和十四年より)
  2)幾三郎翁と秀才教育土佐中学校(『川崎幾三郎翁傳』昭和十七年より)
  3)三根圓次郎先生略伝(「三根先生追悼誌」昭和十八年より)
  4)土佐中学校要覧(昭和五年十一月より抜粋)
原文編
  5)土佐中學校の設立(『宇田友四郎翁』昭和十四年より)
  6)幾三郎翁と秀才ヘ育土佐中學校(『川崎幾三郎翁傳』昭和十七年より)
  7)三根圓次郎先生略傳(「三根先生追悼誌」昭和十八年より)
  8)土佐中學校要覧(昭和五年十一月より抜粋)

土佐中學校創立基本資料集解説 ……中城正堯・30回生

編集後記 ……土佐中學校創立基本資料集編集委員
 本誌の編纂作業に着手したのは昨年春のことです。往時の新聞部OB・OG有志の集まりである「向陽プレスクラブ」の総会で「編集委員会」の立ち上げが決まり、先ずは創立基本資料4点セット(「宇田友四郎翁」、「川崎幾三郎翁 傳」、「三根先生追悼誌」、「土佐中學校要覧」)の復刻準備に取りかかりました。原資料の提供・複写或いは貴重な ご助言などをもってご協力くださった宇田耕也、川崎康正両氏と母校土佐中学・高等学校に深謝申し上げます。
 読みやすい形で原文を再現するためには、原資料をデジタル化するという作業が必要でしたが、当クラブのシステム担当幹事藤宗俊一氏(四二回生)の敏腕をもってこれを乗り切りました。ワード版原文については読み取りソフトのバグによる誤字の補正、更に現代文訳の作成と校正、写真(原文に極力忠実に採録)を含めた段組み、そして最終校正と印刷……昔取った杵柄というか新聞部現役時代を想起しながら編集委員一同力を合わせての長丁場が終わると一年が経っていました。
 本誌の発行は、平素「向陽プレスクラブ」を応援してくださる会員並びに同袍各位の支えあってのものであり、末筆ながら厚く御礼申し上げます。
平成二十六年四月二十六日
  土佐中學校創立基本資料集編集委員
  岡林 敏眞(向陽プレスクラブ会長 32回生)
  公文 敏雄(同 幹事 35回生)
  岡林 哲夫(同 幹事長 40回生)
  井上 晶博(同 幹事 土佐女子中学高等学校教頭 44回生)
  北村 章彦(同 幹事 穎明館中学高等学校教諭 49回生)
     平成二十六年四月十六日印刷
     平成二十六年四月二十六日発行 (非売品)
     発行者 向陽プレスクラブ
     代表者 岡林 敏眞
     印刷所 クラフト・コア(株)
土佐中学校創立基本資料集 完成版(WORD)

●本文は膨大すぎてホームページ画面に掲載できませんでした。緑色のホットジャンプでpdfファイルを呼び出し閲覧して下さい。ダウンロードも可能です。またデータ(文章のみ)としてご使用なされたい方はWORD文(.rtf)をダウンロードして下さい。その際はメニューのMailBoxからご一報下さるとともにクレジット(引用:向陽プレスクラブ)をつけていただけるとありがたく存じます。
●基本資料集は、母校、創立者川ア・宇田ご両家、当会会員とご希望する同窓生に、全てを配布致しました。その際、川崎康正氏をはじめとして多くの方々からご寄附を頂きました。会員一同、心より感謝致しますとともに、ご浄財は今後母校の発展のために有効に使わせて頂きたいと思っています。
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新校舎建設開始の経過とその当時の生徒意識
「土佐中學校創立基本資料集」発送のご報告
公文 敏雄(35回) 2014.05.21
向陽プレスクラブ会員の皆様
 

筆者近影
 平素ご無沙汰しておりますが、お変わりございませんでしょうか。
 さて、4月26日のKPC総会でご承認いただいた「土佐中學を創った人々―土佐中學校創立基本資料集」120冊が発刊の運びとなり、総会にご欠席の会員各位には去る5月20日1冊ずつ発送されました。
 制作の趣意は、巻頭言に詳しく記されておりますとおり、創立100周年を6年後に控え、母校の今後の発展を期するにあたっての参考資料としていただくことですが、郷土の偉人伝として読んでも面白くかつ有益かと思われますのでご一読賜れば幸いです。
 なお、本誌は土佐中學校を創られた川崎・宇田ご両家と母校にも贈呈させていただきました。その模様は井上晶博氏(発行検討委員)が本ホームページに寄稿されておりますのでご覧ください。
 以上ご報告申し上げます。
(KPC幹事 基本資料集検討委員長)
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「土佐中學を創った人々」の寄贈について
井上 晶博(44回) 2014.05.21

筆者近影
 5月8日(木)9日(金)の両日、帰省された公文敏雄委員長(35回生)と共に、宇田・川ア両家と土佐中学高等学校を訪問しました。昨年に続き、2度目の訪問となる今回は、完成した土佐中學校創立基本資料集「土佐中學を創った人々」を携えての訪問となりました。
 8日は宇田耕也氏が理事長を務められる横浜病院へ赴き、2冊寄贈させていただいた。前回の時は趣旨についての説明等で、1時間近くいろいろな話をお伺いしたが、今回は事前の連絡の時に「多忙ゆえ事務職員に手渡してほしい」とのことで、事務の方に冊子を託してきた。

基本資料集寄贈の模様(母校応接室にて)
左から三浦教頭、山本校長、公文委員長
 9日は土佐中学高等学校を訪問した。玄関先で三浦教頭の出迎えを受け、校長室にて山本校長に冊子を手渡しし、簡単な寄贈式とさせていただいた。この後、公文氏から内容や編集の苦労(編集に携わった方々の話など)についての話があり、学校の成り立ちについて多くの先生方に知っていただき、併せて「100周年記念誌」完成の一助になればとの思いを込めて合計55冊を贈らせていただいた。山本校長からは「原本があっても、気軽に教職員や生徒が見ることができないので、大変ありがたい」とのお礼の言葉があり、何もしていない当方も誇らしい気持ちになった。
 この後、川ア康正氏に面会のため不二電氣工芸株式會社を訪問した。社長として多忙にもかかわらず時間を割いていただいたことに感謝しつつ、2冊を寄贈させていただいた。川ア氏からも「設立当時のことについて直接は知らないが、叔父からよく話を聞く。読みやすい冊子になっており、早速目を通してみたい。何より叔父が喜ぶと思う」とのことで、ここでも地元の幹事(何もしてないにもかかわらず)として面目を施したかたちとなった。
 以上、取り急ぎ報告させていただきます。
(KPC幹事 基本資料集検討委員)
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井上 晶博(44回) 2013.02.20母校へのCD寄贈

筆者近影

寄贈のCDと挨拶文を見る山本校長と三浦教頭
 2月20日(水)15時に森田先輩(37回)と私の2名で土佐中学高等学校を訪問しました。学校では、三浦教頭の出迎えを受け、校長室にて山本校長と面会をし、お送りいただいたCD130枚を寄贈させていただきました。

 最初に山本校長と三浦教頭にCDの枚数について(120枚が理事・振興会役員・教員用で内容の説明プリントをつけたもの。10枚は生徒貸出用で図書室に保管)説明し、目録を山本校長に手渡し、寄贈式とさせていただきました。その後、4人で内容についていろいろな話をさせていただき、このCDを作成したいきさつを森田先輩共々説明させてもらいました。

昭和41年春の甲子園の準優勝旗を前にして
山本校長に井上から目録を贈呈
1つは100周年の記念誌作成に向け正確な資料として参考になれば(報恩感謝の言葉についてなど)との思いと、2つ目は新聞部の復活について(三浦教頭から歴史ある部であるから、今も休部あつかいで置いてあるとの言葉があった)学校の協力をお願いしました。

