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山岡伸一(45回) 水田幹久(48回) 北村章彦(49回)

井上晶博(44回) 永森裕子(44回)加賀野井秀一(44回)    山本嘉博(51回) 坂本孝弘(52回)
 
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2010.09.05 山岡伸一(45回)  高新連のこと
2012.04.09 水田幹久(48回)  アコンカグア登山
2014.05.20 水田幹久(48回)  向陽プレスクラブ2014年度総会議事録
2014.05.31 水田幹久(48回)  当世書生気質
2014.12.23 水田幹久(48回)  「新校舎建設中の世代」
2015.03.26 水田幹久(48回)  向陽プレスクラブ幹事会議事録
2015.03.26 水田幹久(48回)  2015年度向陽プレスクラブ総会議案
2015.04.16 水田幹久(48回)  地球の裏側(アルゼンチン)で感じたこと
2016.04.29 水田幹久(48回)  幹事会(2016年度第1回)議事録
2016.04.29 水田幹久(48回)  2016年度総会議事録
2017.03.25 北村章彦(49回)  4月22日KPC総会案内
2017.03.29 水田幹久(48回)  向陽プレスクラブ幹事会議事録
2017.04.28 水田幹久(48回)  雑感「地域コミュニティ」
2017.04.28 水田幹久(48回)  向陽プレスクラブ2017年度総会議事録
2017.10.20 水田幹久(48回)  2017年9月向陽プレスクラブ幹事会議事録
2018.03.18 北村章彦(49回)  4月21日KPC総会案内
2018.04.19 水田幹久(48回)  向陽プレスクラブ幹事会議事録
2019.04.04 水田幹久(48回)  向陽プレスクラブ幹事会議事録
2019.04.11 北村章彦(49回)  4月27日KPC総会案内
2019.04.27 水田幹久(48回)  向陽プレスクラブ2019年度総会議事録
2020.03.09 水田幹久(48回)  向陽プレスクラブ幹事会議事録
2020.03.10 北村章彦(49回)  4月25日KPC総会案内
2020.11.21 山岡伸一(45回)  「土佐校100年展」

 2010/04/01 - 2010/07/25 設立総会まで       2010/07/26 - 2011/04/10 第2回総会まで
 2011/04/11 - 2012/03/31 第3回総会まで       2012/04/01 - 2013/03/31 第4回総会まで
 2013/04/01 - 2014/03/31 第5回総会まで       2014/04/01 - 2015/03/31 第6回総会まで
 2015/04/01 - 2016/03/31 第7回総会まで       2016/04/01 - 2017/03/31 第8回総会まで
 2017/04/01 - 2018/03/31 第9回総会まで       2018/04/01 - 2019/03/31 第10回総会まで
 2019/04/01 - 2020/03/31 第11回総会まで       2020/04/01 - 2021/03/31 第12回総会まで
 2021/04/01 - 2022/03/31 第13回総会まで       2022/04/01 - 2022/12/31 現在まで
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高新連のこと
山岡伸一(45回) 2010.09.05
その1(昭和42年)

 確か中三の時に同学年で同じ後免から土電で通っていた川田(現岩口)智賀子さんに誘われて、元々興味はあった新聞部に入部したのだったが、中二からやっていたバドミントン部との掛け持ちの身ではあり、大勢の先輩たちもみんなエラク見えてなんだか敷居が高く、中学時代はあんまり部室に出入りしていなかった。しまいに、このままでは中途半端だからバドミントンか(バドミントンも下手くそだったが)新聞部かどっちかに絞ったほうがよくはないか、やっぱり新聞部を辞めようと心を固めていたら、高一になってみると、川田智賀ちゃんはじめ奥田(現濱川)弘子さん、田中(現辻田)多恵さん、中井興一君、和田満子さんら、新聞部に先に入って大勢いた同級生らがみんな辞めてしまって自分一人になっているということだった。人を誘っておいて自分がさっさと辞めてしまうとはひどい話だが、それで一年上の井上晶博さんに、新聞部の命運はお前にかかっちゅうがやきお前を辞めさせるわけにはいかん、バドミントン部を辞めて新聞部に残れ、とかき口説かれて、結局新聞部に留まることにしたのだった。
 そしたら昭和四十二年、高一の夏、東京で開催される高新連(全国高校新聞連盟)の第十八回定期総会に行かせてもらえることになった。学校から認められたのは四名で、高二の井上晶博さん、松本(現永森)裕子さん、中村(現川野)恵子さんの三人に本来なら加賀野井秀一さんが行くところを、「僕は自分で行くき君が行きや」と譲ってくれ、高一の自分を行けるようにしてくれたのだ。初めての東京行きである。
 引率は副顧問の国語の田村(現矢野)尚子先生で、山陽新幹線はまだなかったので宇野から寝台特急で行ったと思う。宇高連絡船からの乗り換えの混雑の中で早速スリの洗礼に遭い、宇野で気が付くと腰のボケットに入れていた財布がなかった。

 東京に着いて国電に乗り替える時、電車の乗降口がみんなホームと対々なのを見て、わざわざ電車とホームの高さを合わせて作っているのかと、土電のよっこらしょと上がる電車しか知らない身には第一のカルチャー・ショックだった。
 宿舎の、御茶の水だったか水道橋だかの旺文社の日本学生会館に入ってから、みんなで散歩がてら東大の赤門を見に行こうということになって出かけた。加賀野井さんとはいつ合流したか記憶がないが、この時には一緒だったように思う。赤門をくぐって三四郎池の辺りまで散策してから、赤門の向かいの路地を入ったところにあった洋食屋(というかレストランというか)で食事をとり、この時食べたポークチャッブだかチキンソテーだかが、これまで食べた初めてのちゃんとした洋食だったような気がする。
 それからさらに歩いて忍ばずの池のほとりに出、茶店でかき氷を頼んだら、器の底に蜜があって、底のほうから突き崩しながら食べねばならず面倒で、東京のかき氷はこんなんかと、これが第二のカルチャー・ショックだった。

 総会の会場は早稲田大学だった。この頃はまだ学生運動に火がついておらず、構内はのどかなものだったが、大学で会ということでなんだか大人びた気分に感じられた。総会のほか分科会というのもあって、みんなと離ればなれになり、発言を求められたらどうしようとハラハラで、肝心の会の内容はさっぱり覚えていない。
 会の後の空き時間には大先輩の岩谷清水さん(二十七回生)がお世話下さった。高田馬場で落ち合って、有名人も来るというレストランでご馳走になって(サラダがとてもおいしかった)、松本さんたちのリクエストで、夜新宿の歌声喫茶に連れて行ってもらった。
 食べ物のことばかりよく覚えていて、この間(平成二十二年八月二十一日)の高知支部立ち上げ会でも川田智賀ちゃんに「ひもじかったがやろ」とちゃかされたが、ずっと後年赤門前と高田馬場の店を探してみたが、様変わりしている感じでわからなかった。

 さて、二学期の始業式で、夏休み中に学校の費用で「遠征」に行ったクラブはその報告をせねばならず、どうしてだか、どうも井上さんにうまく回されたに違いないのだが、新聞部は自分がやるはめになり、それで思わぬ大失敗をやってしまった。何構わず「高新連の総会に(加賀野井さんを含め)五人で行って来ました」と言ってしまったのだが、後で顧問の小松博行先生が部室に見え、学校が認めたのは四人のはずだが五人と言ったぞ、と職員会議で問題になり、田村先生が大変窮地に立たれたことだったので、お詫びを言っておくようにと言われ、青ざめた。(改めてお詫び申し上げます。大変ご迷惑をおかけしました。)
 写真はもっと一杯撮ったはずだが、アルバムには自分に関係したこの四枚を含め五枚しか張ってなく、他には残念ながら残ってない。実は、戻ってから先輩たちを撮った写真をそれぞれにあげた時、松本さんに「ネガをもらえない?」と言われ、なぜ?とは思ったものの、ほっそりした美人の先輩の魅力に眩まされてあっさり差し出してしまったのだ。そしたらこの間の立ち上げ会で、「あの時の、三四郎池の脇の木の横に立ってる写真だけしかアルバムに張ってなくて、それしか写真残ってないの。あれ、誰が撮ってくれたのかしらね?」と松本さん──「僕ですよ!」と言いつつ、「それならあのネガは一体…?」と、あっさりあげてしまったことを深く深く悔やんだ。
その2(昭和43年)

 昭和四十三年、高二の夏、また高新連の第十九回総会に行かせてもらうことになった。高二の自分と高一の藤戸啓朗君・宮川隆彦君の三人で、引率は新顧問の平岡竹彦先生だった。高一にはもう一人吉川寿子さんがいたが、三人しか認められなかったのか、女子一人ということで吉川さんが尻込みして辞退したからか覚えていない。この年のは、しかし、ネガは自分で保管してあるので、写真はたっぷりある。
 七月二十七日に出発して、前年と同じく高松から連絡船で宇野に渡って寝台特急で行ったと思うが、今度は宮川君が掏られたらしく、財布がなくなったと言って騒動になった。帰りは歩いて帰ると言い出して往生した。

 宿舎はこの年は九段会館で、さすがに女子は別室だったと思うが、男子は写真のように広間で事実上雑魚寝だった。窓から武道館が見えた。
 総会の会場はこの年も早稲田大学で、七月二十九日から三十一日まで開催された。この年は学生運動真っ盛りのはずだったが、構内の到る所に色々な立て看板が見られ、密かに興奮をおぼえたものの、構内は割と穏やかだった。考えてみれば、この年よく会場に早大が借りられたものと不思議に思うのだが。
 首都圏の高校生たちは相当進歩的な趣だったが、自分も少しは度胸ができていたので、総会でも分科会でも少しばかり発言もし、宮川君も発言した。ところが、前年同様会の内容については、自分が何を言ったかも、まるで覚えていない。

 会の前後の空き時間には、またもや大先輩の岩谷清水さんにお世話になった。ちゃっかり、何でも岩谷先輩を頼れという「伝統」ができていた。また、日大の芸術学部に入られていた四十三回生の山口俊二さんも駆けつけて下さった。
 到着した二十八日に早速山口さんと一緒に新宿で岩谷さんと落ち合い、西大久保の岩谷さんの仕事場に案内された。本棚には本がびっしりで、いかにも書斎といった趣で、興味津々だった。
 同じく新聞部の先輩で、中城正堯さんや岡林敏真さん・松木さんらが働いておられる「学研」こと学習研究社を見学させて下さるということで、翌々日三十日の会の後山口さんと落ち合って、一緒に大田区上池上の学研本社を訪ねた。この時の写真に岩谷さんは写ってないので、自分たちだけで行ったものらしい。またこの時、知り合いになっていた高松高校の樋口君が一緒に連れて行ってくれないかと言ったので同行した。