 ただ、山本校長や三浦教頭と協議事項があり(私が土佐女子の教頭をしているため)、KPCの事柄について30分ぐらいしか時間が取れず、同行していただいた森田先輩にも大変申し訳なく思っております。また、高知在住の方々には連絡をとれないままになったことをお詫び申しあげます。(なお、山岡・宮川・山本・坂本君の4人には連絡を取り私が行くことの了解を取りました)

   取り急ぎ、ご報告させていただきます。
(文中敬称略)  ページTOPに戻る

向陽新聞バックナンバーCD完成のおしらせ
岡林哲夫(40回) 2011.10.16
 土佐中高新聞部OB・OGの会である向陽プレスクラブ(以下、KPC)では、「向陽新聞」のバックナンバーを電子化しホームページに掲載する作業を進めてまいりましたが、この度ほぼ全号(創刊号・昭和24年3月11日〜第111号・昭和59年12月7日のうち3号分を除いて。)の電子化が完成いたしましたので閲覧の利便性を考えCD化いたしました。
 この「向陽新聞」バックナンバーには日本が終戦後の混乱から復興し発展していく過程を四国の片隅で体験した高校生・中学生の『想い』が掲載されています。戦後日本及び皆様方の青春の思い出を感じていただければ幸いです。
 また、このCDが土佐校の歴史の貴重な資料として、編纂予定の「土佐校百年史」や価値観の大きな変革期における学校運営にも活用されることを期待して、母校にも提供いたしました。
 CD化にあたり、27回卒業の細木大麓氏をはじめとする多くのKPC会員、並びに紙面を保存していただいた母校の関係者及び電子化作業に携わった方々のご協力の賜物であり、深く感謝いたします。
 尚、CDは非売品でありますが、複製をご希望される方(団体)はKPC事務局(post@tosakpc.net)までメイルでお申し込み下さい。ただ、制作費用は会費と、有志からの拠出金でなんとかまかないましたが会の財政事情は苦しく、申し訳ありませんがお申し込みの際に1枚当たり約3千円の制作協力金をお願いしています。
2001年10月
向陽プレスクラブ 
 会 長 中城 正堯(30回)
 幹事長 岡林 哲夫(40回)
 企 画 岡林 敏真(32回)
 編集人・CD制作 藤宗 俊一(42回)

《お願い》現在5号(昭和24-25?)、82号(昭和44)、107号(昭和52-54?)が未収録です。お持ちの方は御連絡頂ければ幸いに存じます。
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向陽新聞バックナンバーCD誕生のいきさつ
藤宗 俊一(42回) 2011.10.16
 CD発送が終わって一息ついていたら『会としてはCD誕生のいきさつはきちんと残すべきと考えますので、よろしく』という、中城会長からのMailがあり、この事業全般にかかわってきた以上書かざるを得なくなって、HP初投稿になりました。私は一応理系なので拙文で、とても文系前期高齢者の方のようには上手に書くことは難しく、この事業に携わった方々のご指導、ご助言を受けながら、なんとかまとめました。このところアルコハイマー性認知症がすすみ、記憶違いや失礼な表記が多々ありますが、CDに免じてお許し下さるようお願い申し上げます。
 
1.発端
  平成22年3月19日、第1回向陽プレスクラブ再結成準備会の席上、岡林敏眞氏(32回)から『校舎改築の際廃棄処分にされそうになった向陽新聞のバックナンバーを、母校教員で新聞部OGの門田美和さん(38回)が見つけ図書館に保管してあるそうです。』と報告があり、『4月の帰高の際、母校を訪問して確かめてくる』ということになった。

2.調査、電子化発注
 平成22年4月8日のホームページ記載の報告書抜粋(下記)のとおり、岡林敏眞氏から調査と提案が行われた。
1)4月3日。10時土佐高にて三浦浩二教頭(45回)に会う。新聞部OGの門田美和さん(38回、今年3月まで土佐高の教師)も駆けつけて来てくれ、彼女とともに図書館に保存の向陽新聞を調査した。
*保存新聞のリストは別紙。96紙が保存されていたが、劣化が進み紙面は茶色に変色。
*三浦教頭の紹介で、池商店の専務・池 啓伸さん(49回)が来校。池商店は土佐高に文房具などを納入している業者。彼が新聞などの電子化業者に連絡を取り、試験的に1紙を電子化すると共に、値段を調べてくれることになった。
2)4月5日。11時に小村(こむら)彰(49回)教頭に面会すると共に、事務室で電子化した向陽新聞をパソコンで見る。写真撮影したものより、スキャナーで作成したものが鮮明であった。
*事務部の千頭(ちかみ)裕(58回)さんがパソコンを操作してくれた。
*電子化料金はスキャナーで1面で300円(税別)
*ガラスの上に紙面を載せて、汚れを除去しながら25分〜30分の時間がかかる。
【向陽新聞の電子化について】
 少々経費がかかるが、この際電子化したらと思う。会員全員が自由に閲覧できるし、土佐高にも永久保存に便利。費用は、とりあえず、準備委員(中城、岡林、杉本、吉川、公文、森田、黒木、藤宗、永森、中井、鶴和)の11名が1万円ずつ出しておいたらどうか。会員への連絡費やHPの開設費用、総会会場の予約金など、いわゆる開点資金がかかると思う。中井君が開設した口座に振り込む。
 電子化をすることになれば、門田美和さんに動いてもらって進めることにする。
  
3)これ以上の散逸を防ぐために、電子化は急務であるという認識で一致、岡林氏に一任。池商店に発注された。
4)資金については、とりあえず中城正堯氏(30回)、岡林敏眞氏、杉本健一郎氏(32回)が合計7万円を拠出し、それに藤宗保管の旧プレスクラブ通帳の残金約3万円(うち1万円は島崎(森下)睦美さん(31回)よりのカンパ)をあてることになった。

3.第1次電子化画像到着
 平成22年4月下旬、池商店よりスキャンされた画像(283面分)が届き、岡林氏から『電子化が終わったので、池商店に支払いをするように。』との指示を受ける。
1)画像を精査すると以下の問題点が浮かび上がる。
*500MG近い一つのファイルにまとめてあるので、インターネット上では多分誰も読み取ることが出来ない。
*順番がでたらめで目的の号数を捜すのがまず無理。
*落訂や二重の画像(約40枚)もあり、283枚の根拠がデタラメ。
*画像がナナメになったり、横向きになたりして画面上では読めない。
*ごみ取りをしていなく醜い上、見本では1面2.5MBあったのだが、半分くらいが1MBもなく非常に粗く、印刷には不向き。
*少なくとも、データを撮る段階で新聞を見ながらファイル名に号数と紙面の番号で入れて、処理しておけば簡単だが、このデータから編集するのは大変な労力がかる。
2)以上の問題点を指摘し、『金は払えない』と岡林氏に伝える。折り返し池氏から電話があり、その旨をつたえると、『指示通りに母校から古新聞の山を受け取り、上から順番にスキャンしていっただけです。確かにこちらのミスもありますので、取り直し致します。下請に渡す指示をお聞かせください。ただ、合間をみての作業になりますので時間を下さい。』との返事。母校のためとはいえ、快く再スキャンを引き受けてくださった池氏には頭の下がる思いがした。
3)今後の進め方
*とりあえず、受け取ったデータを分割し、新しい名前をつけてホームページに仮アップする。
*向陽新聞のデータは500MBもあるので、メイルでは誰も受け取れない。DVDかCDで送るしかない。「総会に参加した人たちに手渡すのが最善なのだが、まだ、電子化は終わっていない。未収録のデータもあるし、少し時間がかかる」と報告。