 着くと、中城さんが地下の社員食堂から写植室・写真資料室や企画資料室、「学習」や「科学」の編集室などを案内して下さった。中城さんは「四年の学習」、岡林さんは「三年の科学」、松木さんは「フェアレディ」の編集を担当しておられるということだった。松木さんのデスクへ行くと写真撮影のためにポーズを取って下さった。写真資料室では中城さんがオーストラリアへ取材旅行に行かれた時のカラーポジフィルムを見せて下さった。オーストラリアのどこへ何を取材に行かれたのか、など具体的な事を質問すべきだったが、ただもう夢中で、新聞部員の心得などすっ飛んでいた。「学研」という大出版社に土佐高新聞部の先輩が三人もいらっしゃるという

ことに感激し、誇らしかった。
 見学の後は大徳飯店という中華料理店でごちそうになった。
三十一日の会で閉会となり帰途につくことになったが、財布を無くした宮川君は、旅費は平岡先生が立て替えて下さることになったが、一人で帰りたいと言い張って別の経路で帰ることになり、藤戸君と先生と三人で予定の列車に乗った。
 岩谷さんには最終日の帰途につく前、新大久保あたりのガード脇の、熊の毛皮を飾ってある居酒屋みたいなところでまた御馳走になった記憶があるが、この年のことか前年のことかはっきりしない。

 高松高校の樋口君とは奇遇にも、自分が阪大に入ってから再会することになった。同じ法学部に高松高校から来ていた女の子がいたので、新聞部にいた樋口君という人と知り合ったが知らないかと聞いてみると、彼女の友達で、やはり阪大の文学部に入っていると教えてくれて、引き合わせてくれた。宮川君は静岡などに寄り道しながら帰ってきたそうで、その道中で知り合った人といまだに交流が続いていると、この前の高知支部立ち上げ会の時語っていた。
 さて、充実した体験だった「学研訪問記」を向陽新聞に掲載します、と約束して帰高したのだったが、見学の間メモも取ってないおそまつさで、具体的な細部がどうにも思い出せず、ペンが進まずに悶々としているうちに記事にできないまま終わってしまい、岩谷さんからきついお叱りの手紙をいただいた。ここにも掲載した数多くの写真を見るにつけ、記事にしていればきっといい紙面ができていたに違いないのに、と今もってほぞを噛む思いである。先輩方には改めてお詫び申し上げます。
 前の年といいこの年といい、お詫びで終わる情けない回想記である。








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今こんなことをしています
アコンカグア登山
水田幹久(48回) 2012.04.09

筆者近影
 昭和48年卒業の水田幹久と申します。新聞部時代を振り返って思うことは、「新聞と名が付くからには、1学期に1回程度の発行では少なすぎる。なんとか1学期に2回は発行したい。」との思いで、発行回数を増やすことに執着したことを思い出します。完成した向陽新聞バックナンバーCDで当時の紙面を見ると、なんともその粗製乱造ぶりが目立って、恥ずかしい限りです。
 会社人間としてそろそろ引退後の人生設計が気になっていた頃、現幹事の一人から強引な誘いを受け、本会の幹事の末席を汚すこととなりました。クラスの同窓会にもめったに顔を出さなかったため、土佐校OBとして、母校への貢献度は低かったと思いますが、これから少しずつ返していければいいかなと思っております。
 さて、そうは言っても、まだ現役活動をしている部分もありますので、「今こんなことをしています」という趣旨の近況報告をさせて頂きます。それは、大学時代から本格的に始めた登山についてです。こちらの方は、大学卒業後もOB活動を継続し、登山そのものも細々と続けてきました。そして、今年の2月12日〜3月13日、アコンカグア山の登山隊に参加しました。

アコンカグア概念図

アコンカグア広域概念図
 まずはアコンカグア山の紹介です。アコンカグアは南米アンデス山脈のアルゼンチンとチリとの国境付近のアルゼンチン側にある南米最高峰で、標高6,962mはヒマラヤ地域を除けば、最高峰でもあります。登山シーズンは南米が夏になる12月〜2月ですので、今回の登山はシーズンの終盤にあたります。

登頂後の記念写真(ベースキャンプ)
 次に私が参加した登山隊の紹介です。名称は「早稲田大学山岳部アコンカグア登山隊2012」です。現在、私は早稲田大学山岳部の監督を務めており、この登山隊の隊長でもあります。隊員は私の他に9名の現役学生と登攀アドバイザーのコーチ1名、私を含めて合計11名です。私自身、メタボの中年を自認しておりますので、私の役割は学生指導であって、登攀要員ではありません。せいぜいBC(ベースキャンプ)で間違いない指揮が執れればと思って参加しました。

オルコネス渓谷を進む登山隊
 実はアコンカグア山の日本人初登頂は、1953年早稲田大学山岳部の登山隊で、登頂後当時のペロン大統領に謁見しています。今回は59年ぶりに先輩の偉業の足跡をたどることになります。また、この登山隊は創部90周年記念事業として行われましたので、大学当局をはじめ各方面の支援を受けて行われました。

アコンカグア南壁
 登山の経過を簡単に紹介します。2/12成田から出国、北米経由でブエノスアイレス着、さらに国内便にて登山基地の町メンドーサに到着。ここまで43時間かかりました。メンドーサで登山準備に1日を要し、翌日登山口の村プエンテ・デル・インカにチャーターした車で移動。そこから3日かけてBCのプラザ・デ・ムーラス(標高4,300m)に登る。BCまではオルコネス谷という広く開放的な谷を遡るため、快適なトレッキングを楽しめる。登山用資材の多くはムーラというロバの一種に運んでもらう。

アコンカグアにかかる笠雲
 BC設営後は、まず高度順応のためにボニーテ山(標高5,100m)に登る。次に、高度順応のためにC1(キャンプ1、標高5,050m)、C2(標高5,500m)、C3(標高5,900m)へと登っては下りることを繰り返し、荷揚げとキャンプ設営を行う。決して上へ上へと一直線に登ることはせず、上のキャンプに登れば、次の日には下のキャンプに降りることを繰り返し、尺取虫のようにキャンプを上げていく。そうしなければ、高山病にかかる可能性が高くなります。この登山隊の主体である学生は富士山(3,776m)の高度しか経験したことが無く、高度順応には十分な時間をとる必要がありました。ちなみにアコンカグア山頂では空気中の酸素の濃度は平地の1/3しかありません。

C1への登り
 2/26には最終キャンプ(C3)設営完了、頂上アタック体制が整いました。BCで天候の回復を待った後、3/1BCを出発、3/3に5名の隊員が登頂に成功しました。目標は私以外の10名の隊員全員の登頂でしたが、高度順応の壁は厚く、全員登頂はなりませんでした。登頂後、BC撤収、メンドーサ経由で3/13に成田に帰国しました。私自身は、当初BC滞在だけで終わる予定でしたが、ボニーテ山の登頂、1年生部員のケアのために5,400m地点まで登るなど、想定以上に動くことができ、満足のいく登山となりました。また、3/13に帰国した時には、体重は7Kg程減量しており、ズボンのウエストはブカブカ状態、難しかったメタボ対策になり、嬉しい効果が得られました。

登頂した5人の隊員
 今回の海外登山に参加させていただくために、会社には約1ヶ月の休暇を取らせていただきました。学生指導という大義名分はありますが、理解ある経営陣の判断に感謝した次第です。しかし、登山準備もさることながら、出発直前・直後の仕事をこなすためには多大な労力が必要でしたので、最近やっと落ち着きを取り戻しているところです。
 なお、この記事では登山活動の詳細までは記すことができませんでした。興味をお持ちの方は、インターネットにて、下記URLにアクセス頂ければ、詳しい内容が掲載されています。
登山計画書
.pdfの表示
早稲田大学山岳部
 ブログ    http://www.taksoho.com/weblog901/  ホームページ http://www.waseda.jp/9a-wac1920/
早稲田大学競技スポーツセンター
 当該記事   http://waseda-sports.jp/news/9720/  ホームページ http://waseda-sports.jp/
 
 《編集人より》水田氏より送られてきた画像は最高のものでしたが、全てを掲載するために紙面の関係上縮小せざるを得ませんでした。それでも、画像をクリックすると、別ウィンドウで2倍の大きさの画像が見ることができます。少しはその素晴らしさを感じて頂ければ幸甚に存じます。
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向陽プレスクラブ2014年度総会議事録
水田幹久(48回) 2014.05.20
議長 岡林敏眞会長  書記 水田 幹久
 1.日時 4月26日(土)  17時〜18時
 2.場所 「ねぼけ 丸の内店」
 3.出席者 中城正尭(30回) 大町玄(30回) 岡林敏眞(32回) 吉川順三(34回)
   公文敏雄(35回) 岡林哲夫(40回) 藤宗俊一(42回) 永森裕子(44回)
   中井興一(45回) 水田幹久(48回) 北村章彦(49回)
 4.岡林哲夫幹事長が、開会時出席者10名、委任14名であり、会員46名中24名参加で総会は成立と報告。
   (その後永森裕子遅れて参加、出席者11名となる。)
 5.岡林敏眞会長が開会の挨拶、本総会の議長を務める。
 6.以下、総会議案に従って進行
総会議案
 1)2013年度活動報告
      岡林幹事長から作成資料(資料1)に基づき報告・承認
 2)「土佐中學校創立基本資料集」発刊の意義・経緯報告
    岡林会長より、当該資料集巻頭に記載の発刊にあたっての趣旨により、昨年度
   総会で承認を受け、進めたとの経緯を報告。
    公文幹事(検討委員長)より、作成資料(資料2)に基づき、作成作業経緯を報告。
    また、印刷費用が本年度予算に比較して約9万円の増加となる見込みについて
   の報告あり。印刷ページ数の増加、印刷部数の増加、校正の不手際による印刷
   業者の工数増加が主要因。
    出席会員から、印刷費の予算額超過について、印刷実施前に会員の承認を取ら
   なかった手続きの不手際を指摘する意見あり。
    なお、費用の発生は2014年度となるため、本件支出については2014年度予算
   案で審議対象とする。
 3)2013年度会計報告
      中井会計担当が作成資料(資料3)に沿って報告・承認
 4)2014年度活動計画案・予算案
      以下の活動計画(資料4)を原案通り採択   
 <活動計画>
  1.総会・幹事会
  ・総会
   2014年4月26日(土)に東京にて開催、総会終了後に懇親会
   (2015年度は4月25日(土)に東京にて開催予定)
  ・幹事会
  ・9月頃 「活動状況中間検討」
  ・3月頃 「年度総括、総会議案検討」
  ・高知・関西からの幹事会出席者に旅費を定額補助
  ・高知支部
  ・秋に高知支部懇親会
  ・東京、関西からの出席役員に旅費を定額補助
  2.ホームページの充実
  ・「向陽新聞に見る土佐中高の歩み」を引き続き掲載
  ・「図書室」ページ推薦図書の感想・書評を積極的に掲載する
  3.百年史編纂協力活動
  ・「土佐中學校創立基本資料集」を作成・配布する
  ・KPC総会出席メンバーには当日配布
  ・KPCホームページにも掲載
  4.その他
  ・会員の拡充を図る
  ・向陽新聞バックナンバーCDの頒布を継続する
    原案(資料4)に修正を加えて以下の予算を採択
 <予算>
前期繰越金293,788
収入の部338,000
 年会費74,000
 懇親会会費105,000
 協力金9,000
 百年史編纂活動協力引当金取崩150,000
支出の部439,424
 総会・懇親会155,000
 幹事会費3,000
 HP運営費4,000
 創立基本資料集印刷費251,424
 通信費(弔電を含む)4,000
 事務用品等2,000
 予備費20,000
次期繰越金192,364