4.未収録バックナンバーの収集とリストの作成
1)母校に残されていたバックナンバーは92号分(翌桧、号外を除く)で残りの19号分の行方探しを、メイルやHPを通じてお願いした。その結果下記の方々から提供の申し出があり、スキャンした画像が送られてきた。
*細木 大麓氏(27回)、谷村 峰雄氏(27回元文芸部):4,6,8,10号
*中城 正堯氏(30回):創刊号,12,13,14,16,17,18,26,52,53号,スポーツ号(ガリバン製)……公文 敏雄氏(35回)を通して
*山本 嘉博氏(51回):101,103号……同じく公文氏を通して
以上の御提供のおかげで、未収集のバックナンバーは5号、82号、107号だけになった。
2)以上の資料と学校に残されていた号外、翌桧号(生徒会発行)、復刊号(有志発行)、高知新聞(広告等)をまとめてリストを作成することにしたが、前述のようにファイルの名前がランダムの上、1面1面を開きそのデータ(号数、発行年月日、編集人、発行人)をエクセルに書き込んで行く大変な作業となった。また顧問の先生方の名前を入れたらという提案があり、HPで協力を呼びかける。ただ、記憶が曖昧になっている方が多く、自分の時の先生は分かるがいつからいつまで顧問であったかは定かではないというと返事が届く。

5.第2次電子化画像到着、編集、ホームページへの掲載
 平成22年8月上旬、池商店よりスキャンされた画像(252面分)が届き、会計の中井興一氏(45回)が池商店に支払いをする。既に設立総会も終わり、会員の手元に渡すことが出来なくなっていたが、総会でHPに載せることが決定していたので、「何故私がやらなければならないの?」と思いながら編集作業が始まる。
1)全ての画像(292枚)を号数毎に分け、横転している画像を回転させ、紙面順に結合し、新しいファイル名で保存する。
2)リストに主要記事内容を付け加え、ジャンプできるようにHTMLのタグをつける。
 出来た分からホームページに載せる。実際は1)2)を並行しながらすすめるが、うんざりする作業である。仕事の合間をみてはの作業で結局3ヶ月あまりかかり121枚のPDFファイルを作り年内に完成し、ホームページの会員のページに掲載。

6.CD化
 平成23年4月、第2回総会にて事業計画でCD化が決定される。協力を求めても誰も手を上げない。文系が大半のクラブの弱点をさらけだす結果となった。
1)HP掲載の総容量が720メガ程度なので、700メガにまとめればDVDではなくCDに収録できる。CDにすれば、値段も安いし、誰でも見る事が出来るし、大量生産も手伝ってもらえると思い、また分解して画像を少し圧縮をかけて、再び結合させる。ところが、実際CDに焼き付けてみると700メガは書き込めない(失敗)。再び680メガに圧縮してマスターCDを作り、ホームページに仮掲載をして、幹事の意見を訊く。
*あろうことか、文系前期高齢者の方などは『あれはホームページと同じですね。』とのたまう。文系の人は出来上がったものでしか判断しない。
*『土佐向陽クラブは正式名称ではなく会則どおり向陽プレスクラブに。』画像なんてお飾りだというのに。修正。CD2枚没。
*『日付けを入れた方が良い。』全てのファイルの日付けを強制的に2011/09/01 00:00:00で統一する。また1枚没。
2)岡林 哲夫氏(40回)から『ラベルを付けた方が良い。私が作ります。CDコピーも手伝います。』最後になって、やっと救いの手が差し伸べられた。
3)森田 隆博氏(37回)から『パソコンは文系理系は関係ない』と向こう見ずな申し出があり、多少疑問を抱きながらコピーをお願いした。
(既報CD作成奮戦記を参照してください。)

7.コピーと発送
 平成23年9月、完成したマスターCDを会員の宛名ラベルとともに森田、岡林両氏に送る。中旬、コピー及び発送が完了。9月22日、岡林氏と永森裕子さん(44回)が高知支部懇親会に参加し出席者に手渡し、同時に母校や高知新聞社にも届ける。多くの方々からお礼のMailや葉書が沢山寄せられ、1年半にわたる事業は完了した。

8.最後に
 多くの方々のご協力を得て、無事『向陽新聞バックナンバーCD』を皆様にお届けできたことを深く感謝いたします。

9.追記:フリーソフト、シェアソフト
 森田氏が初めて使用されたと言われるフリーソフトやシェアソフト(○印)をこのCD作成にあたり使用させていただきました。開発及び提供者(社)の方々に感謝致します。安心できるソフトですので皆様も是非お試し下さい。(全て日本語版あり)
1)WinFD ○:ファイル管理ソフト:copyright(c)高橋直人 Naoto Takahashi
MS-DOS時代(FD)から続くファイル管理ソフトで、属性変更、更新日変更、最新更新日同名ファイルのみコピーができる(一番使う。何故エクスプローラにこの機能がないのか?多分100枚以上、他のパソコンに同時にコピーすることを考えていない)、定評あるソフトです。
2)FFFTP :FTPクライアント:Copyright(C)Sota. All rights reserved.
ホームページにサイトアップするソフトです。
3)GIMP :画像処理ソフト:Copyright(C)Spencer Kimball, Peter Mattis and The GIMP Development Team
日本語の解説書(市販)まで在るソフトで個人的にはPhotoShop(高価)より使いやすい。
4)PrimoPDF :PDF作成ソフト:Copyright(C)activePDF, Inc. ("ACTIVEPDF")
全てのソフトからPDF打ち出しができる。編集はできない。
5)ComPDF ○:PDF結合ソフト:Copyright(C)森 秀樹 foresth
6)SepPDF :PDF分割ソフト:Copyright(C)森 秀樹 foresth
7)その他、パソコンや製品に付属する多くのフリーソフト(Adobe Reader,Roxio Creator,Roxio burn,エレコムらくちんプリント等々)を使用させて頂きました。
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森田隆博(37回) 2011.09.23文系前期高齢者、CD作成奮戦記

1、パソコンと文系理系
 岡林幹事長と藤宗編集長の御尽力で「向陽新聞バックナンバー」のCDの完成のメール到着。ホームページに次ぐ再生向陽プレスクラブの目に見える成果の二つ目です。おめでとうとあわせて「ラベルに制作年月を記載したらいかが」と提案した手前「何かお手伝いをしたい」とメールを返した。
 まもなく編集長からのメール到着。
件名  お手伝いしていただけるとありがたいです
差出人:藤宗編集長    送信日時:11年9月3日
 「結局、どなたも協力を申し出てくれませんでした。文系のメンバーが大半のクラブの弱点をさらけ出した結果のようです。幹事長(一応理系卒)と二人で出来る範囲で進めようと思っています。もしCDの複製を作った経験がおありでしたら(実は私も初めてで、今回試行したのですが一回目はどういうわけか頭の良すぎるコンピュターがいうことを聞いてくれませんでした。)お手伝いしていただけるとありがたいです。・・・・。」

 このメールを見て、CDの複製を作った経験も無いので断ろうと一旦は考えた。ところが、「文系が大半のクラブの弱点」との刺激的な文言に拘ってしまい、スグに返事のメールを送った。私は一応文系卒でしたので。編集長の巧妙な挑発に乗ってしまったと思ったが後の祭りであった。
件名  RE;お手伝いしていただけるとありがたいです
送信日時  11年9月3日
 藤宗編集長  様
 パソコンは文系理系関係ないと思い、その気になりました。可能であればお手伝いいたします。幸い、最近ヒマとなりましたので。ただし、
 (1)4日から11日まで高知に帰ります、12日以降の作業となります。
 (2)CDのコピーの経験はありません。作業の仕様または手順を教えてください。パソコンの能力等はわかりません、・・・・
 (3)CDのコピーが無理であれば発送の作業やラベル貼りでもやりましょう。 

 お手伝いするとメールした後、私の実力に心配となったか「少し疑問ですが・・・」と遠慮がちに編集長からメールが入る。編集長も気がかりになったようです。
 「コピーソフトRoxioBurnが機械に入っているか?」との質問がきた。全く知らないソフトだったが、パソコンのスタートメニューに似た名前のソフトRoxioCreatorがあった。これを編集長に伝えると「コピーソフトだと思います。」との返事。当方は全く未知の世界、編集長の返事も頼りなく思え、心配になりパソコンの説明書を張り出したが、CDのコピーとかコピーソフトの説明などは全くのっていない。いよいよ本気に悩む。翌日からは高知の田舎である。もちろん高知にパソコンは持参しない。
              
2、手順書が到着   9月9日
 何もできないまま数日経過した後、編集長からCD発送作業の手順が携帯メールに到着。編集長も翌日から御両親のためにしばらく高知に帰るので連絡の取れるのは当日22時までと。急いで質問をしなくてはとメールを読み返す。
件名   CD発送の手順
差出人:藤宗編集長    送信日時:11年9月9日
 「・・・既にマスターCDとラベルはメール便でお宅に届いていると思います。
 @CDR700MB(ケース付き。白色無地・できれば薄型5oケース,安い)10枚パック(失敗しないという前提)と一枚分が入る封筒(角型6号)10枚を買ってくる。
 Aパソコンのスタートメニユ−からRoxio Creatorを立ち上げ、デイスクをコピーを選び、送られたマスターCDをドライブにいれてデータを読み込む。終了したらマスターCDが出てくる。
 B@の新しいCDを入れて、書きこむ。(最初の一枚が出来た時にちゃんと動くか試用して下さい。Aから始める。)
 C出てきたCDを取り出しマジックで森田さんのサインを入れる。(未使用CDと区別するため)
 D@の新しいCDを入れてBを繰り返す。
 E同封のCDラベル(岡林氏作成。予備を含め12枚同封)を貼り付ける。半分だけ台紙から剥いでヘリに同心円になるように端だけ貼り付け、全てを台紙をはがし貼り付ける。
 F添付ファイルの送付分を10枚打ち出す(コピーでも可)
 G封筒に同封の宛名ラベル(大御所10人)を貼り、発送者住所氏名を書いてEFを入れる。個人的な挨拶文はお好みで・・・・(郵便法違反)。
 Hコンビニでメイル便で発送する。
 I@FHの費用をMailで中井幹事に請求する。振込先口座番号が必要。(CDは失敗枚数を含めて)
 Jホームページに「文系前期高齢者、CD作成奮戦記」を投稿する。昔取った杵柄をひっぱり出して、楽しい文章を期待しています。画像付きだと尚結構です。「勤労奉仕をしたうえに、記事まで書かされる。」とぼやかないでください。新聞部の悪しき伝統ですので・・・・。

(1)文献を求めて   9月9日
 高知から西に約10キロ離れた私の田舎でもさいわいTUTAYAという本屋が近所にある。文献など無いと思いながら一応見てみようとでかけて見ると、「DVD&CDバックアップ事典」(日経BP社刊)が目に付いた。立ち読みもしづらいので、その場で買い求めた。11年9月12日発行の新刊で今時珍しく安い640円。早速読むとCD/DVD/BDの基礎知識からデータ、音楽、写真、映画を書きこみ利用などのマニュアル本であった。ただ、CDのコピーについての記載は唯の2ページだけで、それに編集長の手順にあるソフトの記載はない。コピーのソフトにはフリーソフトを取り寄せるようとのこと。フリーソフトとは初体験、さらに悩ましいこととなった。 
(2)CDRの購入   9月10日
 CDRを求めて、ケーズデンキ高知店に行く。自分でCDRを買うのは初体験。量販店の中でCD等の売り場を探すのが大変、最初はビデオや音楽のCDの売り場で探すが見つからない。最後は編集長のメール「CDR(ケース付き、白色無地、薄型5oケース、安いもの)」を店員さんに見せて探して貰った。白色無地と言われてもなにが白色かもわからなかったわけだから情けない話である。どのメーカーのものを選びますかと言われ、大御所向けに送るCDと言われていたので値段の一番高いものを買った。
 
3、CDの複製・発送
(1)CDコピーソフトの取り込み 9月12日
 自宅に帰った翌日の12日、いよいよ難関のCDコピーに挑戦。編集長の手順Aにある、パソコンのスタートメニューからコピーソフト「Roxio Creator」を立ち上げようとして、ソフトのメニューをクリックして驚く。メニューに名前は入っているがソフトはインターネットで取り込まないと使えないソフトであった。先日読んだ事典にあるフリーソフトである。こんなことは編集長からの手順にはまったく書いていない。Roxio社にインターネットを取り込むまでは日本語の案内で繋がったが、その後は英語の世界。あわてて英語の辞書を手元に置き悪戦苦闘が始まった。大事な仕事と思い、最初は一語一句読み進んでいたが一時間も経過すると、厭になりいつものやり方に変更。適当にメニューを進め、行き詰るとやり直すという試行錯誤を繰り返す。やっと二時間後Roxio Creatorの取り込み終了らしくなったところで精魂尽きた。取り入れたコピーソフトは日本語の表示、なぜアメリカのソフトメーカーに英語でアクセスしたんだろうと悩む。次回藤宗編集長に教えてもらおうとあきらめた。編集長の手順書Jにある「CD作成奮戦記」を投稿せよとの意味と編集長の遠謀がはじめて理解できたような気がする。
(2)CDの複製 9月14日
 いよいよメインの作業。Roxio Creatorを起動させコピーを始める。手順の案内がないため何度か試行錯誤を繰り返したところやっとコピー終了の表示がでた。コピーしたCDをかけて読んでみると見事に向陽新聞のバックナンバーが現れた。コピーなんて簡単なものだとまずは安心。
 次からは一枚読み込み、それを元に9枚コピーした。コピーには一枚当たり約8分かかったが、パソコンに表示された最速コピー時間7分からすれば大差ない時間だ、手順に間違いないと思った。
 次はコピーしたCDにキチンとコピーされているかの検査である。編集長からの指示どおり検査すると10枚中2枚はコピーされていなかった。失敗作には別のなにかがデータとして入っており、新品のCDRとして使えなくなっていた(ブランクでないからと表示がでた)。その原因はわからない、もう一度CDRを買いに走り、再度二枚コピーして、やっとノルマの10枚のCDが完成。およそ半日がかりであった。
(3)ラベル貼りと発送  9月15日
 今回もっとも気を使ったのはCDへのラベル貼りである。
 買い求めた「DVD&CDバックアップ事典」やCDRのパッケージに記載されている正しいデイスクの扱い方には「ホコリや歪みが原因で正常な読み取りが出来ない」とあり、さらに「デイスクにラベルを貼るのはトラブルの元」と注意書きがある。恐ろしいことをやることとなったと心配となったが、編集長の手順書にはラベルの貼り方が親切に書かれておりありがたかった。また暑い中での作業で手汗がつくことを恐れて、CDのハンドリングとラベル貼りの際には手袋を着用し、十分な注意を払ったつもり。もし万に一つCDに不具合がありましたらご連絡を願います。再度複製のうえ送らせていただきます。
 ラベル貼りと封筒入れを終え、郵便局に出かけ発送手続きをして全てを終えた。沢山のCDのコピーと発送を担当した藤宗編集長のご苦労はいかほどかと思いやる余裕が出た瞬間である。
 
4、完了報告     9月15日
 早速、岡林幹事長、藤宗編集長、中井幹事さんに発送完了の報告のメールを発送。     
 日頃なにもお手伝いできない向陽プレスクラブでやっとささやかにお役に立てたこと、しかも御大という先輩方(編集長は後期高齢者ともいう方)への発送作業を分担出来たことを御礼した。悪戦苦闘であったが、新しいチャレンジの出来た御礼を書き忘れていた。
 報告の最後には藤宗編集長の手順Iに掛った費用の明細を報告請求することとの指示があったので、費用明細を記した。そのうえで、振込の手間と振込料を節約するために、掛った費用は些少ですが会に寄付か藤宗編集長口座にまとめて振込むようにお願いした。これはいつもの遊び心がつい出てしまったもの。これがまた中井幹事さんに大変なご迷惑とご心配をおかけしてしまいました。最後まで皆さんに迷惑をかけた作業でした。
 