 原案に対する修正点
  原案では創立基本資料集印刷費を160,000円で計上。これは創立基本資料集の配布に際し、寄付金等の受領を見込み、印刷費の補填とする前提で予算案としたもの。
  出席会員から、創立基本資料集印刷費は印刷に要する費用全額を予算計上し、寄付金等の受領があった場合には、別途収入にて処理すべきとの意見が提案され、審議の結果、印刷費用全額を支出とするよう修正された。
 5)幹事追加の承認
   岡林会長より、本総会終了時をもって幹事2名追加の提案が出され、全会一致
  で承認された。
   新幹事
    北村章彦(49回) 坂本孝弘(52回)
   以上を以て2014年度総会を終了し、総会会場にて懇親会を行った。
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今こんなことをしています
当世書生気質
水田幹久(48回) 2014.05.31

筆者近影
 4月の向陽プレスクラブ総会でご案内させていただいた拙著『江戸時代 子ども遊び大事典』(東京堂出版)と「福を呼ぶ中国版画の世界」展(横浜ユーラシア文化館)が、それぞれ刊行・開催となりました。中国版画展には、さっそく岡林敏眞会長・岡林哲夫幹事長はじめ来場いただき、感謝致します。
 我々昭和の時代の大学生(現在の大学生の父親以上世代)と比較して、現代の大学生の特徴としてまずあげたいことは、皆よく勉強することです。大学生が勉強することは当たり前のことですが、我々の時代は部活動優先の傾向が強く、部活動と授業がバッティングする場合、どうしても出席しなければならない授業(実験や課題発表、欠席すれば単位取得が危ういなど)でなければ、部活動を選択したものです。しかし、今の学生は授業を優先します。そこで問題になるのが、全員のスケジュール調整です。合宿、ミーティング、トレーニングなど日程調整に多大な労力を要します。テーマよりも日程調整に時間を要するミーティングがあったりします。メールという文明の利器の活用で、その労力もいくらか軽減されてはいますが。
 次にあげたいことは、相互にプライベートに干渉したがらない傾向が見られます。部の合宿所(寮)生活をする者でも、それなりにプライベートな時間を保とうとしています。学生たちの遊び方を見ていると、部員以外に友人関係を広げ、多くの人と広く付き合っている傾向があります。ただ、話題にゲーム関係が多いことは気になりますが。その点、昭和の大学生は部員同士で遊び、マージャンや飲み会など、敢えてお互いの時間を拘束しあう様な付き合い方をしていました。部活動を円滑に保つために、より濃厚な人間関係を求めていたように思われます。今の学生は逆で、適度に距離を置きたがります。従って、マージャンなどはまずしません。長時間拘束し合うばかりか、金銭的やり取りで気まずい思いする可能性があるからです。
 新人類、異星人、草食男子、等々、若者に対する表現をよく目にします。また、時々我々お父さん世代が「最近の若者は---云々---」と苦言を呈している場面にも出くわします。たしかに最近の若者は、自分達が学生であった頃に比べて違いが有るようにも感じられますが、どの程度のものでしょうか?
 身体的特徴を一つ紹介します。最近、学生の近視割合が高い傾向が見られます。たまたまなのかも知れませんが、ある年度の部員の中で正常な視力(裸眼1.0以上)は10人中1人しか居ませんでした。そして近視の9人も度数の進んだ者が多く、0.1以下のまるで目の不自由な人と言えそうな割合も多く、これには驚かされました。体育会系学生でこの状態ですから一般学生の近視はもっと多いのでないだろうかと心配させられます。これがTVゲームやパソコンの長時間使用と無関係とは思えず、スマートフォンの普及などさらに目の負担が増している昨今の技術進歩に、危惧を覚える次第です。

アコンカグア登山(オルコネス谷)
 最後に、当世学生の特徴などと上から目線で書いてしまいましたが、学生を指導することで自分が成長させられていることを実感しています。よく、「育児は育自」と言われます。子育てを通じて自分も成長していくという意味ですが、正に学生指導もその通りです。日々苦労をさせられている学生さん達に「感謝感謝」の気持ちを持たなくてはなりません。
 私は現在、大学の運動部(と言っても山岳部ですが)で監督をしており、大学生を指導する関係で学生に接することが多く、知らず知らずの内にその生態を観察してしまっています。皆さんにお役に立てるかどうか甚だ疑問ではありますが、若者を見る見方の一つとして参考にしてみて下さい。なお、大学生と言っても、いわゆる「体育会系大学生」のことですので、対象には偏りがあることにご留意下さい。
 次に特徴的なことは昔と比べ、「おとな度」が低い傾向にあります。昔、大学生は世間からほぼ成人と同様に見られていました。従って、本人達も成人のつもりで行動していた感があり、その責任を自覚していた人が多かったと思いますが、今の学生はまだ一人前でないことを自覚している人が多いと思われます。考えてみればそれが当たり前で、満20歳までは未成年なのです。未成年は飲酒も出来ませんし、法的に制限されていることもあります。親も20歳まで(中には卒業するまで、あるいはもっと先まで)子供扱いし、何かと干渉する傾向が見られます。この親子関係が世間一般の学生に対する見方に繋がっているように思えます。

アコンカグア登山(2012年2月)

マラソン大会参加
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向陽新聞に見る土佐中高の歩みI   1970年(81号)〜1972年(92号)
「新校舎建設中の世代」
水田幹久(48回) 2014.12.23

筆者近影
 私の担当する’70年(昭和45年)から’72年(昭和47年)の世相を見てみると、学生運動が下火となっていく時代であり、’71年ニクソンショックで円は変動相場制に移行(1ドル360円時代が終わる)、’73年オイルショックにより経済成長にかげりが見え始める時期である。その様な時代背景のなか、土佐校は新校舎建設に着手し、この時期は建設中の校舎を使用しながらの学生生活であった。本稿で言う新校舎は現在ではさらに建て替えられ、今では旧校舎と呼ばれているようである。
 時代背景を分かりやすくするために、この時期の主なニュースと土佐校新校舎建設の過程を並べたものを表に示す。
新校舎建設開始の経過とその当時の生徒意識

現在の敷地に建設が決定したことを伝える記事。
ここに至る経緯からか、すんなり着工されるだろうか?
との思いが行間に感じられる。         (83号)
 曽我部校長が新校舎の建設計画を正式に言明したのは’64年のことであり、土佐校創立50周年である’70年の竣工を目指していた。当初は現校舎の敷地が狭いこと、周辺の交通量の多さ、大気環境の悪さなどの理由から移転する計画であったが、用地取得の目処が立たないまま、’70年を迎えた。’70年以前の向陽新聞には、新校舎建設計画がなかなか進まない状況をやや諦め気味に伝える記事が、度々登場した。その状況が大きく変化したのが、’70年3月14日発行の83号の記事「6月中に着工か?」「やはり半数は移転希望」という、現敷地に建設する方針が決定されたことを伝える記事である。
 以降、在校生の新校舎に関する関心は高まり、校舎完成までの期間、毎号新校舎や施設に関する記事が掲載されるようになる。83号でも、早速在校生にアンケートを取り、45%程がなお移転を望んでいることを伝えている。(当然のことであるが、中学低学年には実現が早い現敷地建設の希望が多く、高校高学年は時間が掛かろうとも改善が期待できる移転の希望が多い結果になっている)また、生徒会も学校側からの要請を受けて、新校舎への生徒の要望をアンケートにより集約して、新設する設備、改善を求める設備などを学校に要求している。新設希望では個人用ロッカー、冷暖房設備、改善希望では食堂、体育館、便所が上位にあがった。

実線が当時の土佐校敷地。点線で囲まれたエリアが運
動部希望の面積。電車通りから潮江中学校に達する。
 運動部の要望については、広いグラウンド、体育館を求める希望が多く、84号の「土佐校七不思議」というコラム(土佐校の身近なものの数値を集計して、その結果の大きさに驚く趣向のコラム)に、面白い結果が報じられている。運動部が最低限必要と言っている面積の合計は75,000u=電車通りから潮江中学校に達する面積となる。理想と現実のギャップを感じさせる結果である。
 また、84号では開示された新校舎の設計図に生徒会の要望があまり取り入れられてないことを報じるなど、新聞部は紙面を通じて生徒の要望を叶えるよう訴えている。
工事期間中の苦労
 工事は’70年8月7日に起工式が執り行われ、着工した(86号)。第1期工事は中央棟(5階建)と高校棟(4階建)で、’71年4月竣工した。第2期工事は中学棟(4階建)で、’72年3月竣工。第3期工事は体育館、食堂で、’73年3月竣工。最後にプールが第4期工事として、’75年7月に竣工した。最終的に5年間を掛けて建設したことになる。工期が細かく区切られた理由として、曽我部校長は、旧校舎を授業で使用しながら進めなければならなかったことと、資金調達の目処が立った部分から順次進めたことを、向陽新聞の取材に対して説明している。
 第1期工事期間は旧校舎で授業を行いながら、グランド部分で工事を行った。そのため、校舎の一部が工事に架かりスペースのやり繰りが必要であった。不便な面が多々あったが、生徒の協力もあり、学校側も不都合は都度対処しながら進められた。86号の記事には以下のようにその様子が報じられている。
 ・「声」欄への中学3年生の投稿によれば、工事により中3のA、B、Cの3クラスは元理科共通教室、元柔道場、
  元技術室に移動、そこでの授業環境の悪さが訴えられた。この記事掲載後、特に環境が悪いAクラスは再度
  教室を移動した。
 ・グラウンドの使用不能により運動部の活動が大幅制限される。
 ・自転車置場不足と置場周辺の混雑。
 ・運動会は新グラウンドで以前に比べ縮小して実施。