5、最後の手順
 藤宗編集長には発送報告とあわせて御指導に感謝しながらも、手順書Jの「文系後期高齢者CD作成奮戦記」の投稿には逡巡していると伝えた。手順書に編集長が「勤労奉仕をした上に記事まで書かされる」とメールに書いており、理解いただけると思った。これに対して早速カウンターを喰らう。前期高齢者を後期高齢者と間違ってメールしていたことを指摘するメールが返ってきた。さらに、向陽プレスクラブホームページの「向陽新聞バックナンバーCD送付のお知らせ」には「文系前期高齢者CD作成中・・・」との記事が掲載されており、またメンバー向けメールの「向陽新聞バックナンバーCDの作成、発送・・・」のなかでも「CD作成奮戦記投稿予定…」とある。編集長は私の退路を完全に断ったのです。
 そんな次第でこのような拙い文章で向陽プレスクラブのホームページを汚してしまいました、ご理解とご容赦をお願いします。
* * * * * * * * * * 
《編集人より》森田先輩、本当にご苦労さまでした。しかしRoxio Creatorの件については私も預かり知らぬことで(私もCDコピーは初めて)、fujitsuパソコンが手抜きをしたとしか言いようがありません。
 しかし、原稿の方は手早かったですね。こんな素晴らしい玉稿をたった1日で送って下さるとは。さすが文系!。
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冨田八千代(36回)他 2011.10.01CD落掌御礼

 CD発送に際し、沢山のお礼のMailが届きましたので掲載します。(到着順)
 画像をクリックすると大きな画像を見ることができます。

濱崎 洸一(32K) Sent: Sunday, September 18, 2011 2:27 PM
 向陽新聞バックナンバーCD受け取りました、なんとか自分の在学時代を読んでおります、関係されたみなさんありがとう、取り急ぎ受領報告です。

鶴和 千秋(41S) Sent: Sunday, September 18, 2011 11:01 PM
 本日DVD届きました。
 たとえご本業に多少の時間的ゆとりがおありになったとしても、大変な労作です。 ご苦労をかけました。感謝します。 有難うございます。

公文 敏雄(35S) Sent: Monday, September 19, 2011 10:43 AM
 ご労作昨日落手いたしました。
 お骨折り有難うございました。

永森 裕子(44K) Sent: Saturday, September 17, 2011 11:36 PM
 CD到着しました。幹事長、森田さん、藤宗さん、有難うございました。お手伝いできなくて申し訳ありませんでした。

吉川 順三(34O) Sent: Monday, September 19, 2011 11:21 AM
 DVDありがたく受け取りました。
 伊豆の吉川

浅井 伴泰(30O) Sent: Tuesday, September 20, 2011 8:57 AM
 DVDありがとうございました。パソコンの調子が悪く、買い替え検討中、金策が上手くいったら、ゆっくり見ます。残暑もピリオドのようです。
 益々のご活躍を祈ります。発送の方にもよろしくお伝え下さい。
 野球追伸
 中学 18年ぶり優勝
 高校 新人戦 1−0で明徳を破り準優勝、秋の大会第二シードとなる

牧内 操(42H) Sent: Tuesday, September 20, 2011 10:57 AM
 お骨折りの賜物をありがとうございます。少しばかり家を空けていまして、お礼が遅くなりました。一気に半世紀遡り、10代に戻れそう(?)ですね。
 お疲れさまでした。

辻 正子(35H) Sent: Wednesday, September 21, 2011 10:20 AM
 向陽新聞バックナンバーCDを送って戴き、有難うございました。御苦労なさったことと思います。
 懐かしく読んでおります。   香川にて

横山 禎夫(30K) Sent: Wednesday, September 21, 2011 10:28 AM
 向陽新聞バックナンバーのCD拝受しました。土佐高にとって貴重なだけでなく、私個人にとっても青春時代の記録です。
 有り難うございました。取りあえず、メールで御礼申し上げます。

加賀野井 秀一(44K) Sent: Thursday, September 22, 2011 2:06 PM
 このたびは、実になつかしき資料たまわりまして、まことにありがとうございました。
 第72号を眺めていて、ふと中平達男さんこと秋山左楽さんを難波「花月」にまで訪ねていって文章を書いたことなど思い出し、感無量でした。
 来週の月曜から、私の大学での講座「情報・メディア論」が始まりますが、今年はメディアの基礎論を縮小して、福島原発報道についての我国メディアのひどさを告発せねばなりません。いずれそんなことについても、色々と諸先輩後輩方のご意見をうかがいたいと思っております。

濱崎 洸一(32K) Sent: Friday, September 23, 2011 11:23 PM
 32回濱アです、先日回答しましたが、ちゃんと見ることができました、改めて、 皆々様のご苦労に深謝いたします、ありがとうございました。

細木 大麓(27回) Sent: Friday, September 23, 2011 11:49 PM
 森田さんからの封書でしたが中の手紙は中城さんの名前だったので、面識のある中城さんには受領通知を送りました。折り返し、高知支部への参加を誘われましたが、帰高の日程が合わないので辞退しました。
 森田さんをすぐ名簿で探しました。前期高齢者などと貴君は相変わらず失礼だが、なかなか若々しいとお見受けしました。またいつかお目にかかりますがよろしくお伝え下さい。
 谷村君に送ってもらったのはありがたかった。よく気が付いてくださいました。口は悪くてもさすがです。小生が、ROKIO CREATERでコピーを作って送らなけらばならないかと思っていました。昨年から四苦八苦しているFUJITSUのWindows7にプレインストールされており、使ったことがあります。

中井 興一(45K) Sent: Friday, September 23, 2011 9:19 PM
 バックナンバーのCDが届きました。 ありがとうございます。大変ご苦労様でした。
 早速同期何人かに話した所、是非欲しいとの声がありました。 幹事会にてご報告、ご相談します。

田内 敏夫(31K) Sent: Saturday, September 24, 2011 9:34 AM
 CD確かに受け取りました。品質も良好です。 お礼のご返事が大変遅くなり申し訳ありませんでした。 製作にあたってのご苦労に感謝いたしております。 本当にありがとうございました。

山ア 和孝(26A) Sent: Sunday, September 25, 2011 1:31 AM
 22日の高知OB会で岡林幹事長からCDを頂きました。
 今夜メールを拝見してCDを開いたところ、生徒会の会報や高知新聞が入っていて驚きましたが、学校で刃傷沙汰があったことをこの高新の記事で初めて知りました。生徒会が「向陽新聞」の復活を試みてくれたらしいこともわかり、流石は情報通の新聞部OBだと感服しています。
 1〜3号では、私の記憶の不正確さを思い知らされましたが、記事不足の埋め草に書いた ”USO通信”を読んだ先生が「あれはどこから入ったニュースぞね?」と聞いてきて大笑いしたことを思い出しました。USOを”うそ”と発音しなかったんでしょうね。
 一昨日お話のあった卒業アルバムには創立当時の新聞部の写真があるはずですが、去年の引っ越しでアルバムが行方不明になったので、近く開かれる26回生の傘寿記念同期会で誰か持っていないか聞いてみます。そのアルバムと一緒に、1949年に開催した高知県高等学校新聞連名主催の県下高校連合音楽会世話役の集合写真もお送りします。当時の各校新聞部員が30〜40人集まっています。
 何れにしても、大変な労作を有り難うございました。これに拘わった皆様に厚く御礼申し上げます。

冨田 八千代(36K) Sent: Monday, September 26, 2011 8:16 AM
 こんばんは、36回生の冨田(堀)八千代です。CDありがとうございました。完璧です。感激!感激!!
 今ごろのお返事になって申し訳ありません。実は気ぜわしいことが続きまだCDを開いていませんでした。でも、23日のメールで、これではいけないとまず森田さんのを読ませていただきました。細心の注意を払われたことなど、ご苦労ご奮闘振りに頭がさがりました。森田さんとは、第10回高新連大会(1959年8月)に東京へごいっしょしましたね。
 そして、初めてCDを開きました。こんなにきちんと収録されたご努力に敬意と感謝の気持ちでいっぱいになりました。それなのに、そのままにしてと自戒することしきりです。
 いろいろと懐かしい思い出が蘇ってきました。40号から50号までは他より念入りに見ました。私は中心的な部員ではありませんでしたので、編集の検討とか思い出しませんし、たいした記事も書いていません。 まず、浮かんでくることは、印刷やさんでゲラ刷りが出来上がるのを待ったときのことです。
 記事に関して一番印象に残っているのは、第42号「ちょっと失礼 高崎先生の巻」です。読みましたが、「いやあ、絵を描くが絵を書くになっている」とまた、恥ずかしくなりました。書いたつもりですが、このときは、私は高1。果たして記事を書いたのかと今は心配になってきました。伺ったことは確かです。見出しをどう表現しようかと悩んだことも思い出します。
 中谷さんのお宅にも伺いました。外交官としてのご活躍を知った時、懐かしく思い出したことがありました。肝心なことより「アメリカではコーラという飲み物が流行っている」と詳しく説明されましたが、いったいどんな飲み物だろうと不思議に思ったことです。
 余談です。私が土佐中1年生の時(確か1年生だったと思います)新聞部から1号から5号までの向陽新聞を捜していると呼びかけがありました。兄の高校卒業と入れ替わりに私は入学しました。兄が持っていた3回分を部室まで届けました。まさか自分が新聞部に入るとはそのときは思ってもみませんでした。高校生になって部室の棚に保管されている新聞を見て、これは兄のだろうかと思ったことも思い出しました。実際に兄のが役立ったかどうかは分かりません。
 何かとあやふやです。その後、アルバムを開いてみました。高1の夏に大穴にキャンプに出かけています。先輩では中城さんがいらっしゃいます。この頃も後輩のお世話をしてくださっていたのですね。
 メールを開いたのが23日の夜、アルバムを見終わったのは24日の未明でした。新聞部にいたことは高校生活の大事な部分を占めていたことを再確認したひとときでした。大野令子さんが故人となられたのはさびしく残念です。
 そして、今、やっとお返事をお送りしています。いつもお世話になりありがとうございます。

森田 隆博(37H) Sent: Monday, September 26, 2011 5:48 PM
 メール転送ありがとう。
 奮戦記のおかげで長らくご無沙汰の36回堀さんのメール拝見。 懐かしい昔を思い出させていただき、私にとっては奮戦記の最大の成果です。
 大岡林(27回)、中岡林(32回)両大御所からお礼の葉書が届きました。

岡林 哲夫(40H) Sent: Monday, September 26, 2011 9:05 PM
 谷村、示野両氏からCDの礼状が私の自宅宛に届いていますのでPDFを添付します。
 


三浦 浩二(母校教頭・45回生) Sent: Monday, September 26, 2011 9:49 AM
中城 正堯 様
 ご無沙汰をしております。土佐高・三浦です。 向陽プレスクラブの皆様が高知で集まられた9月22日午後に、 岡林哲夫様・永森裕子様が校長室にお見えになり、向陽新聞バ ックナンバーCD2枚を学校に寄贈してくださいました。岡林 様は山本芳夫校長と同じ40回生で、皆様ずいぶんと話が弾んで おりました。夕方のOB会も、きっとご盛会だったことと思い ます。
 早速CDを見せていただきましたが、向陽新聞は5号、82号、 107号の3つだけが欠けているだけでした。学校には十分に残っ ておりませんので、よくぞここまで残していただけたと、心よ り感謝申し上げます。本当に有難うございました。百年史編集 の強力な資料として大いに利用させていただきます。
 その百年史ですが、9月10日に第1回準備委員会を開き、百年 史の大きな方針を相談しました。いろいろな意見が出されまし たが、百年の節目だからこそ、「百年史」として一度きちんと 学術的な内容の学校史の決定版をまとめておくべきだとの意見 でまとまりました。執筆については、教育史を専門にしている 大学関係者にお願いをすることになり、現在その準備を進めて おります。年末までには執筆者の目処をたて、連携してどのよ うな資料が必要かを相談し、資料収集の態勢を整えようと考え ております。中城様をはじめ向陽プレスクラブの皆様にも何か とご協力をお願いすることになりますが、どうぞよろしくお願 い申し上げます。
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 事務局より完成御礼

とりあえず5号(昭和24-25?)、スポーツ1号(昭和27)、82号(昭和44)、107号(昭和52-54?)を除いて、111号までのバックナンバーの電子化が完成しました。今後の作業として、御協力下さった会員、及び母校関係者の皆様にDVDに焼付してお届けすることが、2011年度総会で決定しましたので、その作業にとりかかります。業者に委託しないで(予算がない!)有志がボランティアで行う予定ですので、今年度中にお届けできればと思っています。その前に、上記の4号について、所在を御存知の方は御協力下さるよう再度お願い申し上げます。


 編集部より再度のお願い

多くの方(細木氏、谷村氏、中城氏、山本氏)の御協力を得て、バックナンバーの穴が埋まりつつあります。
現時点で行く先不明なものは
5号(昭和24-25?)、スポーツ1号(昭和27)、82号(昭和44)、107号(昭和52-54?)の4紙だけになりました。
御友人等を含めて、お心あたりの方は是非御連絡下さい。


 編集部より顧問の先生方のお名前を調査中です

 編集人や発行人の名前はちゃんと記録に残っていますが、お世話になった顧問の先生方の記録がありません。あまり大したお世話になっていないと豪語される諸氏もいなくはないとは思いますが、それはそれ、多感な時期を導いて下さった先生方を今は懐かしく思い出して、記録に留めておきたいと思います。記憶の方がますます怪しくなってきている身としては……。
 掲示板に、先生のお名前、学科、交代の時期(向陽新聞の号数でも可)、できれば写真付でお書込み下さい。


 事務局よりお願い

 バックナンバーの電子化も向陽プレスクラブ再立ち上げの大事な目的の一つですが、本来学校が行うべき性質の作業だと考えられます。それを敢えて始めたのは、昔から文化部の活動に冷たい校風にさらされてきた経験から、このままでは散逸してしまって取り返しのつかない事態に陥る危険性(現実にも、今回の校舎改築の際に廃棄処分品の対象になりそうでした。)が高いと判断したからです。
 とりあえず会員有志の拠出金で賄い作業を開始し、会員の方々の会費から補填してしていくことになりましたが、新しい後輩が生まれないこともあって、メンバーの高齢化が進み資金的に苦労しています。そんなわけで、会員以外の皆様の浄財を募っています。一口1,000円。卒業回生、お名前を御記入の上、下記口座にお振込みいただければ幸いです。左下ポストから『送ったよ、ガンバレ!』とメイルで一言お声をかけてくだされば、もっと嬉しいです。3口以上のご協力を頂いた方にはバックナンバーCD[をお送り致します。
     振込口座:みずほ銀行 渋谷支店(210) 普通預金 8094113 向陽プレスクラブ