長年の希望が叶い新校舎第1期工事完成。
引越し風景にも喜びが感じられる。 (89号)
 また、’71年3月13日の88号では、’71年度の中1の募集定員を300人に戻すことが決定されたと報じている。これは、新校舎建設中に伴う教室不足のため、’70年度の募集定員を240人に減らしていたが、1期工事完成による教室不足解消の目処が立ったため、元の300人に戻すものである。このことを見てもギリギリのやり繰りで教室を確保しながら、現校舎の敷地に新校舎を建設した様子が伺われる。
 一方、不便ながらも、心がなごむエピソードも紹介されている。新校舎建設現場の地下3mの所から古墳時代の土器が発見され、高坏(たかつき)の脚と判明した。
 これまで新校舎建設に対して、様々な注文を付けてきた向陽新聞も、第1期工事が完成した時には、’71年5月25日の89号で「新校舎その威容を表す」「明るくなった教室」と1面トップで完成の喜びを報じている。そして4月30日の完成の後、5月6、7日に全校生徒による引越し作業が行われ、8日から新校舎で授業が開始された。
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次に、本稿の対象期間の記事から、いくつか拾ってみたい。
食堂問題について
 まず本校の食堂がかかえる問題点について。これは食堂の従業員が怪我により休むことになり、一時食堂が休業したことに端を発して、食堂のあり方について、新聞部が問題提起を行ったものである。
 木造校舎時代の食堂をご存知ない世代の方はイメージが難しいかも知れないが、当時の食堂は、メニューはうどん、そば、日本そばの3品だけで、昼休み時間に約800食を提供していた。一人で2杯食べる者が大多数であったため、1日400人強の利用者があった。弁当持参でない生徒にとって、昼食は食堂利用か売店のパン購入の2つの選択肢しかなかった。
 食堂が一時休業した経緯は87号で報じている。怪我で休んだ従業員の代わりはなかなか見つからず(待遇の悪さが主な理由)、再開後も1/4程度の量しか提供できない状況が続いた。食堂の機能を安定的に維持できるよう対策を望む意見に対して、校長は「昼食は弁当持参が本来の姿で、食堂は弁当持参できない人のために補完的に有る施設」との認識を示した。この認識に対して、新聞部は紙面を通して、食堂は学校には不可欠な機能なので充実、安定させることを要望した。その理由として、共働き世帯の増加により、母親が弁当を作ることが当たり前ではなくなっている時代の変化。生徒も通学時の荷物が増加していることなどをあげた。その後89号ではうどん類の値上げを伴うものの、労働条件改善の動きがあることが報じられている。そして、建設後の新校舎では食堂機能が大幅に改善されている。
「50年目の堕落」現象

「50年目の堕落」を伝える85号
 85号の1面トップは「50年目の堕落」との見出しで、生徒のモラル低下に注意を促す記事が掲載された。飲酒等による処分者が多く出たことから、校内のモラルを見直したものである。図書館の蔵書紛失、掃除のさぼり・不徹底、食堂・売店での割り込み・頼み込みなどの現象が見られ、処分者がでた事案と比べれば軽微であるが、モラルの低下を感じさせる結果であった。この年が創立50周年であったため、冒頭のやや刺激的な見出しが使用された。この記事には予想以上の反響があり、先生方による分科会結成に発展した。先生方が4つの分科会のいずれかに所属し、@教育方針・教育内容についてA生徒をどう把握するかB諸規則の再検討C教師の研修について、をテーマに土佐校教育のあり方を再検討することとなった。(86号
終わりに
 新校舎建設中の時期を過ごした世代と言うことで、新校舎建設中のエピソードに偏ってしまったこと、ご容赦願いたい。新校舎建設の陰に隠れてもっと重要なことを書き漏らしていないかどうか心配ではあるが、書き始めればあれもこれもと出てきそうなので、ここまでにしておきたい。
 改めてこの時期の向陽新聞記事を読み返すと、まだ学生運動から受けた影響が残っているのか、新校舎建設に関する要望、食堂の改善要求、先生方の分科会に期待する要求、本稿で触れていないが授業料値上げへの反対、文化部の活動を制限する動きへの反発など、学校=校長先生に対する要求が目立つ(しかも厳しい口調)。時代は安田講堂占拠から浅間山荘事件にかけての期間であるので、学生運動の凋落を感じているはずであるが、その影響から完全には逃れられていないのかも知れない。資金調達に苦労しながら新校舎を建設した曽我部校長の視点から見れば、新聞部はなんとも小うるさい生徒達に見えていたことであろう。
 この向陽新聞に見る土佐中高の歩みの連載は、今回で一旦終了となります。向陽新聞は本稿の期間以降も発行が継続されていますので、この後、続編を書いてくださる方の連載再開に期待したいと思います。
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執筆を終えて
 この「向陽新聞に見る土佐中高の歩み」への執筆は、半ば強制的に決められていたので、抵抗しても時間の無駄になるだけと観念して、取り組ませて頂いた。
 自分の担当期間の向陽新聞紙面を読み返すと、粗製乱造ぶりが目立って、恥ずかしい限りである。見出しに誤字があったりして、できれば記録に残ってほしくないという思いもあるが、一度活字になってしまっては、取り返しがつかない。言い訳になるが、当時5回/年の発行を目指していた。そして時には6面版、4面版を発行したので、質より量と即時性を重視していたように思う。もう少し質にも拘るべきだったと反省させられる。
 記事の中に学生生活の一旦が見える記述に出会うと、懐かしく感じられる。当時、「学校訪問記」という、他校を訪問する連載を行っていた。当然、放課後に出かける訳であるが、自転車で訪問したと記されている。市内の学校はもとより、高知工業高専(南国市物部)、高知外語(当時、荒倉トンネル付近に所在)などを自転車で往復している。すばらしい機動力だと思うが、当時は当たり前だったのだろうか、我ながら記憶に残っていない。若かったからできたことなのであろう。
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向陽プレスクラブ幹事会議事録
水田幹久(48回) 2015.03.26
議長 岡林哲夫幹事長  書記 水田 幹久
1.日時 3月15日(日)  10時〜12時
2.場所 京橋区民館 4号室
3.出席者 岡林敏眞(32回) 公文敏雄(35回) 岡林哲夫(40回) 藤宗俊一(42回)
      中井興一(45回) 水田幹久(48回) 北村章彦(49回)    以上7名
4.岡林哲夫幹事長が議長となり、配布済みの2015年春幹事会議題(案)に沿って以下の通り議事進行した。
 1. 2015年度総会について
   日時:2015年4月25日(土)17:00〜17:30 総会   17:30〜19:30 懇親会
   場所(案):「酒菜浪漫亭 東京新橋店」
   港区新橋4-14-7  TEL:03-3432-5666
   URL: http://syusai-romantei.jp/index_to.html
   議題:次議案
   懇親会費 5千円徴収予定(飲み放題付き7千円のコースあれば予約)
 2.総会議案について
   1) 開会 (岡林会長)
   2) 2014年度活動報告 (岡林幹事長) → 別紙1参照
   3) 2014年度会計報告 (中井会計) → 別紙2参照
   4) 2015年度活動計画案、予算案 (岡林幹事長) → 別紙3参照
   5) その他
   2015年度活動計画について、「向陽新聞に見る土佐中高の歩み(続)」、「読書室の充
   実」以外にも、当日又は事前のメールでの提案を待っている
 3.その他
   ・土佐中創立基本資料集ホームページ掲載の件(昨年からの検討課題)
    北村幹事(デジタルデータ提供)と藤宗幹事(ホームページ掲載)で検討する
   ・会則の変更について(会費未納者の議決権を停止する案について)
    総会の議決権は総会当日までに、前年度または当年度の年会費を納入した会員が
    有するものとし、総会の成立要件を、議決権有する会員の過半数と改定する案を
    採択した
   ・幹事長補佐の選任
    北村幹事を幹事長補佐に選任した
    幹事の負担が増している現状を改善するため、幹事の増員を図ることとした
  以上を以て2015年春の幹事会を終了した。
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2015年度向陽プレスクラブ総会議案
水田幹久(48回) 2015.03.26
文責:水田書記
2014年度活動報告
T 総会・幹事会
総会
1.日時 4月26日(土)  17時−18時
2.場所 「ねぼけ 丸の内店」
3.出席者 中城正尭(30回) 大町玄(30回) 岡林敏眞(32回) 吉川順三(34回)
   公文敏雄(35回) 岡林哲夫(40回) 藤宗俊一(42回) 永森裕子(44回)
   中井興一(45回) 水田幹久(48回) 北村章彦(49回)
    開会時出席者10名、委任14名で会員46名中24名参加、総会は成立
   (その後1名が遅れて参加、参加者11名となる)
4.岡林敏眞会長が開会の挨拶、本総会の議長を務める。
5.以下、総会議案に従って進行
総会議案
 1)2013年度活動報告
 2)「土佐中學校創立基本資料集」発刊の意義・経緯報告
 3)2013年度会計報告
 4)会則変更案
 5)2014年度活動計画案・予算案
   活動計画
    @総会・幹事会
    Aホームページの充実
    B百年史編纂協力活動
    Cその他
   予算
    創立基本資料集印刷費については百年史編纂活動協力引当金を取り崩し
    印刷費用全額を支出とすることとした。
 6)幹事追加の承認
  新幹事として、北村章彦(49回)、坂本孝弘(52回)を追加することが承認された。
 以上を以て2014年度総会を終了し、総会会場にて懇親会を行った。
 幹事会
  2015年3月15日: 総会の開催及び議案を決定した。
 高知支部懇親会
  2014年11月22日(土) 「久すのせ」にて開催
   出席者:岡林敏眞(32回)森木光司(32回)井上晶博(44回)岩口(川田)智賀子(45回)
       山岡伸一(45回)山本嘉博(51回)久保寛雄(51回)坂本孝弘(52回)
U ホームページの充実
  「向陽新聞に見る土佐中高の歩みH、I」(加賀野井、水田)
  「向陽プレスクラブ2014年度4月総会議事録」(水田)
  「高知支部懇親会の案内及び報告」(坂本)
  「主張、論評」(公文)
  「風のたより」2報(笹岡、藤宗)
  「今こんなことをしています」2報(中城、水田)
  「読書室」4報(鍋島、公文2報、山本)
V 百年史編纂協力活動
 土佐中學校創立基本資料集「土佐中學を創った人々」の制作・発送・寄贈
 制作部数   120  冊  
 会員への配布   39  冊  (総会での配布11冊、送付26冊、未処理2冊)
 母校への寄贈   55  冊  (理事・監事・評議員21冊、百年史執筆者6冊など)
 宇田家・川崎家への寄贈        4  冊  
 その他関係者への寄贈   4  冊  (中城さん経由)
    残   18  冊  
  2014年5月にホームページで「寄贈」「発送」を報告
2014年度会計報告
 *会員のページに掲載してあります。
2015年度活動計画案
1.総会・幹事会
 総会
  2015年4月25日(土)に東京にて開催
  総会終了後に懇親会
  (2016年度は4月23日(土)に東京にて開催予定)
 幹事会
  ・9月頃 「活動状況中間検討」
  ・3月頃 「年度総括、総会議案検討」
  ・高知・関西からの幹事会出席者に旅費を定額補助
 高知支部
  ・秋に高知支部懇親会
  ・東京、関西からの出席者に旅費を定額補助
2.ホームページの充実
  ・「向陽新聞に見る土佐中高の歩み(続)」を引き続き掲載
  ・「読書室」充実
3.百年史編纂協力活動
  ・「土佐中學校創立基本資料集」をホームページに掲載する
4.その他
  ・会員の拡充を図る
  ・向陽新聞バックナンバーCDの頒布を行う
2015年度予算案
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地球の裏側(アルゼンチン)で感じたこと
水田幹久(48回) 2015.04.16