 事務局より版権・著作権等について

 閲覧・ダウンロードは無料です。版権・著作権については、通常の新聞と同じように1.紙面全体(版面権)・報道記事は発行元(学校・新聞部)、2.署名入り寄稿原稿は筆者にあります。両者とも商品としての本などに転載する場合は著作権者の許諾・使用料が必要な場合がありますので事務局までお問い合わせ下さい。同窓生(在校生を含む)の非営利の引用、転載については自由に行って下さって結構ですが、出典の明示を行い、取り扱いに十分注意されて先生方や他の同窓生(ご遺族を含む)の名誉を傷つけないよう留意されることを願います。
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 向陽新聞バックナンバー
画像作成:池商店(49回・池啓伸氏)他
号 数-発行日編集人:発行人顧問(敬称略)内   容
創刊号−昭和24年3月11日伊賀千人創刊に際して、楽団新発足、救い難い敗戦気分他
第2号−昭和24年4月11日山崎和孝伊賀千人高校教科書決まる、男女共学について他
第3号−昭和24年7月1日山崎和孝伊賀千人新校舎落成、国立大学設置法案反対スト他
第4号−昭和24年9月23日山崎和孝:細木大麓伊賀千人生徒会会則制定、校内放送実施、公文公先生他
第5号−伊賀千人お持ちの方は御連絡下さい
第6号−昭和25年2月15日岩谷清水伊賀千人中学250名を募集、球春近し、南部忠平氏他
第7号−昭和25年6月20日細木大麓伊賀千人委員会存在危うし、純潔教育を正課に他
第8号−昭和25年10月7日岩谷清水:細木大麓伊賀千人全校生徒新校舎へ、パーマ喫煙者取締、片岡義信氏他
第9号−昭和25年11月17日岩谷清水:細木大麓伊賀千人関西一の講堂も、愛情問題とうわさ、平井保喜氏他
第10号−昭和26年2月24日信吉孝和:安部彌太郎伊賀千人点数本位を排除、各部の赤字を整理、細木志雄氏他
第11号−昭和26年5月24日安部彌太郎伊賀千人伸び行く本校女生徒たち、宮崎高吉氏他
第12号−昭和26年7月7日中山剛吉伊賀千人生徒の為の生徒会、池田先生『アメリカ便り』、久武猛彦氏他
第13号−昭和26年10月1日中山剛吉伊賀千人校風樹立の使命果たせ、倫理規定制定の動き、曾我部清澄氏他
第14号−昭和27年1月21日中山剛吉伊賀千人授業料又も値上げ、初笑ひ三羽烏、河野先生、清岡清三郎氏他
第15号−昭和27年5月10日大町玄:大原 譲西野友彦新生日本の出発に富って、近藤久壽治氏他
第16号−昭和27年7月3日大町玄:大原謙西野友彦反日的な朝鮮、古谷先生、佐藤秀樹氏他
スポーツ1号−お持ちの方は御連絡下さい
スポーツ2号−昭和27年9月25日大脇恵二:横山禎夫  西野友彦ガリ版紙、送球、庭球優勝す
第17号−昭和27年11月4日千原宏:横山禎夫西野友彦全校舎ついに完成、恩師「ヒゲさん」、鍋島友亀氏他
向陽新聞案内版-昭和27年千原宏:横山禎夫西野友彦向陽新聞のできるまで
第18号−昭和28年4月13日中城正堯:横山禎夫西野友彦進学就職ともに好調、正しい交際の機会を、安藝修氏他
第19号−昭和28年5月25日大脇恵二:萩野泰啓西野友彦大嶋校長近藤久壽治氏対談、小笠原喜郎氏他
第20号−昭和28年1O月10日竹内鉄郎:大脇恵二西野友彦講堂明春には完成、公文憲太郎氏他
第21号−昭和29年2月20日中城正堯:田内敏夫西野友彦人格の完成を目指せ、日本一の汚食堂
第22号−昭和29年6月30日利岡邦夫:示野貞夫西野友彦生徒会廃止案提出、本吉先生、中島曉氏他
第23号−昭和29年9月29日利岡邦夫:示野貞夫西野友彦委員会に活発な動き、庭球部優勝、富田信正氏他
第24号−昭和29年11月29日利岡邦夫:示野貞夫西野友彦第一回四国弁論大会、中山先生、北岡龍海氏他
第25号−昭和30年2月14日利岡邦夫:岡林敏眞西野友彦試験シーズン迫る、吉本泰喜先生、米澤善左エ門氏他
第26号−昭和30年5月9日利岡邦夫:岡林敏眞西野友彦疑惑残る中学入試、富田先生、三枝先生他
第27号−昭和30年7月2日窪田隆士:岡林敏眞西野友彦同盟休校解決す、片岡満先生、公文公氏他
第28号−昭和30年10月6日秦 道夫:岡林敏眞西野友彦学園明朗化、山本先生、和田富二雄氏
第29号−昭和30年12月8日秦 道夫:森沢俊策西野友彦校長の態度を憂う、田内先生、板垣正亮氏他
第30号−昭和31年2月10日岡林敏眞:森沢俊策西野友彦生徒会の要望通るか、校長土地購入問題、柿本達雄氏他
第31号−昭和31年5月7日山崎洋子:吉川順三西野友彦図書館九月に着工、久保田先生、甲藤幸夫氏他
第32号−昭和31年7月1日秦 洋一:吉川順三西野友彦先輩大学生に聞く会、松浦先生、上谷慶次氏他
第33号−昭和31年9月18日秦 洋一:浜田晋介西野友彦全国優勝の軟式野球部、吉本要先生、沢本幸正氏他
第34号−昭和31年12月4日秦 洋一:浜田晋介西野友彦板原委員長辞表を提出、新聞コンクール入賞、浜口一男氏他
第35号−昭和32年2月12日秦 洋一:吉川順三西野友彦図書館完成、修学旅行問題、片岡敏先生、伊野部重一郎氏他
第36号−昭和32年4月9日明神宣生:公文敏雄西野友彦運動部が三分の二、中沢先生、井上清氏他
第37号−昭和32年6月29日明神宣生:公文敏雄西野友彦はかどらぬ献本運動、山岸先生、谷辰二氏他
第38号−昭和32年9月24日岡林邦夫:中田駿一郎西野友彦反響を呼んだ長髪禁止、町田先生、吉川美雄氏他
第39号−昭和32年12月3日岡林邦夫:中田駿一郎西野友彦高三の三割が長髪、間は大切である、池田先生他
第40号−昭和33年2月15日岡林邦夫:中西隆敏西野友彦五千坪のグラウンドを建設、本校はこれでよいか、正木先生他
号 外−昭和33年4月17日土佐中高新聞部西野友彦大嶋校長を悼む
第41号−昭和33年5月15日山下巧智:明神敬邦西野友彦予算会の徹底を、木内先生、中澤n氏他
第42号−昭和33年7月4日山下巧智:明神敬邦西野友彦校長後任問題、数学の勉強法、高崎先生他
第43号−昭和33年10月6日森本治志・岡林邦夫西野友彦新校長に曽我部氏内定、西野先生、町田守正氏他
第44号−昭和34年2月3日大野令子:森岡謙輔木内由雄本校は予備校ではない、曽我部校長、大嶋校長胸像他
第45号−昭和34年5月12日森田隆博:黒木健司木内由雄男女共学のピンチ、テレビの活用を、永野先生他
第46号−昭和34年9月16日森田隆博:加藤楯文木内由雄40周年記念祭日程決まる、小松先生、櫛下先生他
第47号−昭和34年11月18日森田隆博:加藤楯文木内由雄40周年を迎う、本校の今昔記、石川先生他
第48号−昭和35年6月8目岡本健治:加藤楯文木内由雄クラブ活動問題、食堂できる、平林先生他
第49号−昭和35年7月19日岡本健治:加藤楯文木内由雄政治意識調査、森本先生、キャロンさん他
第50号−昭和35年12月16日戸田博之:市原真仁木内由雄洗脳訓練の中核か、50号のあゆみ、大学生だより他
高新−昭和36年2月16日高知新聞社会面高校生刺されて重体
第51号−昭和36年6月10日戸田博之:新聞部木内由雄風紀委員の設置、松尾先生結婚、ズボンのおしゃれ他
第52号−昭和36年10月31日川口清史:市原真二木内由雄四月から道徳の時間特設、松尾先生、那華山先生他
第53号−昭和36年12月20日 川口清史:高橋 侃木内由雄ホームルーム問題、60名クラス実現、平岡先生他
第54号−昭和37年2月15日川口清史:高橋 侃木内由雄育てよう自治の精神、向陽会費値上げ否決、浜口先生他
第55号−昭和37年5月29日森田 公:丁野加寿代森下睦美ホームルーム指導要領、高橋先生、木戸先生他
第56号−昭和37年11月2日白木則子:森田 公森下睦美規約改正、居合い抜き日本一、河原崎先生他
第57号−昭和38年2月16日田村 孝:鶴和千秋森下睦美航空、地学の廃部、売店改善、森木先生他
第58号−昭和38年6月14日田村 孝:宮地敦子森下睦美現状打開が必要か、かくれた善行、新階先生他
第59号−昭和38年10月25日田村 孝:安田正敏森下睦美クラブ活動調査、ジャネットさん、西先生他
第60号−昭和38年12月21日安田正敏:井上和幸森下睦美やぐら廃止問題、小松先生、倉橋由美子氏他
第61号−昭和39年3月14日安田正敏:井上和幸森下睦美ジフテリア本校を襲う、籠尾先生、須藤哲男氏
第62号−昭和39年7月16目藤宗俊一:丁野貢一森下睦美野球部ベスト4、西川先生、浜田麟一氏他
第63号−昭和39年10月30日藤宗俊一:西内正気森下睦美遠征費問題、やぐら問題、曽和道雄氏他
第64号−昭和39年12月19日丁野貢一:西内正気森下睦美向陽会費値上、バレー部昇格、森下先生、島村稔氏他
第65号−昭和40年3月13日丁野貢一:西内正気田村尚子授業料600円up、深瀬先生、町田守正氏他
第66号−昭和40年6月25目大原 悟:山野上光枝田村尚子部活動の問題点、机が低い!福島清三氏他
第67号−昭和40年9月25日大原 悟田村尚子校内弁論大会、自転車問題、中島暁氏他
第68号−昭和40年11月9日中東浩史:植田信広:上村公志田村尚子盛り上がらぬ運動会、遅刻統計、示野昇氏他
第69号−昭和41年1月24日中東浩史:植田信広:上村公志田村尚子野球部合宿所、愛国心とは、下村幸雄氏他
第70号−昭和41年3月12日植田:中東:門田壮:岸上晴志田村尚子校舎新築問題、今度は貝の恋愛も、溝淵章人氏他
翌桧号−昭和41年5月30日土佐高執行部足りない血、新執行部の面々他
第71号−昭和41年7月16目大原 悟:植田信広田村尚子過渡期の本校、西先生見舞、吉松格致氏他
第72号−昭和41年1O月8日加賀野井秀一:井上晶博田村尚子文化祭実施要綱、中山先生見舞、中平達男氏他
翌松号−昭和41年7月16日土佐高執行部どうなる文化祭、広報記録他
第73号−昭和42年2月15日加賀野井秀一:井上晶博小松博行・田村尚子新校舎足踏み、中山先生御逝去、曽我部校長他
第74号−昭和42年5月20日加賀野井秀一:井上晶博小松博行・田村尚子交通戦争激化、夢のLL教室、松浦先生他
第75号−昭和42年7月20日加賀野井秀一:井上晶博小松博行・田村尚子新校舎アンケート、早期退部問題、土居先生他
第76号−昭和42年12月20日加賀野井秀一:山岡伸一小松博行・田村尚子難航する土地交渉、吉本先生叙勲、文化祭他
第77号−昭和43年2月3日加賀野井秀一:山岡伸一小松博行・田村尚子授業料値上げ、青春って、田内先生他
第78号−昭和43年6月19日山岡伸一平岡竹彦文化祭目ざし、中学修学旅行廃止、西森先生他
第79号−昭和43年12月20日山岡伸一平岡竹彦土佐高生の大学観、ヒッチ冒険記、得竹先生他
第80号−昭和44年3月14日宮川隆彦:藤戸啓朗平岡竹彦・藤田憲三郎卒業式に新しい動き、生徒増員問題、楠本先生他
第81号−昭和44年7月19日宮川隆彦:藤戸啓朗:浦田博幸平岡竹彦・藤田憲三郎いつ建つ新校舎、修学旅行に改革を、森本先生他
第82号−平岡竹彦・藤田憲三郎お持ちの方は御連絡下さい
第83号−昭和45年3月14日水田幹久:岩田理道平岡竹彦・西森茂夫六月中に着工か、生徒会廃止動議、元吉先生他
第84号−昭和45年6月1日水田幹久:岩田理道平岡竹彦・西森茂夫軽視されている部室、教育を考える、小島先生他
第85号−昭和45年7月8日水田幹久:植田哲哉平岡竹彦・西森茂夫五十年目の堕落、体操授業中に賊、扇谷先生他
第86号−昭和45年11月2日水田幹久:植田哲哉平岡竹彦・西森茂夫堕落を吹き飛ばせ、縮小運動会、玉真先生他
第87号−昭和45年12月19日水田幹久:福崎裕子平岡竹彦・西森茂夫職員のベースアップ、食堂の休業、土佐校の終末他
第88号−昭和46年3月13日水田幹久:福崎裕子平岡竹彦・西森茂夫常に正しい校長の考え、文化祭、竹村先生他
第89号−昭和46年5月25日水田幹久:加藤正治平岡竹彦・西森茂夫明るくなった教室、新教頭に松浦先生、西峰先生他
第90号−昭和46年7月16日水田幹久:加藤正治平岡竹彦・西森茂夫ボーリング解禁、自動車部廃部、永野先生他
第91号−昭和46年12月8日水田幹久:加藤正治:岡林健次平岡竹彦・西森茂夫文化部低迷、放送できない放送部、伊藤先生他
第92号−昭和47年3月1日北村章彦:佐々木洋二小松博行・西森茂夫中学棟竣工、公害問題、?先生他
第93号−昭和47年9月21日吉本匡伸:樋口 豪小松博行・西森茂夫夏休みに拾う、門谷・永野先生結婚、森木先生他
第94号−昭和47年12月19日吉本匡伸:樋口 豪小松博行・西森茂夫生徒会再検討を、盗難はもういや、西本先生他
第95号−昭和48年3月7日久保寛雄小松博行・西森茂夫文化部展示は振るわず、中国を探る、新聞部員募集他
第96号−昭和48年6月6日久保寛雄小松博行・西森茂夫好評博す体育館、50周年記念祭、高崎先生他
第97号−昭和48年10月10日久保寛雄小松博行・西森茂夫土佐校生の大学観、文化祭への提言他
号外号−昭和48年11月17日久保寛雄小松博行・西森茂夫向陽祭によせて、校舎建築への道他
第98号−昭和49年3月5日久保寛雄:山本嘉博小松博行・中内章雄・安岡正文問題多かった予算審議、修学旅行他
第99号−昭和49年7月5日杉村和彦:山之内玲子小松博行・中内章雄・安岡正文人間教育の喪失、広田先生ご永眠、田内先生他
第100号−昭和49年12月12日杉村和彦:坂本孝弘小松博行・中内章雄・安岡正文先生と生徒の対話を探る、西野先生逝く他
第101号−昭和50年2月3日杉村和彦:坂本孝弘小松博行・中内章雄スポーツデー、ひまじん杯、三無主義他
第102号−昭和50年5月29日坂本孝弘:有安一也小松博行・中内章雄文化祭開催に努力、矢野先生御結婚他
第103号−昭和50年11月21日坂本孝弘:有安一也小松博行・中内章雄向陽祭開催ならず、八年ぶりの甲子園他
第104号−昭和51年2月9日坂本孝弘:有安一也小松博行・中内章雄本日より文化週間、高一修学旅行他
第105号−昭和51年6月11日有安一也:松浦正幸小松博行・中内章雄土佐校生と新聞、誰か太る方法教えて他
第106号−昭和51年12月18日有安一也:松浦正幸小松博行・中内章雄土佐校生の大学観、土佐女子校訪問記、西森先生他
第107号−小松博行・中内章雄お持ちの方は御連絡下さい
第108号−昭和54年7月31日中沢仁志:市吉健一郎小松博行・中内章雄生徒会活動の推進の為に、フィリップ君、小松先生他
高 新−昭和55年11月18日高知新聞広告土佐高校創立60周年
第109号−昭和57年2月8日門田幹也:和田 明中内章雄文化週間、オメデトウ秋田先生、古都一人旅他
第110号−昭和57年7月13日門田幹也:和田 明中内章雄ひと味違った執行部、西森先生、毛利良一氏他
第111号−昭和59年12月7日加納雅人:北村昌久中内章雄向陽祭、土佐校は甦る、公文、石田先生逝く他
高 新−昭和63年4月16日高知新聞広告向陽寮開寮
号外号−平成6年4月28日復活新聞部中内章雄第29回Spring Concert
号外号−平成6年9月22日復活新聞部中内章雄ガンバレ運動会
復活号−平成19年4月学生有志向陽グラウンド完成、新校舎情報他
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土佐向陽プレスクラブ