筆者近影
 一昨年(2013年)の9月7日、アルゼンチンのブエノスアイレスで行われたIOC総会において、2020年オリンピックの開催地が東京に決定した。オリンピック東京開催は、日本経済再生の起爆剤として歓迎され、それ以来、景気回復への期待感が増しているように感じる。2020年までの長いようで短いこの準備期間、景気浮揚に繋がる政策が展開されるに違いない。
 東京のライバルであった候補都市のイスタンブールとマドリッドについて関心があった方は多いと思うが、IOC総会が行われたブエノスアイレスについて詳しい方は少ないであろう。小生はこの南米の都市にすこし縁があり、2回ほど訪れているので、その時に感じたことなどを記してみたい。

ブエノスアイレス郊外に広がるパンパ
地平線の彼方まで牛の放牧地になっている
 東京から見るとブエノスアイレスは地球のちょうど裏側(正確にはブエノスアイレス東方沖合1,000Kmの大西洋上が対蹠点=正反対の地点のこと)にある。という事は、飛行機が完全に直線的に運行できれば、東京からどの方角に飛び立っても同じ距離という事になる。事実、ブエノスアイレスへのフライトは北米経由、欧州経由、中東経由など真逆に飛び出すルートの中から選択することになる。首都ブエノスアイレスがあるアルゼンチンは南米の大国(国土面積2,780千ku=世界第8位・日本の7.4倍)で、しかも温暖な気候帯の平地面積が大きく、農畜産業に適した国土を有している(パンパと呼ばれる広大な草原が牧草地として広がっている)。反面、人口は4,100万人、GDP4750億US$(世界26位)。日本の人口1億2700万人、GDP5兆9630億US$と比べると大きく見劣りがする。
 しかし、この国は建国以来ずっとこの地位にあった訳ではない。19世紀の終わりから20世紀の初頭、日本が明治維新を経て富国強兵に励んでいた頃、日本とアルゼンチンの立場は、全く逆であった。アルゼンチンは恵まれた国土を生かした農畜産業により、南米で最も豊かな国であったばかりか、ヨーロッパの列強の次に位置する立場にあった。1910年には、アルゼンチンの輸出額は小麦・牛肉で世界一、トウモロコシ・羊毛は2位になっており、インフラ面では3万キロの鉄道網を有していた。この時期のブエノスアイレスは、南米のパリと呼ばれるほど、ヨーロッパ風の建物・公園が整備された文化都市であった。この頃(日露戦争開戦直前)、日本はイタリアで建造中であった2隻の巡洋艦(春日と日進)を注文主のアルゼンチンから譲り受け、主力艦隊への編入に間に合わせている。その後、日本海海戦でのこの2隻の活躍を見れば、ついアルゼンチン贔屓になってしまう。

ブエノスアイレス中心地にあるコロン劇場
パリのオペラ座、ミラノのスカラ座とならぶ世界3大劇場の一つ。
ブエノスアイレスの文化の象徴。手前の道幅は16車線ある。
 この豊かなアルゼンチンが、恵まれた資源、高い教養レベルの国民など発展の条件を備えていながら、その後低迷していく最大の理由は、長く続く政治の混迷と、歳入を安易に国債に頼るなど経済政策の失政にあったと言える。度重なるインフレ、私利私欲を追及する政府によって経済は停滞し、国民の政治家に対する信頼感は極めて低くなっている。ハイパーインフレの挙句とうとう2001年には対外債務の返済不履行(デフォルト)に追い込まれ、国の信用力は失墜した。この影響は現在も残っており、通貨アルゼンチンペソへの信頼は薄く、国民には米ドルの方が信頼されている。現在でも対ドル公式レートの他に実勢レート(闇レート)が存在し、その差は2倍ほどにもなっている。闇レートと言えば聞こえが悪いが、そのレートは新聞・TVで毎日報道されており、オープンな存在である。

ジャングルを開墾した茶畑(ミシオネス州)
50ヘクタールの茶畑の一部分
 このアルゼンチンとの縁は、小生の叔父2家族が、戦後、国際協力事業団(JICA)の事業に応じてアルゼンチンに移住しており、その家族が住んでいることである。都合2回、この地を訪問する機会があった。その際にアルゼンチンの日系社会にも触れることができ、考えさせられることが多々あったので、その一部を披露したい。直近の訪問は、老親が年齢的にみて最後の機会になると思われたので(86歳)、初めての海外旅行であったが、両親を連れて行くことにした。
 現地には1世世代2家族(叔父2人=父の弟)、その子供達(2世世代)5家族がおり、2世家族にはその子供達(3世世代)が計11人いる。1世世代はミシオネス州(ブラジル、パラグァイの国境付近、イグアス滝に近い)のジャングルを開墾し、そこに生活基盤を築いた。開墾された後の姿(茶畑や果樹園)を目の当たりにすると彼らが味わった辛苦が容易に想像でき、思わず目頭が熱くなる。一般的に、2世世代は、新たな分野に進展した者、農場を引き継いだ者、まちまちであるが、日系人は教育熱心なので高等教育を受けて専門職になった者、事業を起こしている者も目立つ。そして農場を引き継ぐ者も、他の事業に転進した2世達の土地を譲り受けたり、借りたりして農場の規模を拡大している。

従弟が経営する農場にあるビニールハウス内部
育苗施設の一部。一般の農場から苗の注文を受けて出荷する。
 彼らがこの地に託した希望、そのフロンティア精神を支えてきたのが、日系人達の相互協力であったと思われる。日本人入植地には必ず日本人会が存在し、今でも助け合いの関係が続いている。小生が訪問した時もポサーダス(ミシオネス州都)の日本人会で、ある子供の誕生日会があるというので参加させてもらった。小型の体育館の様な日本人会館に総勢70〜80人が集まり、盛大な会(手弁当が基本、子供も多いので酒はあまり飲まない)を行っていた。皆大変親しげに振舞っており、飛び入りの小生にも親しく接してくれる。誕生日会に限らず色々な名目で頻繁に交流の場を持ち、なにかと助け合っている。
 この協力関係を基盤に日系人達はアルゼンチン社会に信用を築いていった。どこに行ってもハポネ(スペイン語でジャパニーズ)と言えば信用される。アルゼンチンは移民の国で、特にヨーロッパ系(白人)が目立つ。人口では圧倒的に多い白人に混じって、自治会長や事業の協同組合長を任されている日系人も多い。農場から他の事業へ転進する際にも、日系人に対する信用が大きく寄与していることと思われる。小生の親戚2世(いとこ5世帯)も、3世帯は他の事業に転進し、2世帯は農場を拡大させていた。従弟の一人が嘆いていたことに、せっかく築いた日系人の信用を、近年アルゼンチンにも増えた中国人が自らをハポネと詐称して、落としてしまうということであった。
 アルゼンチン日系社会を垣間見て、長い年月を掛けて誠実に努力して得た信用は、何にも変えがたい財産になるという、当たり前のことを教えられた気がする。昨今、ジャパンパッシングと言われる現象があったり、製造業で韓国、中国に追い越される製品があったり、人口減少がもたらす将来負担の増加懸念があるなど、日本の将来に悲観的な見方が目立つようになっている。

イグアスの滝見物
叔父達の入植地から日帰りで訪れることができる。
 これらの課題を克服することは容易ではないが、日本・日本人への信用は大きな財産として健在であるので、日本ブランドを今後もブラッシュアップし、それを活用することで、日本人が自信を取り戻す道筋が見えてくるのではないかと、アルゼンチンの日系人達に教えてもらった思いがする。
 今回のアルゼンチン訪問は、細やかながら、思いがけないプラス効果もあった。それは、出発前には、老化により衰えを感じさせていた両親が、現地で弟たちの努力の結果を目の当たりにして、触発されたのか、帰国後には見違えるほど元気になり、活動的になったことである。
 小生も元気をもらいに、時々アルゼンチンを訪問するのも悪くないな、と思ってしまう。
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幹事会(2016年度第1回)議事録
水田幹久(48回) 2016.04.29
議長 岡林哲夫前幹事長(出席者互選により決定)  書記 水田 幹久
1.日時 4月23日(土)  17:30〜17:45
2.場所 「酒菜浪漫亭 東京新橋店」
3.出席者 吉川順三(34回) 公文敏雄(35回) 岡林哲夫(40回) 藤宗俊一(42回) 
      中井興一(45回) 水田幹久(48回) 北村章彦(49回)  以上7名
4.岡林哲夫前幹事長が議長となり、以下の通り議事進行した。
  1)幹事長の選出
     岡林前幹事長より2016年度の幹事長選出を要する旨、説明があり、幹事長候補者と
    して北村章彦(49回)を推薦する提案があった。
     出席者から異議なく、全員これを承認した。
  2)幹事の担当変更
    岡林前幹事長より、2016年度の幹事担当を以下の通り変更する旨、提案があり、
    全員異議なくこれを承認した。
     北村章彦(49回) 幹事長
     岡林哲夫(40回) 幹事長補佐
   上記以外の幹事 前年度の担当を継続
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2016年度総会議事録
水田幹久(48回) 2016.04.29
議長 岡林哲夫幹事長(岡林敏眞会長不在のため代行)  書記 水田 幹久
1.日時 4月23日(土)  17:00〜17:30
2.場所 「酒菜浪漫亭 東京新橋店」
3.出席者 濱崎洸一(32回) 吉川順三(34回) 公文敏雄(35回) 岡林哲夫(40回)
       藤宗俊一(42回) 中井興一(45回) 水田幹久(48回) 北村章彦(49回)
4.岡林哲夫幹事長が、開会時出席者8名、議決権行使5名、委任7名であり、議決権を有する会員28名中20名参加で総会は成立と報告。
5.岡林敏眞会長が急逝、不在のため、会長に代わって岡林哲夫幹事長が本総会の議長を務めることを出席者全員一致で決定。
6.以下、総会議案に従って進行
総会議案
 1)2015年度活動報告
   岡林幹事長から「2015年度活動報告」に基づき報告。全員一致で承認。
   「2015年度活動報告」の内容は当会ホームページの「会員のページ」に掲載。
 2)2015年度会計報告
   中井会計担当幹事から「向陽プレスクラブ2015年度会計報告」に沿って報告。全員一致で承認。
   「向陽プレスクラブ2015年度会計報告」の内容は当会ホームページの「会員のページ」に掲載。
 3)2016年度活動計画案・予算案
   2016年度活動計画案・予算案を原案通り、全員一致で承認。
   「2016年度活動計画案・予算案」の内容は当会ホームページの「会員のページ」に掲載。
 4)会長の選挙、会計・幹事の承認
   2015年度で役員全員任期満了のため、新役員を以下の通り決定した。
   ・会長の選挙
    岡林哲夫幹事長から、幹事会として「公文敏雄(35回)」を会長に推薦する旨提案があり、
   本総会に諮ったところ、全員異議なく承認された。
    また、公文会員から会長就任受諾のご挨拶があった。
   ・会計・幹事の承認
     会長の委託により、幹事会で選出された候補者を本総会に諮ったところ、全員異議なく
    承認された。承認された会計・幹事は以下の通り。
    会計:中井興一(45回) 留任
    幹事:吉川順三(34回)、岡林哲夫(40回)、藤宗俊一(42回)、井上晶博(44回)、
       水田幹久(48回)、北村章彦(49回)、山本嘉博(51回)、坂本孝弘(52回)
                                      以上留任
 以上を以て2016年度総会を終了し、総会会場にて、濱崎会員ご発声による岡林敏眞会長への献杯を始めに、懇親会を行った。
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4月22日KPC総会案内
北村章彦(49回) 2017.03.25
向陽プレスクラブ会員の皆様
陽春の候、会員の皆様にはご清祥のことと存じます。
さて、本年度は下記会場、時刻で向陽プレスクラブ総会を開催いた
しますので、是非ともご参加下さい。
出欠の回答は4月15日までに、左のMailBoxからお願いします。
また、欠席の方は、議案に関する賛否又は出席者への委任をお願いします。

日時:2017年4月22日(土)17:00〜17:30 総会
             17:30〜19:30 懇親会
場所:「酒菜浪漫亭 東京新橋店」(昨年と同じ会場)
    東京都港区新橋4-14-7
TEL:  03-3432-5666
URL: http://syusai-romantei.jp/index_to.html

年会費の納入に関しては、29年度の会費につき、総会に出席し納入予定の方及び前納にて納入済の方を除き,
「みずほ銀行 渋谷支店(210) 普通預金 8094113 向陽プレスクラブ」
宛にお振り込み下さい。
尚、総会議案は会員のページに掲載してあります。
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向陽プレスクラブ幹事会議事録
水田幹久(48回) 2017.03.29
議長 北村章彦幹事長  書記 水田 幹久
1.日時 2017年3月23日(木)  18時30分〜21時
2.場所 完全個室居酒屋 小次郎 東京八重洲店
3.出席者 公文敏雄(35回) 岡林哲夫(40回) 中井興一(45回) 水田幹久(48回)
 北村章彦(49回)
以上5名
4.北村章彦幹事長が議長となり、配布資料を使用して、以下の通り議事進行した。
なお、本幹事会は出席者5名、委任状提出者2名 の7名の参加があり、
  構成員の過半数に達しているので成立したことを確認した。
 1.? 2017年度総会について、下記の要領で実施することに決定した。
   日時:2017年4月22日(土) 17:00〜17:30 総会  17:30〜19:30 懇親会
   場所:「酒菜浪漫亭 東京新橋店」
   港区新橋4-14-7  TEL:03-3432-5666
   URL: http://syusai-romantei.jp/index_to.html
 2.総会議案について
   1) 2016年度活動報告 : 幹事長配布資料の通り報告することに決定した。
   2) 2016年度会計報告 : 中井会計配布資料の内容を確認した。(会員のページに改定版)
    本幹事会から期末までの間に入出金がある場合には、これを追加して、
    総会に報告することに決定した。
   3) 2016年度活動計画案、予算案 : 幹事長配布資料に以下の修正を加えて、
    総会に諮ることに決定した。
・役員交流を促すために交通費補助の金額を増額する。
 改定後 東京⇔高知 30,000円 東京⇔関西 15,000円 関西⇔高知 15,000円
・HPを活用して「生徒の声、卒業生の声」を募る。
・入退会会員動向を報告する。
・予算案の支出として、旅費補助を50,000円増額する。(増額後金額 60,000円)
   以上
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雑感「地域コミュニティ」
水田幹久(48回) 2017.04.28

 4月は満開の桜の下で、新入園、新入学、新入社の人達の姿を見て、元気を分けてもらえる季節であり、前向きな気持ちも湧いてくる。それに比べて年末は、寒く、暗い天候でもあり、その年を振り返り反省するなど、どこか後ろ向きな気持ちに覆われる。
 毎年年末に、日本漢字能力検定協会は、その年の世相を表す漢字1字を発表する。昨年は「金」であったが、過去にどんな字が選ばれてきたか、ほとんど記憶に残っていない。そんな中で東日本大震災があった2011年に選定された「絆(きずな)」は、今でもよく覚えている。おそらく他の年の文字には感じられない納得感があるのだろう。大震災で、家族や仲間の尊い命を失うことや、また連絡が取れず不安な日々を過ごした体験は、あらためて家族・友達・恋人・地域の人々との「絆」の大切さを知り、希薄になっていると言われる人間関係の大切さに気づくきっかけとなったようだ。
 最近、この「絆」の大切さをじわじわ感じることが多くなってきた。そのような年齢(高齢)に近づいてきたと言われればそれまでの話であるが、具体的な体験が伴ってくると、否が応でも「絆」の重要性を認識させられる。
 小生は高校卒業と同時に故郷の高知を離れ、就学、就職、結婚、子育てと、転居を伴いながら過ごしてきた。典型的な核家族所帯である。そして、今となっては子供たちもそれぞれ親元を離れ、核家族として別所帯を持っている。
 昨年、九州在住であった義父が他界して、葬儀のこと、残された義母のサポートのことなど、地域の方や近くに住んでいる親戚の方の助けを借りなければならないことが多々あった。これを機に親戚や地域との繋がりの大切さを再認識した。
 そして、今度は高知在住の両親から舞い込んだ依頼が、さらにその認識を深めることになった。両親の住んでいる南国市では、現在でも「ご荒神様」を祭屏風習が残っている。荒神(こうじん)とは土着の神で、人々を災いから救うと信じられている。主に西日本各地の農村に根強く残っている。高知出身者ならほとんどの人がそ屏風習に影響されていることであろうし、小生も子供の頃には「竃様(家庭に祭られている荒神様)」に毎朝供え物をし、粗末に扱うときつい罰(バチ)が当たると脅されて育った。この信仰屏風習?は根強いようで、今でも、年に1回(勤労感謝の日前後)に自治会をあげての祭事が行われている。今年は自分たちが当番だから手伝いに来て欲しいというのが両親の依頼であった。両親とも80歳をとうに超えており、その様な役目を引き受けているとは思いもよらないし、高齢ゆえ行事への参加も控えているのではないかと勝手に思い込んでいた。やむなく妻(女手の方が男手よりはるかに重要)と二人で出かけて行った。
 祭事の裏方を手伝いながら感じたことは、地縁と言うべきか、濃厚な近所づきあいがそこに存在しているという事であった。祭壇を設けて神事を執り行うだけでなく、仮設の土俵を作って子供相撲大会(これも奉納のひとつ)を行う。地域によっては神楽も舞う。子供から老人まで参加できるイベントになっている。そしてこの機会を逃さないように、市の防災担当による防災講習も行われた。近い将来、南海地震が起きることが想定されているため、参加者も皆真剣であった。地域の高齢化が進んでいるとはいえ、いざという時に頼りになる人たちの存在を感じた次第であった。それと同時に、老齢の両親が、今でもこの地域との絆を大切に、普通に付き合いを続けてきているということも実感した。
 そう言えば、両親が我が家に1週間ほど滞在したことがあった。両親が来て数日たった頃、弟から、近所の人が両親の姿が見えないことを心配して連絡があった、との電話があった。親元を離れて暮らす者にとって、老齢の両親の安否を気遣ってくれている近所の人達の存在は大変ありがたいことである。
 翻って、自分たちの地域はどうだろう。東京郊外のベッドタウン住宅地で、あまり近所付き合いがないまま、ここまで過ごしてきた。ひょっとしたら両親よりも自分たちの孤立の方が心配である。最近、団地内もリタイヤ組が多くなってきて、皆一抹の不安を感じるのか、有志によるウォーキング大会などの呼びかけも増えてきた。新興住宅街なりの「絆」作りの動きとも思える。煩わしいと避けてきた近所づきあいを見直して、前向きに関わっていくべき時が来ているようである。
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向陽プレスクラブ2017年度総会議事録
水田幹久(48回) 2017.04.28
議長 公文敏雄会長    書記 水田 幹久

出席者集合写真(竹本氏提供)
1.日時 4月22日(土)  17:00〜18:00
2.場所 「酒菜浪漫亭 東京新橋店」
3.出席者 中条正堯(32回) 公文敏雄(35回) 竹本修文(37回)岡林哲夫(40回)
  藤宗俊一(42回) 中井興一(45回) 水田幹久(48回) 北村章彦(49回)
4.公文会長が、議決権を有する出席者7名、委任状8名であり、議決権を有する会員数
  27名中15名参加で過半数に達しており総会は成立と報告。
5.公文会長議長となり、以下、総会議案に従って進行。
総会決議
 1)2016年度事業報告
   北村幹事長から「平成28年度向陽プレスクラブ事業報告」に基づき報告。
   平成28年度総会の出席者は7名を8名に訂正。出席者に濱崎氏が欠落。
 2)2016年度会計報告
   中井会計担当幹事から「向陽プレスクラブ2016年度会計報告」に沿って報告。全員一致で承認。
 3)2017年度事業計画案
   「平成29年度向陽プレスクラブ事業案」を審議し、原案に次の修正を加えて承認。
  ・平成29年度総会
   2018年4月21日(土)予定
  ・関東・高知の交流の促進 の項に下記の一文を追加する。
   次の場合は幹事長の要請があったものとする。
    @高知支部を代表する役員が総会及び幹事会に出席する場合
    A会長又は幹事長が高知支部の会に参加する場合
    B会長又は幹事長が当会及び母校に対する活動を行う場合
  ・交通費補助について、旅費補助内規を改定する。
  ・定額補助の基準を改定する。
 4)2017年度予算案
   平成29年度予算案を審議し、原案に修正を加えて承認。
 5)母校への応援
   母校との対話
   100周年企画応援
 6)入退会
     入会 竹本修文(37)   退会 笹岡峰夫(43)
 7)当会ホームページに在校生、教職員、卒業生の声を反映するページを新設し、意見を募る。
 8)会員基盤の強化を図る。
 9)その他

酒菜浪漫亭 東京新橋店(竹本氏提供)

  ・100周年企画応援事業の一環として、次の活動を当会として支援する。
  中条会員が発行を計画している小冊子「三根圓次郎校長とチャイコフスキー」を向陽プレスクラブ発行とする。小冊子製作費用は中条会員負担とする。郵送費等の経費を当会で負担する。当会の支出費目はその他支出の予算とする。
 以上、2017年度向陽プレスクラブ総会決議事項の詳細は当会ホームページの「会員のページ」に記載しました。
 以上を以て2017年度総会を終了し、引き続き総会会場にて、懇親会を行った。
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2017年9月向陽プレスクラブ幹事会議事録
水田幹久(48回) 2017.10.20
議長 北村章彦幹事長  書記 水田 幹久 1.日時 2017年9月29日(金)  18時〜21時
2.場所 ビックエコー八重洲本店
3.出席者 公文敏雄(35回) 藤宗俊一(42回) 水田幹久(48回) 北村章彦(49回)  以上4名
4.北村章彦幹事長が議長となり、配布資料を使用して、以下の通り議事進行した。
なお、本幹事会は出席者4名、委任状提出者3名 の7名の参加があり、構成員の過半数に達しているので成立したことを確認した。
1.2017年度事業の進捗について(4月〜9月)
@  ホームページ作成
   8件の投稿があり、掲載した。
A  母校との対話 100周年企画応援 進捗状況の報告があった。
B  本年度、高知での懇親会参加について
   東京から参加する中井幹事の交通費補助を規定に則り支給することとした。
2.2017年度会計報告(暫定版)
   中井会計担当からの配布資料(4月1日〜8月31日の収支報告、8月31日時点の
   資産・負債状況)内容を確認した。出席者からの異議はなかった。
3.その他
   会員を増やすための方策について、アイデアを出し合い、検討した。
以上
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4月21日KPC総会案内
北村章彦(49回) 2018.03.18
会員各位  春の訪れが実感できる候となりましたが、会員の皆様にはますますご清祥のことと存じます。
さて、3月9日の幹事会で承認いただきました平成30年度の向陽プレスクラブ総会を以下の日程、場所、
会費で行いたいと存じます。
 なお、出席、欠席および議事委任のご連絡を4月14日までに返信にてお知らせ願います。
なにとぞよろしくお願いいたします。
日時:2018年4月21日(土)17:00〜17:30 総会
             17:30〜19:30 懇親会
場所:「酒菜浪漫亭 東京新橋店」(昨年と同じ会場)
    東京都港区新橋4-14-7
TEL:  03-3432-5666
URL: http://syusai-romantei.jp/index_to.html
  懇親会会費 5000円
※総会の議題
1.過年度活動報告
2.会計報告
3.新年度活動計画案
(幹事会・総会・高知支部懇親会予定)
(関東・高知の交流促進と旅費補助)
(会員基盤の強化)
(ホームページに在校生、教職員、卒業生の声を反映するページの活発化)
4.母校への応援
(母校との対話)
「母校の群像」紹介
(有名無名を問わず各方面で頑張っている卒業生を紹介する小文を
会員各位に募りホームページに掲載)
5.予算案
6.入退会状況報告
※また、2018年度の会費2000円の納入をお願いいたします。
以上
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向陽プレスクラブ幹事会議事録
水田幹久(48回) 2018.04.19
議長 公文敏雄  書記 水田 幹久
1.日時 2018年3月9日(金)  18時〜21時
2.場所 ビックエコー 八重洲本店
3.出席者 公文敏雄(35回) 岡林哲夫(40回) 中井興一(45回) 水田幹久(48回)
 北村章彦(49回) 山本嘉博(50回) 
 オブザーバー 竹本修文(37回) 松井正(56回非会員)
以上8名

4.公文敏雄会長が議長となり、配布資料を使用して、以下の通り議事進行した。
なお、本幹事会は幹事の出席者6名、委任状提出者1名 の7名の参加があり、構成員の過半数に達しているので成立したことを確認した。

1.? 2018年度総会について、下記の要領で実施することに決定した。
   日時:2018年4月21日(土)17:00〜17:30 総会   17:30〜19:30 懇親会
   場所:「酒菜浪漫亭 東京新橋店」
      港区新橋4-14-7
   URL: http://syusai-romantei.jp/index_to.html
    
2.総会議案について
   1) 2017年度活動報告 : 幹事長配布資料の通り報告することに決定した。
   2) 2017年度会計報告 : 中井会計配布資料(暫定版)の内容を確認した。
    本幹事会から期末までの間に入出金がある場合には、これを追加して、総会に報告することに決定した。
   3) 2018年度活動計画案、予算案 : 幹事長配布資料に基づき、総会に諮ることに決定した。
   4)中城会員(30回)からの提案を審議した。
    提案は、KPCとして100周年の協力事業として「土佐出身者列伝」(例)の様な記念誌を創るというもの。
    審議結果は、HPの充実の活動の中で、提案の様なコンテンツを募る。
    HPへの掲載の進捗を見ながら、記念誌にまとめるかどうか継続審議する。
   以上
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向陽プレスクラブ幹事会議事録
水田幹久(48回) 2019.04.04
議長 北村章彦幹事長(49回)  書記 水田 幹久
1.日時 2019年3月8日(土)  18時30分〜21時
2.場所 ビッグエコー東京八重洲店
3.出席者 公文敏雄(35回) 岡林哲夫(40回) 藤宗俊一(42回)中井興一(45回) 
      水田幹久(48回) 北村章彦(49回)坂本孝弘(52回)  以上7名
  委任状 山本嘉博(51回)
4.北村章彦幹事長が議長となり、配布資料を使用して、以下の通り議事進行した。
なお、本幹事会は出席者7名、委任状提出者1名 の8名の参加があり、構成員(10名)の過半数に達しているので成立したことを確認した。

 1.2017年度総会について、下記の要領で実施することに決定した。
   日時:2019年4月27日(土)
   場所:「酒菜浪漫亭 東京新橋店」 港区新橋4-14-7 TEL:03-3432-5666
   URL: http://syusai-romantei.jp/index_to.html
    
 2.総会議案について
   1) 2018年度活動報告 : 幹事長配布資料の通り報告することに決定した。
(年会費納入状況、高知支部懇親会等一部訂正あり)
   2) 2018年度会計報告 : 中井会計配布資料の内容を確認した。
    本幹事会から期末までの間に入出金がある場合には、これを追加して、総会に報告する。
   3) 2019年度活動計画案、予算案 : 幹事長配布資料に以下の修正を加えて、総会
   に諮ることに決定した。
   ・2019年度9月、3月の幹事会は会員交流の場となるよう、拡大幹事会とする。
   ・高知支部懇談会は11月(予定)で実施する。
   ・予算案は配布資料を参考に総会までに作成する。
   
 3.その他の審議事項
    1)100周年記念事業への参加について
     クラブとしての参加はしないが、会員各々が個人として協力する。
   2)「土佐中学を創った人々」の増刷と全校生徒・職員等への配布について
    公文会長よりの提案(提案資料に基づく)について審議した結果、以下の通り決した。
    ・増刷し(2000部予定)、在学生・職員等に配布すること(来春予定)、並びに関係送料を当会が負担することは了承。
    ・増刷費用の一部(提案では40万円)を当会から支出することは採択しない。
    ・本配布活動は、会員有志による活動とし、当会による活動とはしない。
   3)母校100周年記念誌企画への協力呼びかけについて
    公文会長からの提案があり、同事業へ有志による参加・協力を会員に呼びかける
ことについて了承。
   4)新年度の役員改選について協議した。
以上
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4月27日KPC総会案内
北村章彦(49回) 2019.04.11
会員各位
 名残の桜もありながら、新緑の美しい季節になりましたが、会員の皆様にはますますご清祥のことと存じます。
 さて、3月8日の幹事会で承認いただきました本年度の向陽プレスクラブ総会を以下の日程、場所、会費で行いたいと存じます。
 なお、出席、欠席および議事委任のご連絡を4月20日までに返信にてお知らせ願います。
 遅ればせながら総会資料を添付してお送りいたします。よろしくお願いいたします。

日時:2019年4月27日(土)17:00〜17:30 総会  17:30〜19:30 懇親会
場所:「酒菜浪漫亭 東京新橋店」(昨年と同じ会場)
    東京都港区新橋4-14-7  TEL:03-3432-5666
    URL: http://syusai-romantei.jp/index_to.html
懇親会会費: 5000円

議案 ……詳しくは会員のページで2019年度総会決議事項(PDF版)をクリックしてご覧下さい。(pdf版)
 議事1  本年度(平成30年4月〜平成31年3月)事業報告    
 議事2  向陽プレスクラブ2018年度会計報告    
 議事3  平成31年度 向陽プレスクラブ事業計画    
 議事4  平成31年度 向陽プレスクラブ予算案    
 議事5  役員選挙    
 議事6  その他の審議事項    
   ・100周年記念事業への参加について    
   ・「土佐中学を創った人々」の増刷と全校生徒・職員等への配布について    
※また、本年度の会費2000円の納入をお願いいたします。
総会に持参あるいは向陽プレスクラブの口座への振り込みでお願いいたします。
振込口座:?みずほ銀行 渋谷支店(210) 普通預金 8094113 向陽プレスクラブ
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向陽プレスクラブ2019年度総会議事録
水田幹久(48回) 2019.04.27
1.日時 2019年4月27日(土)17:00〜18:00
2.場所 「酒菜浪漫亭 東京新橋店」
3.出席者 濱崎洸一(32回)、公文敏雄(35回)、岡林哲夫(40回)、藤宗俊一(42回)、中井興一(45回)、水田幹久(48回)、北村章彦(49回) 計7名
4.公文会長が、議決権を有する出席者は7名、委任が7名であり、議決権を有する会員数23名中14名参加で過半数に達しており総会は成立と報告。
5.公文会長が議長代行に北村(49)回を書記に水田(48回)を指名し、以下、総会議案に従って北村(49回)が進行。
総会決議
1)2018年度事業報告
 北村幹事長から「平成30年度向陽プレスクラブ事業報告」に基づき報告。全員一致で承認。
なお、次年度からは年の表記を西暦に統一することとした。
2)2018年度会計報告
 中井会計担当幹事から「向陽プレスクラブ2018年度会計報告」に沿って報告。全員一致で承認。
3)2019年度事業計画案
「平成31年度向陽プレスクラブ事業案」を審議し、原案に次の修正を加えて承認。
 ・年度標記を「2019年度」に修正。以下、議案書の年の表記を西暦に統一する。
 ・項目Dに記載されている以下の文を削除する。
  「新年度の役員改選について協議した。」
4)2019年度予算案
 前年度と同様とすることを承認。
5)次年度以降の役員選出
・本総会終了時で役員全員任期満了のため、次年度以降の役員を以下の通り選出した。
会長 公文敏雄(35回)
会計担当幹事 中井興一(45回)
幹事 岡林哲夫(40回)、藤宗俊一(42回)、井上晶博(44回)、水田幹久(48回)、北村章彦(49回)、山本嘉博(51回)、坂本孝弘(52回)
以上

なお、本総会終了後に開催された幹事会にて、幹事互選により北村章彦(49回)が幹事長に選出された。

*決議事項の詳細と会費納入状況(中井氏作成)は会員のページに掲載してあります。ご確認下さい。
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向陽プレスクラブ幹事会議事録
水田幹久(48回) 2020.03.09
議長 北村章彦幹事長(49回)  書記 水田 幹久
1.日時 2020年2月21日(金)  18時〜20時30分
2.場所 ビッグエコー東京八重洲本店
3.出席者 公文敏雄(35回) 岡林哲夫(40回) 藤宗俊一(42回) 中井興一(45回) 
  水田幹久(48回) 北村章彦(49回)  以上6名
  委任状 山本嘉博(51回)

4.北村章彦幹事長が議長となり、配布資料を使用して、以下の通り議事進行した。
 なお、本幹事会は出席者6名、委任状提出者1名 の7名の参加があり、構成員(9名)の過半数に達しているので成立したことを確認した。
 1.2020年度総会について、下記の要領で実施することに決定した。
   日時:2020年4月25日(土)
   場所:「酒菜浪漫亭 東京新橋店」
   港区新橋4-14-7
   TEL:03-3432-5666
   URL: http://syusai-romantei.jp/index_to.html
 2.総会議案について
   1) 2019年度活動報告 : 幹事長配布資料の通り報告することに決定した。
   2) 2019年度会計報告 : 中井会計配布資料(会計報告暫定版)の内容を確認した。
    本幹事会から期末までの間に入出金がある場合には、これを追加して、総会に報告する。
   3) 2020年度活動計画案 : 幹事長配布資料に基づき、以下の事業を行う案を総会に諮ることに決定した。
    ・2020年4月25日 総会
    ・2020年度の幹事会は、9月、3月に拡大幹事会として実施する。
    ・高知支部懇談会を実施する。
    ・ホームページによる発信を継続する。
    ・その他。
   4)2020年度予算案
    2019年度決算案に準ずる予算案とする。
 3.その他の議事内容
    1)100周年記念事業への参加について
     前年度方針を継続し、クラブとしての参加はしないが、会員各々が個人として協力する。
    2)「土佐中学を創った人々」の増刷と全校生徒・職員等への配布について
     公文会長より実施状況について報告があった。
    ・増刷数は2000部。1900部を在学生・職員等に配布することとし、3/11に
     土佐校へ発送する予定。増刷の費用は有志負担。
    ・送料は95,000円の予定。送料はクラブ負担とし、2019年度の支出とする。
    3)公文会長より、会員が刊行にかかわっている書籍の紹介があった
     土佐中高人物伝「「筆山の麓」から−夢を追ったあの人この人(仮題)」
     2020年9月刊行予定、1800部を母校寄贈、1200部を市販。
     クラブとしてはホームページで紹介する。
以上
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4月25日KPC総会案内
北村章彦(49回) 2020.03.10
会員各位

 この春は新型コロナウィルスに翻弄されていますが、会員の皆様にはますますご清祥のことと存じます。
 さて、2月21日の幹事会で承認いただきました令和2年度の向陽プレスクラブ総会を以下の日程、場所、会費で行いたいと存じます。
 なお、出席、欠席および議事委任のご連絡を4月17日(金)までに返信メールにてお知らせ願います。なにとぞよろしくお願いいたします。

日時:2020年4月25日(土)17:00〜17:30 総会
              17:30〜19:30 懇親会
場所:「酒菜浪漫亭 東京新橋店」(昨年度と同じ会場)
    東京都港区新橋4-14-7
TEL:  03-3432-5666 http://syusai-romantei.jp/index_to.html

  懇親会会費 5000円
※総会議案について
   1) 2019年度活動報告 
   2) 2019年度会計報告 
   3) 2020年度活動計画案 
   4)2020年度予算案
   5)その他
    @100周年記念事業への参加について
    A「土佐中学を創った人々」の増刷と全校生徒・職員等への配布について
    B土佐中高人物伝「「筆山の麓」から−夢を追ったあの人この人(仮題)」について

※また、令和2年度の会費2000円の納入をお願いいたします。
総会に持参あるいは向陽プレスクラブの口座への振り込みでお願いいたします。

会費の納入は下記口座までお願い致します。
みずほ銀行渋谷支店 普通預金 8094113 向陽プレスクラブ
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「土佐校100年展」
山岡伸一(45回) 2020.11.21

筆者旧影
 45回生の山岡伸一です。
 先頃11日から15日まで高知市文化プラザかるぽーとで開催された「土佐校100年展」を初日の11日に早速見に行って来ました。
 小村校長の挨拶の後創立家代表(川崎氏)、同窓会長(岡内氏)、振興会長(浜田氏)、同窓会代表幹事(浜田氏/21回生)の4名の方々によるテープカットで開幕。
 展示品の数々に懐かしさを募らせ、膨大な資料に説明を付す作業への 関係者のご苦労に思いを馳せつつも、こと自分達の年次に関わる展示品には懐かしさだけに留まらず説明の誤りに目聡く気付き、幾つかスタッフの方にダメ出しをさせて貰いました。
 「写真撮影禁止場所での撮影はお控え下さい」との掲示は目にしつつもそこが禁止場所であるとの明確な表示は無かったのでいい気で撮っていたらスタッフの方に「済みません、ここは−」と注意される一幕も。要は導入部の通路部分と櫓関連の展示ルームだけが撮影可と言うことで。それに向陽プレスクラブのホームページで公開している向陽新聞のバックナンバー(実物)を撮影禁止と言われても(-_-;)。
 運動会名物の櫓の展示ルームでは、現在の鉄製の組み立て足場による櫓の制作手順を細かく指導する図入りの「やぐら制作説明資料」なるものの展示に、設計から資材の調達まで全て自分達でやり、足場の組み方などは先輩や建築業者の人たちに直々に教わり、およそ先生方から教わるなどということは無かった自分達からすれば嘆かわしいような、時代の変化を感じさせられました。
 しかし、後輩の皆さんの自分達を上回る活躍の展示の数々には、我が身を省みての気恥ずかしさと頼もしさを感じさせられました。
 入ってすぐのアプローチ部の壁面に我々45回生の櫓の写真を使ったパネルが掲げられていたのは嬉しかったのですが、櫓の説明が44年を45年とされていたほか、44年のことと45年のことをごっちゃにした説明になっていたのががっかり。しかしこれはまあこの時限りの展示なので、知らない人には気付かれもしなかったでしょうし、目をつぶるとしても、校史を年度毎に辿ったパネルの展示で見つけた誤りは、この部分は「百年史」の記述を流用するようにとの学校からの指示で作成したとのことに、それなら「百年史」自体が間違っているのか(-_-;)、誤った記述が「正史」とされるのは看過できぬ、との気分に。向陽新聞に記録されている事だけに憤慨したのでした。
 1968年度、「6月24日 全国高等学校生徒弁論大会。高3加賀野井秀一、第8位入賞。」との記述がありますが、向陽新聞(79号)の記事では「11月16日」となっています。また、食堂で生徒がうどんなどをすすっている写真が添えられていましたが、この写真は45回生の卒業アルバムのために自分の3Sのクラスの連中に集まって貰って、いわばやらせで撮った写真で、1969年撮影のものです。
 1969年度のパネルでは「8月 AFS奨学生として一柳延広、葛目正子 1年留学。」とありますが、この年の出来事として記載するのなら正しくは「1年の留学から帰国。」で、出発は1968年の事です。これも向陽新聞(77号)に記事が掲載されています。お二人は69年に帰国して我々45回生の学年に編入(特に葛目さんは自分の3Sへ)されたので、間違いの無いことです。
 他の年度のことは分からないので何とも言いようがありませんが、これらの例を見ると、どうも正確さに疑念を抱いてしまいます。
 ところで、11月18日の高知新聞に土佐校創立100年を記念しての8頁の特別紙面が折り込まれていて、最後の頁は向陽新聞の体のものでした。初め見た時、かつての向陽新聞を意識して高知新聞が特別編集してくれたものと受け止めて気にしていなかったのですが、今日改めてよく見ると、向陽新聞の題字下に「企画協力 土佐中・高校新聞部」とあり、その下に「新聞部は100周年の今年長い休部を経て復活、慣れない取材、撮影も担当してくれました。」と有るではありませんか! 本当でしょうか! 本当ならこんな嬉しい事はありません。
 なお、写真を多数添えさせて頂きたいのですが、どうやって送信すればよろしいでしょう?メールに添付では容量オーバーで送れませんが。
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土佐向陽プレスクラブ